さて、同志社はどうすれば良いか。
私には妙案も指導力もないから希望を言うしかないが、良く「自由奔放のラグビー」と言われる同志社ラグビーを、私自身は「冷蔵庫ラグビーなんです」と人に説明してきた。

冷蔵庫の中身は毎日入れ替わる。夕食を作ろうと冷蔵庫を開けると、昨日使ってしまった牛肉とピーマンがなくなっている代わりに、今朝買ってきた茄子がある。では、昨日は青椒肉絲を作って美味しく頂いたが、今日は和食にして茄子の揚げ浸しを作ってみよう。決して中華料理に拘っているわけでも和食だけが好きな訳でもなく、その日に使える食材で料理を決める・・そういう人がいる筈だし、非常に合理的なアプローチだと思える。

同じように、大学ラグビー部のメンバーも毎年入れ替わる。春を迎え、グランドに集合すると、貴重な戦力だった4年生が卒業で抜けている。しかし、新しい1年生が入っているし、4年生が務めていたポジションをこなせる3年生や2年生が張り切っている。さて、かれらの特徴を生かし、又、異なる個性や能力を組み合わせると何ができるのか、どんな戦法が可能になるのか・・同志社はそういうチーム作りに一番熱心だったように思う。

料理なら、その日、冷蔵庫にある食材を生かした逸品。その中には必ずこんな組合せが、というサプライズがある。大学ラグビーチームなら、その年、チームが使える能力を生かした戦法で、同じく、サプライズの組合せがある。そういうチームであればこそ、同志社には面白い能力やセンスを持った選手が集まってきたと思うのだがどうだろう。
同志社大学ラグビー部が今シーズンも準決勝進出を果たせなかった。早稲田と明治も敗退し、準決勝の顔ぶれは対抗戦グループから慶應義塾、帝京、筑波、リーグ戦から東海の4校となった。時代が違うと言われると反論できないが、伝統校と言われる早稲田、明治、同志社が勝ち残れなかったことを残念・・を通り越して腹立たしく思う。

帝京大が連覇を始めた頃、その強力FWを前面に押し出すことで手堅く陣地を取りながら前進して行く戦法を「四畳半ラグビー」だと揶揄する声を聞いた。ラグビーグランドは広い。その全面を使わずしてラグビーと言えるのかという皮肉が込められていたのだと思うが、ボールを持っているチームが攻撃側で、そのボールをゴールまで持ち込めば得点になるのだから、悔しければその攻撃を止めれば良いし、又、同じ戦法で反撃すれば良い。しかし、それを許さない強さを帝京は持っていた。

その四畳半ラグビーという批判が帝京の耳に入ったのか、今シーズンの帝京は四畳半ではなく、30畳の大広間が力強く移動するかのようなパワーを見せ付けている。鍛え抜かれた選手たちに、チャンスのとき、そしてピンチのとき、一斉にスイッチが入る。トップスピードでボールをもらい、真っ直ぐに走る。分かってはいるがなかなか出来ない基本プレーを帝京の選手たちは当たり前のように次々に繰り返す。そこに至るまでの練習を想像し、頭の下がる思いがした。

さて、同志社はどうすれば良いか。
もう一人、脚本家、倉本 聰さんのインタビュー記事も大変読み応えがあった。

倉本 聰さん

倉本さんは「バーチャルな議論にごまかされるな」とおっしゃる。例えば、国の1000兆円の借金を1万円札にして日銀の玄関先に積むと、高さ1万キロメートル、重さは10万トンになり、日銀前の地盤はズブズブと沈んで行くとおっしゃる。そう聞くと、あまりに現実味が無さすぎて、本当に国はそこまで借金したのかと思えてくる。

又、倉本さんが脚本家や俳優を養成しようと創設、運営されていた富良野塾では「原始の日」を設け、その日には塾生に鶏の首を絞めさせていたらしい。「残酷だ」、「できない」という反発や拒否もあったらしいが、倉本さんは「誰かが鶏の命を奪って作ったフライドチキンや焼き鳥を、みんなは毎日食べて美味しいと言っているんだから、今日は自分でやれ」と命じられたそうだ。厳しい話に聞こえるが、私たちが直視していない現実がそこにある。

フライドチキンもそうだが、例えば破壊や殺生の現場に立会わなくて済む無人爆撃機も、そして、国民一人ひとりの財布から現金を抜き出して借りてきた訳ではない総額1000兆円の国の借金も、現実の痛みを感じないで済むように開発されたものだから、余程、自制しない限り、乱用してしまう危険性があるということだろう。

倉本さんの直言を読み、クレジットカードを持つことに抵抗を示した父のことを思い出した。現金を持ち歩く危険より、収入の裏付けのない支出に父は危険を感じていたのだろう。父は現実を生きたのだと思う。