W杯で盛り上がっているが、ベスト32で敗退した日本代表チームを「縮まった?世界との差」というタイトルで取り上げた記事を読んだ。



なるほど、そうか、と思えた箇所が二つあった。

「三笘薫選手や遠藤航選手ら中心選手を負傷で欠き、久保建英選手もオランダ戦で負傷交代した。しかし不測の事態が続いても森保監督による『誰が出ても勝つ、誰と組んでも機能する』という強化の成果の一端を見ることができた。」

もう一つ、

「主力の一人、堂安律選手のブラジル戦後の言葉が印象的だった。『日本代表の中で誰がブラジル代表に入れるかを言い出すと、うーん・・・とクエスチョンになる。結局そこが今の日本代表の答えなんじゃないか』」

どんなスポーツでも、特にそれが団体競技なら、選手層の厚さや意思統一の完成度が問われると思う。しかし、同じ数のプレーヤーで戦う競技で均衡を破ってチャンスを作るのは、特に秀でた能力か、他者が真似できない能力を有する選手なのだろう。そういう選手が増えることで、もっと興奮できるサッカーになるということだろう。

「公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会による合唱コンクール」の開催を紹介していた記事のタイトルだ。何のことやら、と興味津々で読ませて頂いた(毎日新聞6月30日夕刊)。



6月6日に東京・銀座で開催されたコンクールには、ギャンブル依存症の家族、児童養護施設の職員と子どもたち、我が子の非行と向き合う親たち、知的障害のある子どもたちと歌う合唱団、わずか5人の高校合唱部など26団体の出場があったとのこと。「誰でも再起できる社会」を目指そうという、各々の思いが込められたハーモニーが次々に披露されたようだ。

この記事を書いた小国綾子記者は、9年間一緒に歌ってきたという代々木病院精神科デイケアの「ハートビートコーラス」の仲間たちと出場し、星野源さんの「ドラえもん」を歌われたとか。歌詞にある「だからここにおいでよ/一緒に冒険しよう/何者でなくても世界を救おう」に、依存症や精神疾患と向き合う人たちが生きやすい社会をつくろうという思いを込めたと記しておられた。

小国記者がおっしゃる通り、歌には思いを込められるし、それが独唱ではなく合唱なら、さらに豊かで力のある思いを聴く人に届けられるに違いない。審査員の一人で、薬物依存症の啓発活動に取り組んでおられる高知東生さんは講評の途中で感動の涙を流されたらしいし、客席からもすすり泣きが聞こえてきたとのこと。素晴らしい。

合唱には孤独や不安の解消、メンタルヘルスの改善に効果があるとの研究結果から、イギリスでは健康問題を抱える住民に薬を処方するのではなく、合唱団や地域農園などコミュニティへの参加を促す「社会的処方」が注目されているらしい。なるほど、だから合唱は「人薬(ひとぐすり)」で「音薬(おとぐすり)」なのだ。

朝刊を取りに行こうとエレベーターに乗ったら、「今日はアインシュタイン記念日です。特殊相対性理論の論文を提出した日です。」という案内がエレベーター内のデジタル画面に出ていた。


そこで、アインシュタインのことを調べ始めたら、彼は少年時代、暗記中心の退屈な授業や権威主義的、強制的な教育に馴染めず、質問をする度に先生に叱られ、問題児扱いされてしまう学校が大嫌いになり、「教育とは学校で習った全てのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るもののことである。」と語っていることが分かった。


上手いこと言うなぁと感心し、ところで、私には何が残っているだろうと考えたら、家の近くの幼稚園の掲示板に書かれていた言葉を思い出した。



「はきものをそろえると、心もそろう。心がそろうと、はきものもそろう 。ぬぐときにそろえておくと、はくときに心がみだれない 。だれかがみだしておいたら、だまってそろえておいてあげよう 。そうすればきっと、世界中の人の心も、そろうでしょう 。」

道元禅師の言葉。子供の頃、脱いだ靴はちゃんと揃えるよう母にしつけられた。それは今も守っている。ちょっと自慢したくなったが、私を良く知る人は、「だって、お前は学校で何も学んでないから、そら、お母さんの教えだけが残るわな」と言いそうだ(笑)