約2年振りに高尾山に登った。天気に恵まれ、木々の緑や空の青さに癒された。

高尾山

もっと軽装でも登れたと思うが、リュックサックは詰め込まれたモノのせいでずっしり重かった。

リュックサック

これがその「モノ」だ。合計4ℓで約4kg。

4kg

実は、毎週のように登っていた頃より体重が4kg増えており、この4kgがどれ程のものか体感したかったのだが、稲荷山から高尾山頂を目指すコースの最後に待ち受ける200段の階段で息が上がってしまった。背負えば慣れる4kgも実際には心肺機能に負担を掛けているようだ。さて、どうしたものか。

そこで、「4kg」との対話(笑)

「君たち4kgを落とそうと思う」
「そんな勝手な。我々は好きで増殖したんで?」
「いや、そうではないが・・」
「食いしん坊なのは我々?」
「いや、私のようだ」
「あなたに不快な思いをさせましたか?」
「いや、そこまででは・・」
「あなたを病気にしましたか?」
「いや、私は健康だ」
「あなたの職業はファッションモデル?」
「いや、違う」
「 で、4kg痩せたいと?」
「・・・・」

ということで、しばらくはこのまま行こうと思う(笑)
バッハの「二つのバイオリンのための協奏曲」を弾いた。一人では演奏できない曲だが、幸い、勤務先の同僚Oさんが第一バイオリンを引き受けてくれた。又、ピアノ伴奏はいつも通り同じ合唱団のTさんにお願いできたので、両手に花の演奏という贅沢な機会に恵まれた。

バイオリン

問題は実力差があったことで、ピアノのTさんも第一バイオリンのOさんもバッハの希望通り早く弾けるのだが、私はそのスピードに付いていけない。無理に付いて行こうとすると左手の指が絡まって狂った音を出してしまい、聞くに耐えない演奏になる。そこから苦悩が始まった。

先生はきちんと弾けることが大事だと常々おっしゃるが、合同練習になるとついつい速く弾こうとして失敗する。そうすると、そのスピードでも失敗しないようになろうと何度も速く弾き、同じところで再び失敗する。この悪循環にはまり、自信を失くしてしまった。

本番一週間前のレッスンで先生にそれを訴えたら、私がミスなく弾ける限界スピードを測って下さった。そのことから、大学時代、ラグビーの走るコースを確認する練習で「全員歩いてやれ」と言われたことを思い出した。

走るコースを歩いて学ぶことには違和感があったが、やり始めると、味方の選手や敵の選手のポジショニングから、自分はここにいないとまずいという場所が良く分かってくる。なるほど、「ゆっくりやってできひんことは、絶対に速くはできひんねん」とコーチも言っていた。

それからは速く弾くと失敗する3カ所を繰り返しゆっくり練習することにした。結局、本番ではその内の2カ所は辛うじてクリアできたものの、最後の1カ所で指がもつれ、1小節飛ばしてしまったが、その後すぐに追いつけたのは動揺が少なかったからだろう。バイオリンもラグビーも地道な練習が大事ということか。
先日お邪魔したお寺さんの広報誌に「猫も杓子も」という言葉の由来が紹介されていた。「誰も彼もが」という意味だが、元はと言うと一休さんの歌にあった言葉らしい。

生まれては
死ぬるなりけり
おしなべて
釈迦も達磨も
猫も杓子も

たとえお釈迦さまでも達磨大師でも、生まれた限りは必ず死ぬ、という意味だが、「猫も杓子も」の杓子はご飯をよそう時に使うしゃもじのことだ。では何故、猫としゃもじが出てくるのか? これにはいくつかの説があるそうだが、そのお寺さんは次の説が有力だと書いておられた。

神官のことを禰宜(ねぎ)と言い、その子供を禰子(ねこ)という。一方、僧侶はお釈迦さまの弟子なので釈子(しゃくし)。だから「禰子も釈子も」で、何を信じていようとも死ぬのは同じ。その一休さんの言葉が広く人々の間に伝わっていく間に「猫も杓子も」になった。なるほど。

スコアボード

東大ラグビー場を訪れるとスコアボードが目に入る。以前はそんなことを考えもしなかったが、最近は自分の人生が後半に入っていること、しかも、人生がラグビーゲームなら後半20分を迎えていることを強く感じる。あと20分でノーサイド。人生80年なら、あと20年でノーサイドだ。ラグビーではチーム本来の力が出る時間帯だと言われているが、人生も多分同じで、これからの20年の生き方で真価が問われるのだと思う。ラグビー同様、攻め続けようと思う。