クリスマス以来、食べ過ぎの日が続く。
食べたら走る、食べるなら走る、とにかく走る、と固く決意し、お正月の三が日は毎朝代々木公園まで走りに行った。びっくりしたのは、池が凍っていたことだ。

池が凍っている

もっとびっくりしたのは、家の近くの公園まで戻り、うがいをさせてもらおうと水飲み場まで行ったら、蛇口がこうなっていたことだ。

水飲み場

今年は例年より寒い。それを理由に走らなくて済ませる何か良い口実はないか、とズルいことを考え始めたら、バラの花が目に入った。

バラの花

何と美しい!
花は寒いからといって移動できないし、文句一つ言うこともできない。それを思って少し自分が恥ずかしくなった。はい、明日も走ります。 その代わり、しっかり食べますけど(笑)
我が家のお正月には二種類のお雑煮が出てくる。先ず、関東風お澄ましのお雑煮。

お澄ましのお雑煮

そして、白味噌のお雑煮。京都の実家で子供の頃から親しんできたお雑煮だけに、やはり一番しっくり来る。

白味噌のお雑煮

我々夫婦は「東男に京女」ならぬ「東女に京男」の組合せだが、研究熱心なお料理好きの東女で良かった。因みに、年越し蕎麦も我が家は京風「ニシン蕎麦」だ。

年越し蕎麦

私「白味噌のお雑煮とニシン蕎麦、いつも有難う」
妻「えっ?」
私「僕への愛情だよね?」
妻「ううん、私が好きなだけ。それから娘たちも。」
私「・・・」
今年も年賀状が届いた。何年も会っていない友人なのに、「元気か?」と書いてくれているのをみると一気に距離が縮まる。年賀状には不思議な力がある。

では、年賀状を交わし合うようになったのはいつ頃のことなんだろう、と調べている内に、名古屋のフタバさんという印刷屋さんが作られた「年賀状博物館」というサイトに行き着いた。それによると、年賀状を送るには「暦」、「紙」、「文字」、そして「送り届ける通信手段」が必要とのこと。なるほど、これらがいつ揃ったのかを見れば良いということだ。

先ず暦だが、百済から中国式の暦が伝わったのは6世紀中頃。文字(漢字)は紀元前後とのことだが、紙が普及したのは6世紀、そして、大化の改新を経て政治的な伝令書を届ける「飛駅使制度」が始まったのが7世紀中頃。以上から、年賀状が始まったのは7世紀後半ではと推測されていた。それが正しければ何と1300年の歴史がある訳だ。

明治20年(1887年)頃には一般郵便物の配達に遅れが出るほど多くの年賀状が投函されるようになり、昭和10年(1935年)には年賀状の数が7億通に達している。しかし、昭和12年(1940年)に日中戦争が始まると年賀状の取扱いが中止され、昭和20年(1945年)にはゼロとなる。そういう歴史から、年賀状は「平和の象徴」とも言われるようだ。

賀状

恒例に従い、今年は羊に扮して登場した。いろいろな選択肢があるというのも、平和であればこそだろう。感謝して過ごしたいと思う。