5年ぶりに人間ドックを受けた。



私の回りには「俺は人間ドックなんか受けない。そんな検査に頼るより、自分の感覚の方が大事だ」という人や、「下手に悪いところが見つかって、人間ドック依存症になるのは嫌だ」という人もいて、不思議とそういう方々が元気なものだから、ついつい私も人間ドックを敬遠してきた。

ところが、昨年、ラグビー部の先輩が続けて亡くなられたり、同級生から「癌が見つかり手術した」という連絡が続けて来たりしたものだから、さすがに少し心配になり、久しぶりに人間ドックを申し込んだ。

血圧測定、採血、視力と聴力の検査、肺のレントゲン、心電図、そして大の苦手の胃カメラの検査を終えた頃にはヘトヘトになっていたが、身体だけは買い換えも交換もできないし、この身体のお陰でラグビーや登山を楽しみ、最近は合唱やバイオリンでもお世話になっているのだから、もう少し労らないといけなかったのだろう。

最近になり、「身体は資本」を実感できるようになった。身体は約70年間、私の夢の実現や仕事、趣味のために働き続けてきた。考えてみると、一番私の言いなりになり、私のためだけに動いてくれのはこの身体だろう。会社に事業を興し発展させるための資本があるように、私には身体という資本が与えられていたのだ。多少痛めてしまった面もあるけれど、まだまだ使える大切な資本だ。大事にしようと思う。

コーロ・カステロのコンサートに出掛けた。久しぶりだ。初めてその演奏を聴いたのは2011年のことで、それまで男声合唱など聴いたこともなかったので、厚みのある力強い歌声や、男の意地や純情を感じさせるハーモニーに感動し、すっかりファンになってしまった。


(賛助出演の合唱団 城の音)

演奏も素晴らしいが、お客さんへの挨拶や曲目の紹介にはユーモアと遊び心が満載で、お客さんの方も「待ってました」とばかりに笑われるから、一気に会場に優しく暖かな空気が流れる。そういうステージと観客席が直ぐに一体化するコンサートは他では味わえないから、毎年、コンサートに寄らせてもらうことになった。


(賛助出演の成城合唱団)


さて、今回のコンサートだが、僅か15名という小さな合唱団になっておられることに驚いた。元々ご高齢の方が多いことに加え、新型コロナによる活動休止中に亡くなられた方がおられたらしい。それでも、久しぶりに聴いた「浜辺の歌」は安定感のある美しいハーモニーだったし、「帰れ、ソレントへ」では私の大好きな「男の純情」をナポリ語で歌われたソリストの方から感じさせて頂いた。


(コーロ・カステロ)


続く「故郷の人々」と「O'l Man River」でもソリストの方が情緒たっぷりにメロディを歌い上げられたが、後ろの皆さんが控えめながらも美しいコーラスを披露され、チームワークの素晴らしさを感じさせて頂いた。


最後になったが、「ローレライ」では指揮をされていた高嶋先生の美しい歌声を聴かせて頂き大満足。又、なかなかステージに出て来られなかったので、ちょっと心配していた「専属フメクリスト」の宮下氏もお元気そうで安心した。

年賀状に「新しい挑戦を続ける」と書いたので、「今年は何に挑戦するの?」と聞いてくださった方がいる。私の挑戦と挫折の歴史(お料理教室、ゴルフ、ヨガ、乗馬クラブ、スカイダイビングなど)を良くご存知の方だ。



実は、昨年末から新しい挑戦を始めてはいるのだが、未だ継続の自信がないので、「未だ思案中です」と答え、話を逸らそうと「挑戦の挑という字はどこから来たか」という話題に変えた。前から気になっていて、自分なりに仮説を立てていたので、その考えを伝えてみた。

すなわち、「挑」という字は「桃」と似ているから、兆は木になる桃の実のことで、その実を手で取ろうとすることから「挑む」という漢字が生まれた。又、桃の実を取るところを持ち主に見付かってしまい、一目散に桃の実を抱えて逃げた輩がいたことから、「逃げる」という漢字が生まれた。

この「ボル7説」は大ウケしたものの、念のため、インターネットで調べてみたら、「兆」は占いのために火で焼いた亀の甲羅に現れた割れ目から生まれた象形文字だとAIが教えてくれた。なるほど、吉凶を占ったことから「兆し」という意味になったのだろう。

亀の甲羅が占いに使われていたとは知らなかったが、あちらこちらから対立やら分断が聞こえてくる現状を思うと、多少の割れ目は良いとしても、バラバラにはなって欲しくないと思う。