吉村真代さんのリサイタルは、正に「三度目の正直」となった訳だが、最初の予定日だった昨年3月11日の東京の感染者は僅か6人、次に予定された今年の5月4日は609人、リサイタル当日の7月12日は502人、そして今日は何と1,308人だったから、三度目の延期があってもおかしくなかったし、逆に、最初の延期は慎重過ぎたのかなとも思えてくる。結果から対応を見直さざるを得ない難しさか。

さて、吉村さんのリサイタルの演目はハイドンの「ピアノ・ソナタ ホ長調」、ベートーベンの「ピアノ・ソナタ 第7番 ニ長調」、シューマンの「蝶々 作品2」、そしてブラームスの「6つの小品 作品118 」で、クラシック音痴の私からすると殆ど聴いた記憶のないものばかりだったが、最後のブラームスには心を揺さぶられた。

パンフレットに「1891年にイシュルで遺書をしたためたブラームスが作曲した小品集の一つで、ブラームスの深い厭世観を漂わせている」と書かれていたことから、俄然、ブラームスの心境に興味が湧いたのだろう。ブログに書いてみようと赤のボールペンで私の印象のメモを始めた。

(Wikipediaの画像をお借りしました)

深い悲しみ、憤り、安らぎ、希望、不安と希望が交錯、攻撃、休息、再び攻撃、一人ぼっち、迷子、問い掛け、返事なし、再び憤り、達観・・・最後は平和なトーンで終わっていたから、ブラームスも少しは悟りを開いた境地になったのだろうか。遺書をしたためたのが58才の時、それから6年後の1897年に、今の私より若い64才で亡くなっている。私など、永遠に持てないであろう知性と貫禄がある。
昨日の7月12日(月)、吉村真代さんのピアノ・リサイタルが東京文化会館で催された。素晴らしい演奏だったが、良く見るとグリーンのチケットは昨年2020年の3月11日(水)になっているし、ベージュのパンフレットは今年の5月4日(火・祝)になっている。新型コロナの影響で、リサイタルが2度までも延期されたからだ。


新型コロナがこんなに長く居座るとは思っていなかったし、ここまで仕事の進め方や日々の暮らしを変えるとも想像できなかった。いつの間にか復興五輪だったはずのオリンピック・パラリンピックも新型コロナに打ち克つためのシンボルみたいに言われているから、あちらこちらで主役の座を奪っているということだろう。

全く困った存在だが、今や新型コロナを知らない人はいないから、これにどう立ち向かうかを聞いたり見たりすることで、個人や組織、更には国家の思想や姿勢が良く分かるように思う。例えば、イギリスでは再び感染拡大が始まっているのに、ワクチン接種の浸透で死亡率や重症化率が下がっているとの理由から規制を撤廃すると発表した。日本では考えられない決定だろう。

勤務先や取引先を見ても、政府よりも早くテレワークに切り替えたところもあれば、政府の方針発表を待つところや、頑としてテレワークを受け入れないところなど様々だった。何が正解かは分からないが、多分、決めないことが最も危ないように思う。先ず決める。その上で、間違ったと思ったら潔くそれを認め、改める。私はそういう方針で臨もうと思う。
66才の誕生日を迎えた。

可愛いと言われた兄、元気そうと言われた私(笑)

友人、知人から「お誕生日おめでとう」というメッセージが届いたので、「アタマの中身は小学校六年生で止まっていますので、いよいよこれから思春期を迎えます」とか、「認知症予備軍ですが、同じ忘れるなら、過去の失敗と年齢から忘れるようにしようと思います」と返していたら、「俺も見習います」とか、「それ、名案やね」という返事が来た。

それで調子に乗り、「間違っても、年齢相応と言われる落ち着きなど持とうとは思いません」と再び返したら、「それは持たないのではなく、持てないと言うべきやね」とたしなめられた。その通りだ。黙っていても絵になるオトナにはなれそうもないから、しばらくはこのまま賑やかに動こうと思う。