ずいぶんご無沙汰してしまった(汗)

日本からの援軍が到着したのが9月上旬。
今日、帰国してしまった 飛行機
長い長いと思っていた滞在だったけど、終わってみればあっという間。


喧嘩しつつも、甘えさせてもらった。
ほんと、英語もできないのによくアメリカまで来てくれた。

今回の渡米にあたってはborarn一家総出のイベント。

1人では心細くて飛行機に乗れないというborarn母と一緒にborarn父も渡米。1週間程の滞在をしてborarn父は帰国したんだけど・・・小さなisanがいるのと、私もいろんな疲れから動き回る気にもなれず、いろいろ連れて行ってあげることもできなかった。 しょぼん

それから1ヶ月近くborarn母は滞在。英語が全くできないのに、最後には1人でアメリカンスーパーに行って買い物ができるまでに。はじめは日本食材店しかいけないだろうと思っていたんだけど、意外にも普通のアメリカのスーパーの方が気に入った様子。毎日楽しそうに家事をしつつ過ごしてくれたborarn母。アメリカの食材にも慣れて、あれこれ工夫してはご飯を作ってくれたよ。 おにぎり

帰りはまたもや1人で飛行機に乗れない母のためにborarn姉が渡米。
会社・・・連休10日取って ガーン
仕事でも英語を使っているので、私なんかよりもはるかに英語のできるborarn姉。頼りまくり(汗)今まで、いろいろ連れて行ってあげられなかったborarn母を観光に連れて行ってくれたり、isanをかわいがってくれたり。


ほんとにほんとに・・・ありがとう 音譜

にぎやかだった我が家もちょっぴり静か。正直、さみしい。
もちろん、rajaやisanも同じ気持ち。

とはいえ、いつまでも甘えてばかりいれないよね。
新米だけど、がんばるぞ!
ブログもぼちぼち更新します。

※ 写真は滞在中にborarn母が作った Jack-o'-Lantern
   今、アメリカはハロウィンモードの真っ最中

母の作品



1ヶ月検診、すませてきました。

出産後、大変だった日々も今は嘘のよう OK
ようやく退院して我が家で私とrajaとisanの本当の生活が始まった。
キラキラと想像していた生活。


が・・・・・やはり育児は大変だった ショック!

日本からの援軍も到着し、援軍がアメリカになじむまでは心配事も増加(笑)
想像した通り、夜もまとまって寝れない。ついでに、おっぱいがでない あせる
この問題が退院後からの私の悩みの種。

やっと援軍もアメリカ生活にもなじんで(諦めて)くれたよう。最初は(今も?)喧嘩ばかり(笑)
おっぱいが出るように、しっかり食べろとご飯を作ってくれたり、家事をこなしてくれるのはありがたい。

バタバタな毎日を過ごしながら「isanは順調に成長してるんだろうか?」などと思ったり、母乳が増えないことにいらだちを覚えたり。子育てが親を育てるとはよく言ったもんで、私もコイツに育てられているようです。

そんな中での1ヶ月検診。

3259g/50.8cmで産まれたisan。1ヶ月検診では4365g/55.2cm。平均的なアメリカの子供の大きさですよとの太鼓判。isanは典型的な日本人を両親に持つ子供なんですけどね(笑)ミルクについては、いまだ順調に出てこない私のおっぱい。母乳をもっと出すためにも、少しずつでもフォーミュラをやめたり減らしたりするようにとの指示。

コレが難しいなりよ・・・・ しょぼん

とにもかくにも、結果は・・・順調♪
まだまだ始まったばかりの「路地裏キッチン with Baby」
マイペースに頑張ろう! なぁ、isan 黄色い花




一晩中黄疸治療をした翌日。
夜中、バタバタしてたけど・・・ビリルビン値は下がったかな?

だけど・・・・・
朝からなにやらDrがやってきて妙な空気 病院

「ビリルビン値は徐々に下がってきているけど、体温の上下が激しい。また、心電図が安定しない。黄疸はよくなっているが、今の状態は健康的とはいえないと思われるので検査をしたい」

はい?
isanは黄疸ですよね?他に悪い所があるの?

