コンサートはいよいよ後半へと進むが、その前に、ご自身も息子さんもラグビーをされている「けーいちさん」からコメントを頂いた。お歳暮で頂戴した「六瓢息災」の記事にコメント下さったものだが、コーロ・カステロが歌われたインドネシアの「Halo Halo Bandung」の背景となったオランダ統治に触れておられた。

 

「それから別の日の日記ですがインドネシアに対するオランダの統治は本当に熾烈で、ベトナム他のフランスのそれとは全く問題にならなかったという回想録をたった今よんでいたところでした。引き続き、更新を楽しみにしています!」

 

インドネシアで今も愛国歌として歌われているのは、そういう困難な時代の経験が歌に託され、語り継がれているからだろう。これも歌の力なのだと思う。けーいちさん、有難うございました!

 

さて、後半のステージが始まり、コーロ・カステロとは縁の深い「合唱団 城の音」が登場された。大きな拍手が湧いたが、メンバーの中に小澤征爾さんが居られることに気付いた。私にとっては「世界のオザワ」で近寄りがたい存在だが、メンバーの皆さんは平気な顔で一緒に演奏の準備をされている。それが不思議でもあり、微笑ましくもあり、又、羨ましくもあった。

 

「やさしく友をむかえよ」(旧讃美歌393番)は豊かな歌声が会場に響き渡り、うっとりしてしまった。こういう風に讃美歌を歌ってもらえれば神さまもお喜びになるだろう・・・そんな気持ちになるくらい美しい讃美歌だった。「ナルドの壺」(旧讃美歌395番)は小澤征爾さんが指揮をされた。全身を使っての自由自在の指揮は見応えがあり、ついついそちらに見とれてしまい、肝心の合唱の印象が薄れてしまった。すみません!最後に歌われたのは「My Lord What a Morning」という黒人霊歌で、優しく語りかけるような歌声が印象的だった。

 

讃美歌を歌うことから始まった合唱団だけあり、歌声に優しさや励ましや、又、諭して聞かせるようなメッセージがあったように思う。とても感動した。

 

(続く)

演奏に戻られたコーロ・カステロは、外国の歌を続けて6曲歌われたが、「ハワイ結婚の歌」にはウクレレ、ギター、波の音を出す楽器が登場し、メンバーの首にはレイ、中にはアロハシャツを着た方、更には女装のテナーが花嫁姿で登場され、目にも耳にも賑やかな舞台となった。コーロ・カステロの旺盛なサービス精神を象徴していたように思う。それにしても、あのテナーの方の高い声はどこから出るのだろう。

 

胸にジーンと来たのは「Old Folks at Home」(故郷の人々/スワニー河)で、1954年の第1回コンサートでも歌われたとのことだったが、哀愁漂うハーモニーに見事な強弱と緩急が付き、途中から目を閉じて聴かせて頂いた。とても良かった。

 

「Tramp, Tramp, Tramp」は私が初めてコーロ・カステロのコンサートにお邪魔したときに聴いた曲だが、実は我が母校、同志社の応援歌と同じメロディーなのに驚いた記憶がある。どうやら、元々はアメリカ南北戦争の時代に北軍を鼓舞する曲として生まれ、これが北軍に従軍していたクラーク博士により日本に伝えられ、北大では校歌となり、同志社では応援歌となったらしい。歌詞は異なるが、この曲を聴くと元気が湧く。選曲に感謝。

 

驚いたのは「White Christmas」だ。指揮者である高嶋先生の独唱を初めて聴かせて頂いたのだが、力強いのに伸びやかで、とても柔らかな歌声にびっくりしてしまった。高嶋先生には失礼だが、こんなにお上手だとは思わず、最後まで大きく目を見開いたまま聴かせて頂いた。さて、この歌は太平洋戦争開戦の翌年、1942年にビング・クロスビーが歌い、故郷への郷愁にかられた前線の兵士から軍ラジオ局にリクエストが殺到したとのこと。そういう兵士の気持ちが分かるように思える、素晴らしい演奏だった。 

