先日お邪魔したお寺さんの広報誌に「猫も杓子も」という言葉の由来が紹介されていた。「誰も彼もが」という意味だが、元はと言うと一休さんの歌にあった言葉らしい。

生まれては
死ぬるなりけり
おしなべて
釈迦も達磨も
猫も杓子も

たとえお釈迦さまでも達磨大師でも、生まれた限りは必ず死ぬ、という意味だが、「猫も杓子も」の杓子はご飯をよそう時に使うしゃもじのことだ。では何故、猫としゃもじが出てくるのか? これにはいくつかの説があるそうだが、そのお寺さんは次の説が有力だと書いておられた。

神官のことを禰宜(ねぎ)と言い、その子供を禰子(ねこ)という。一方、僧侶はお釈迦さまの弟子なので釈子(しゃくし)。だから「禰子も釈子も」で、何を信じていようとも死ぬのは同じ。その一休さんの言葉が広く人々の間に伝わっていく間に「猫も杓子も」になった。なるほど。

スコアボード

東大ラグビー場を訪れるとスコアボードが目に入る。以前はそんなことを考えもしなかったが、最近は自分の人生が後半に入っていること、しかも、人生がラグビーゲームなら後半20分を迎えていることを強く感じる。あと20分でノーサイド。人生80年なら、あと20年でノーサイドだ。ラグビーではチーム本来の力が出る時間帯だと言われているが、人生も多分同じで、これからの20年の生き方で真価が問われるのだと思う。ラグビー同様、攻め続けようと思う。