先週の土曜日、中学時代の恩師、BT先生のお墓参りをしてきた。



同志社中学1年E組を担任されたBT先生は当時25才、東京生まれの東京育ち、大学を卒業され、同志社中学校に赴任されたばかりの青年教師だった。スラリとした長身に優しい笑顔で私たちの前に現れるや、きれいな標準語で話し始められたから、「めっちゃカッコええ先生や!」と私は中学校生活の初日に新鮮で強烈な印象を与えられることとなった。

 

(最前列中央がBT先生。最後列右から3番目が私)

 

ご健在なら今年、80才の傘寿を迎えておられた筈のBT先生だが、29年前、51才の若さで亡くなられた。その報せを聞いたときは暫く信じることができなかった。


亡くなられる4年前、たまたま京都でラグビー試合に出場した私はアキレス腱を切断し、京都の病院で手術を受け、そのまま入院していたのだが、そんな私を先生が見舞ってくださった。誰にもラグビー試合のことは話していなかったから、今もBT先生がどうやって私の入院を知られたのかは分からない。ただ、そのときは先生の登場を全く不思議に思わず、30分ほど歓談し、再会を約して別れた。それが最後の面談になってしまったが、私が困ったときには必ずBT先生が現れ、相談に乗ってくださる・・・そういう確信のようなものがあったから、先生の登場を不思議に思わなかったのだろう。



そんなBT先生を慕う教え子たちが、何年も前からご命日に近い日にお墓参りをされていた。先生の奥さまで、同志社中学で数学を教えておられたBY先生から誘われ、去年から私も参加している。皆さん、私とは年代が異なるが、BT先生を語るとき、皆さん「信頼」という言葉を使われる。先生から信頼することの大切さ、信頼されることの重みを教えて頂いたのだろう。今、生きておられたら、どんなにか話が弾んだろうに、と思う。

蕾だった芍薬が花開いた。



「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉がある。この「立てば芍薬」は「すらりと伸びた茎の先端に華麗な花を咲かせる芍薬は、まるで美しい女性が立っているようだ」という意味らしい。



誰でも花に例えてもらえる訳ではないし、私を花に例えてくれる人は先ず出てこないだろうから、この際、自分で花に例えてやろうと思い立ったが、そもそも花に詳しくないから花の名前が出てこない。悪戦苦闘の末、できたのがこれ(⬇️)

「立てば使われ、座れば叱られ、歩く姿は40代」

電車の中で席を譲られることなどないよう元気でいたいし、元気に見えるよう心掛けたい、という決意表明になってしまった(笑)

勤務先で「ヴィオラスペース2023」というコンサートのチケットをもらった。ヴィオラが主役のコンサートとは珍しいな、という軽い気持ちで出掛けたら、いきなり「ヴィオラ・ダモーレ」という弦楽器を手にした方がお二人出て来られ、ビーバー作曲「技巧的で楽しい合奏音楽」から「パルティータ第7番」という作品を演奏された。


(Wikipediaからお借りしました)

遠目に見ても弦が4本以上あるし、その分、糸巻きがたくさん付いているから指板が長く見える。私の第一印象は「変な形」(すみません!)だったのだが、いざ、演奏が始まると、ものすごく優しくて豊かな音色に聞き入ってしまった。チェンバロとチェロの音色も
素敵だった。


圧巻はアントワン・タメスティというヴィオラ・ダモーレ奏者が桐朋学園オーケストラと演奏されたヴィヴァルディ作曲「ヴィオラ・ダモーレ協奏曲イ短調」で、透明感のある高音から重厚な低音まで、ヴィオラ・ダモーレの素晴らしい響きを堪能させてもらった。

知識がなくても、音楽は聴く人を感動させる力がある。それを実感した。