 

ここで、コーロ・カステロは一旦舞台から下がられ、成城大学合唱団が3曲、コール・ブルグが3曲、それぞれ歌を披露された。成城大学合唱団の「テルーの唄」は女声のみの合唱で、ユニゾンの部分がとても美しかった。その後、男性が加わり、「もののけ姫」と「となりのトトロ」を歌われたが、若くてみずみずしい歌声が印象的だった。コーロ・ブルグはジョン・ラターの作品から2曲、それからヴェルナー作曲の「野ばら」を歌われたが、感情を込めるという点で、学生の直ぐ後だったこともあり、熟練の味を感じさせたように思う。

 

(続く)

コーロ・カステロのコンサートを聴きに行った。今回は70周年を記念するコンサートで、いつも賛助出演されている「合唱団 城の音」だけではなく、現役の大学生が組織する「成城大学合唱団」と、同合唱団のOBOGがメンバーの「コール・ブルク」も参加され、大変賑やかで、さまざまな合唱を楽しめるコンサートになった。

 

 

最初に出て来られたのは主役のコーロ・カステロで、インドネシアの歌を2曲、中国の曲を1曲披露されたが、インドネシアの「Halo Halo Bandung」(ハロ・ハロ・バンドン)が強く印象に残った。1942年、日本軍の侵攻によりインドネシアは350年に亘るオランダ統治から解放されるが、1945年の日本敗戦により再び英蘭軍が独立を阻もうと美しい街、バンドンに逆襲してくる。劣勢のインドネシア軍はバンドンの街が英蘭軍に奪われることを嫌い、将来の奪還を誓って自ら焼き払う。その時の決意を込めた歌とのことだが、「バンドンを燃やすのだから、絶対に負ける訳にはいかないぞ」という悲壮な決意が伝わってくるようで感動した。男声合唱ならではの歌だったと思う。

 

その後に歌われた「浜辺の歌」は安心して聴いていられるとでも言うのだろうか、寄せては返す波が目に迫ってくるような、滑らかだが波の力を感じさせる自然な歌声だった。植村さんの優しい音色のフルートもこの曲にピッタリ合っていて素晴らしかったと思う。

 

ここで、指揮者とピアニストが紹介され、「指揮者の高嶋先生は、あの小澤征爾さんも『先生』と呼ばれる方です」という紹介に場内が沸いた。高嶋先生は成城学園で教鞭を取っておられたことから、小澤征爾さんに「高嶋先生」と呼ばれる場面があったということのようだが、コーロ・カステロの皆さんがお二人を敬愛されていることが伝わってきて、こういうときに成城学園というのは素敵な学校だなと感じる。又、ピアニストの宮下節さんも紹介されたが、パンフレットに掲載されていた「カステロとともに歩んで」という宮下さんの挨拶文を読むと、コーロ・カステロの普段の様子が分かって面白い。全文は長いので、一部ご紹介したい。

 

「(コーロ・カステロの発足から)数年後、『ピアノもできるから入れて下さい』と小澤征爾少年が参加。『すごいヤツがいる!』と言って、ああしろ、こうしろと小澤少年を“こき使った”というエピソードがあります。(中略) 数十年前に征爾さんを“こき使った”カステロは、もちろん、私にも同様に接して下さり、『そこ、高い声は出ないから3度下げて伴奏を弾いて!』、『全音符と書いてあるけど、何か音を入れて間をつないで』などの難題が突然投げかけられます。私はそんな試練をいくつも乗り越えて、カステロ伴奏という特殊技能を身に着けて今日に至りました(笑)永久団員を含むメンバーの皆様に温かく育てて頂いたことを深く感謝してやみません。」

 

私は「カステロ伴奏という特殊技能を身につけて」というところで吹き出したのだが、宮下さんとメンバーの皆さんの深い信頼関係を思うと、コーロ・カステロには相手のことを思いやれる愛情深い方々が多く揃われたのだろうと思う。

 

(続く)