続きになります。
(その①、②、③も順にお読みいただけると
  わかりやすいと思います。)










父のお通夜、お葬式、
その日も
合間に時間を作って
母の病室へと会いに行った。


もちろん喪服ではない。


父に先に逝かれることが嫌だった母。

そんな母に
父のために着ている喪服は見せたくなかった。


あえて、いつもと同じ服装で行くことにこだわった。









母のベッドが
手前から奥のベッドに移動していた。

どうやら、
父が使っていたベッドのマットの方が
厚みもあり、やわらかいらしいのだ。


痩せ細って
骨がむきだしていた母。

呼吸器がダメになっているせいで
身体を横にすることもできず
一日中座っているのだ。。。

おしりが痛い。痛くてつらい。
と、ベッドを移動した。




母がベッドを移動する前のこと。

先に逝った父が
母の横の(父が使っていた)ベッドに
二日連続で来ていたそうだ。
(母は霊感?強かったです。)








だんだん、母が不安定になってきていた。

精神的にも参っているようだった。


しかし
私は兄と相談し、
母を退院させて
自宅介護にする準備を急ピッチですすめることにした。

どうしても
1度でも、わずかな期間でも
病院から出してやりたかった。

義姉(兄嫁)も協力してくれ、
父が他界してから
2週間足らずで
殆どが揃い、
母を退院させてやれる状態に整った。


退院日も決めた。




いよいよ!








が、
退院日前日。



母が急変した。






もう、動かせない、と医者に言われた。。。







私達はあきらめなかった。

例え1日でも!!

と。。。







私は夜中、病院へ泊まり込んだ。

眠ることもできなくなっていた母。
苦しくて苦しくて、
なにをどうやっても苦しくてつらい母。


最期は窒息だと思います。
と言われ、
その最期に一瞬くる苦しさの恐怖から
逃れたがっていた母。



一晩
母はもがき苦しんでいた。




一旦帰宅し、
用事とシャワーと
少しの仮眠をとり
また病院へ戻り、
そのまま昼過ぎまで母と過ごした。



弱気な言葉が
母により弱々しく殴り書きされる。

何かしてやりたいが何もできない。。。

でもなにもしないのは嫌だ。


私は
看護師さんにも主治医にも
沢山沢山相談した。
沢山沢山話をした。

何か
小さくても細くても良いから
かすかな希望はないものか、と。




母と
落ち着いて話した。


いつもは
私が喋り、
母が助言をくれていたのに。。。

今は私が母に説明をしなければならない。

例え嫌なことであっても
嘘は言わない。

正直に真っ直ぐに向き合った。







その日のお昼過ぎ。

義姉(兄嫁)が病室に来てくれたので
私は再び帰ることにした。

子供達の用事をすまし、
また18:00~19:00に病室に戻り、夜中付き添いをするつもり、だった。







16:20、
義姉(兄嫁)から電話が鳴った。




来れるかぃ?







その一言で察した。







息子はまだ帰っていない。

娘だけ連れて
車で病院へ向かい、
駐車場から病室まで走った。。。









母はー。。。。。。。












意識がなくなっていた。。。。。








さっきまでコミュニケーションとれてたじゃん。。。。。














兄、姪、甥、
主人、息子、
間に合った。




が、
私、兄、義姉(兄嫁)、以外は
談話室で待機させた。











私が娘の手を取り、走り、
病室に戻ってきてから
およそ4時間後。




母も最期の呼吸を終えた。













一番恐れていた窒息ではなく、

二酸化炭素を吐き出すことができなくなっていたため、
二酸化炭素が体内に、脳内に、
たまりすぎて
意識がとんだのだと思われる。







私は
母までもいなくなったら
どうなってしまうのか、と
自分がこわかった。





だけど
母の最期に
自然と出た言葉。それは




















お疲れ様。
よくがんばったね。
よかったね。















だった。













苦しくて苦しくて
つらくてしんどくて
眠れなくて
そしてこわくて。

そんな目に見えない
あまりに多くのものと闘っていた母。

母の「もう、終わりにして!」の言葉の意味もわかっている。

よく、本当によく、がんばったよ。
すごいよ、すごすぎるよ。







苦しめた全てから解放されて

これでもう眠れる。
大好きだったおしゃべりもできる。
食べれる。飲める。
歩ける。走れる。

全てをまた母はとりもどしたんだ。







よかった。本当によかったね。






















私の父と母は
仲が良すぎて
どちらかがどちかをおいていくのが嫌で
どちらかが残されるのも嫌で。
だからこそ
同じ時期に病気になり
同じ時期に余命宣告を受け、
同じ時期に旅だったのだろう。













母は
父が使っていたベッドへ移り、

火葬場で膨大に並んでいる炉でも
父が入ったのと同じ炉に
吸い込まれていったんだ。


間違いなく二人は一緒にいる。




父に手を合わして願い続けた。
母を迎えに来てやってください、と。

怖がる母に伝え続けた。
父が必ず迎えに来てくれるから、怖がらず、
その時は迷わず父の手を手を取れば良いよ、と。





つづきます。。。