40代、50代の男性とランチした。いずれも年長者を敬い、聞き役に徹する礼儀正しいビジネスマンだったから、ついつい私が喋りすぎてしまったが、短い会話の中で、「やっぱり最近の若者は(私からすると彼らは成年ではなく青年)違うなぁ」と感じることがあった。


それは、今の勤務先を「通過点」と捉えていることだ。我々の年代は終身雇用や年功序列を前提に就職先を考えたり、就職先に忠節を尽くしてきたように思うが、彼らは既に転職を経験していたり考えたりしている。「学べることがなくなれば転職を・・」ということらしい。我々の年代とは異なる姿勢だ。


AIはジェネレーション・ギャップを「世代や年齢の違いによって価値観や考え方、文化、行動様式などにズレが生じること」と解説しているが、これだけ大きく世の中が変化したら、価値観が変わるのは当たり前だし、もっと言えば、我々の世代とは異なる考え方をしないと幸せな人生にはならないようにも思う。


私が社会に出たのは47年前だが、三井と住友が同じ銀行になるとは想像もしなかったし、東芝はずっと「サザエさん」のスポンサーをやるものと信じて疑わなかった。こうなると「社訓」も「家訓」も下手に残せなくなるし、可愛い孫たちに望むことがあるとすれば、「健康であれ」と「好奇心を失うな」だろうか。

NHKの朝ドラ「あんぱん」を欠かさず見ているが、このところ、時代背景が戦時下となったため、どうか皆さんご無事でと祈るような気持ちで見ている。


さて、のぶさんや崇のふるさと、御免与町は南国市の後免町をモデルにしているとのこと。その後免町という地名を生かし、南国市が毎年「ハガキでごめんなさい」というコンクールを催しておられるが、なんと第21回を数えたようだ。HPを見たら、次のようなメッセージで応募を呼び掛けておられた。


人には誰にも、言いそびれた「ごめんなさい」があるものです。そんな「ごめんなさい」を、素直な気持ちで、1枚のハガキに託して、私たちの町『ごめん』に送ってください。


はい、その通りで、実は私にも言いそびれた「ごめんなさい」があったので、第3回「ハガキでごめんなさい」コンクールに応募し、運良く入選して南国郵便局局長賞まで頂いた。次の「ごめんなさい」だ。



案外「ごめんなさい」は言い辛い。このコンクールがなければ、未だに言えていなかったように思う。後免町に感謝。

昨日は「父の日」だった。子供の頃から見ている日テレの「笑点」で「父の日から始まる五七五の川柳を」という出題があり、三遊亭小遊三さんが「父の日も  良いけど欲しいな  じいじの日」とお答えになり、座布団は貰えなかったものの、客席からの笑いと拍手を受けておられた。



日本には未だ「じいじの日」はないと思うが、孫娘が手作りのスイートポテトとコーヒー豆をプレゼントしてくれた。私は老人扱いされたくない高齢者ではあるが、昨日は幸せな「じいじの日」になった。感謝。