インドの友人が写真を一枚送ってきた。
いつもは際どいジョークを送ってくることが多い友人だが、たまにこういう真面目な言葉も紹介してくるから油断できない。笑うつもりでいたのに、ジ~ンと胸を打たれてしまった。

bring out

「人生に於いて、あなたが出会う人にはそれぞれ役割があることに気付くでしょう。ある人はあなたを試し、ある人はあなたを使い、ある人はあなたを愛し、ある人はあなたに教えを授けるでしょう。しかし、その中で真に重要な人たちは、あなたが持っている最上のものを引き出してくれる人たちです。そういう人は滅多にいませんが、何故そうする価値があるのかを思い出させてくれる素晴らしい人たちなのです。」(訳が間違っていたら、ごめんなさい)

これまで一体何人の人と出会ったのか、今や数えようもないが、私が多少なりとも持っていた資質や能力を最初に引き出してくれたのは両親だろう。両親は私に様々な機会を与え、私が最も力強く、快適に生きられる道を探せるよう配慮してくれたように思う。両親に感謝。

次に、社会人としてやって行けるよう、私の特性や長所を引き出して下さったのは最初の上司となられたKさんだろう。何度かデスクをバシンと叩きながら激しい声で叱責された記憶があるが、その度に私は成長させてもらったように思う。Kさんにも感謝。

その後、私から何か引き出してくれた人たちがいるすれば、それは私自身の家族、すなわち妻や娘たちだろう。彼女たちの愛情や信頼を感じたとき、私の中で何かが目覚め、引き出されたように思う。家族にも感謝。

もっとも、娘たちには教育のためのお金や時には洋服代なんかも大量に引き出された気がするが、「それが私たちの役割だったのよ。パパもそうだったでしょ?」とうちの娘たちならサラッと言いそうだ((((((ノ゚⊿゚)ノ はい、悔しいけど全くその通りです(笑)
同志社東京アンサンブルは、東京在住の同志社交響楽団OB、OGの方々が組織された楽団で、年に一度、定期演奏会を開いておられる。今年の演目はモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ序曲」、ブルッフの「ヴァイオリン協奏曲第1番」、そしてベートーベンの「交響曲第7番」。

ベートーベンの交響曲第7番以外は初めて聴く曲だったが、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番には大西 梓さんというヴァイオリニストが出演され、情感のこもる素晴らしい演奏を披露された。100年頑張ってもああいう風には弾けないだろうが、私も頑張ろうと思う。

同志社東京アンサンブル

演奏が終わり、観客席からの拍手を受けられた出演者を見ると、20代から60代、男性より女性がやや多いという感じだろうか。ラグビー部のOB会でも親子2代、時には3代の若手OBから長老OBが一同に会することがあるが、共にプレーすることなどあり得ない。それを思うと、音楽というのは年齢や性別を超えて共に楽しめる素晴らしいものなんだと思う。

シンフォニーの語源は古代ギリシャ語で、sym(共に)phone(音)からできた言葉だとか。又、オーケストラの語源も古代ギリシャ語らしく、こちらは orchemai(私は踊る)から来た言葉だとか。直訳すれば、「私は積極的に参加して共に音を楽しむ」とでもなるのだろうか。パンフレットには来年の演目も発表されていたが、語源に忠実に、素晴らしい交響楽団であって欲しいと思う。
仏教に五眼という教えがあることを知った。辞書によると、1. 肉限、2. 天眼、3. 慧眼、4. 法眼、5. 仏眼の五つで、最初の「肉限」は私たちが持っている眼のことで、最後の「仏眼」はお釈迦様が持っておられた目のことらしい。

これらの間にある「天眼」は三世(過去、現在、未来)十方(四方八方と上下全ての方位)を見ることができる眼で、「慧眼」は因果応報と無常の宿命が見える心の眼力、そして「法眼」は物事をありのまま観て、生けるもの全てを救うことを使命とする菩薩の眼、ということらしい。

仏教徒のくせに不勉強で、正直言うと良く理解できなかったのだが、あるお坊さまが書いておられた言葉が印象に残った。

「肉限は私たちの眼のことですが、目に見えるものは全て見ているなどと思ってはいけません。実際に見ている範囲は狭く、関心の度合いにより見られるものが選り分けられています。」

これはその通りだろう。同じ車に乗っていても、ドライバーと助手席、後部座席に座っているのでは各々見ているものも景色も異なるだろう。同じように、共に過ごす家族や、一緒に学ぶ学生、協力して仕事に取組む仲間でも、関心の対象と見ているものは少しずつ違うように思う。

「天眼は三世十方を見ることができる眼です。難しいことのように思われるでしょうが、人と会ったとき、その人の歩んで来られた人生を思い、ある光景を眺めたり記事を読むときは、過去や未来、世界のことを考えれば良いのです。」

この言葉にはハッとさせられた。最初から「天眼」と聞いた時点で「私には無理、無縁の存在」と諦めていたが、このように言われると、少し想像や思考の範囲を広げるとこれまでとは異なる見え方がしてくるのかなとワクワクしてくる。要は、肉眼に見える人やものにより深い関心や愛情を持てるかどうかで見え方が変わるというより、見方が変わるのだろう。

蓮
(東大キャンパスの中で見付けた蓮)