プチパニック状態の私。

数分で戻ってくるので安心して下さいといわれ、isanは連れて行かれる。

なんなのよ~ 汗

しばらく待つけど、isan戻ってこない(涙)
待ちきれない私のためにrajaが聞きにいってくれたり。

戻ってきたDrからの言葉は・・・「原因は分からないのでNICUに移します」

どういうことよ~!!!!!!NICUって・・・新生児特定集中治療室でしょ?何か大きな病気の可能性があるってこと?何より、英語で伝えられてもよくわからないというのがさらに不安。昨日の一晩はなんだったの?そしてここじゃできないからNICUに移すって・・・?最初からそっちに行ってればよかったんでは???いろんな気持ちが交錯して、もう感情が抑えられない。普段、人前で泣くことなどない私だけど、今はそんな事かまってられない状況。

荷物をまとめてとにかくNICUに移動。
なんか物々しい出入口。isanは個室に通されることに・・・。

動揺したまま収まらない私に「大丈夫よ」と、Drもナースも気遣ってくれるけど・・・。英語とか聞き取れる状況じゃないし・・・っていうか、気持ち収まらない。Drもナースもどうしたもんかとオロオロしてるし。

最終的には私のために通訳をつけてくれて状況を説明してくれた。

心配だった心電図もちゃんと調査すると正常とのこと。ただ、何かのバクテリアに感染している可能性が否定できないとのことで抗生物質の投与が必要なんだそうな。しばらくは入院生活が続くことに。

ひとまず安心とのことなので・・・あとはここでお世話になって、回復を待つだけ。
とはいえ、私たちでできるだけのことはしたい。

入院中の授乳時にはできれば自分たちでやりたいので、日中は病室に滞在。夜もできる限りは通うことに。母乳の出が悪い私は看護婦さんから「よく休んで食べて寝ること」といわれてたので、rajaだけ行ったり・・・。早朝は朝と昼のご飯を持って病院へ行って、朝一の授乳をすんだら病院のカフェでrajaとご飯を食べる日々。作りお期していたご飯がこういう時に役立つとは・・・・・複雑な心境。

アメリカ生活の中でまさかのNICU。
写真は退院間近のNICUでのisan。


NICU



今回の件、改めてrajaには感謝。
ほんとによく支えてくれたと思う。疲労もピークだっただろうに・・・。
振り返れば、ほんとにこの人の子供を産んでよかったと思う。
isanもきっとそう思ってくれるだろう。



2日の入院生活も無事に終えて、退院。
コレからが本当に3人で生活をスタートさせるんだ!

日本からの助っ人は予定日よりも早く産まれたこともあり、到着まではまだまだ。
rajaと一緒に頑張らねば。そう、Baby(isan)も一緒に。

退院時、血液検査の結果からビリルビン値が高めなのが心配だとの報告を受ける。
退院の翌日には再度数値を計るので、病院に来るようにとの指示。生後3日の子供を連れて外出かぁ。日本じゃ考えられない。でも、ここはアメリカ。たくましく生きなければ。病院ではよく日光に当てる事、母乳を飲ませる事、などと注意事項を聞くが・・・母乳あんまり出てないんですけど(涙)

翌日、病院へ行き血液検査。小さな小さな足から採血され、痛いだろうにと思うけれど仕方ない 汗
ぎゃーぎゃー泣くかと思いきや、そう泣きもしない。強いのか?

無事採血終えて、帰宅すると・・・またもや病院からの電話。
昨日より数値が上がっているので、また明日も来なさいとの事。

マヂっ!?

連日の採血とは・・・ちょっと心配。

翌日は早朝天気もよかったので日光に当ててみたり、出ないおっぱいをあげてみたり・・・。いわれた10時に再度病院に行って、採血。

今度は大丈夫かな あせる

帰宅後、また病院から電話 電話

数値がまだ上がっているので、かかりつけ医から午後4時までに連絡がなければ病院に直接来なさいとのこと。黄疸の治療をする必要があるんだとか・・・ ショック!

その後かかりつけ医からも連絡が入り、彼の所に来るようにとの指示。
時間通りに診療に向かう。Drは様子を見て、出産した病院とは違う、近くの病院へ連絡。黄疸治療に行くことに決定。この黄疸治療は24時間、青い光を浴び続けなくてないけない。私たちも付き添って過ごすことに。出産退院から2日。まさかの事態。

病院につくと、保険の確認をすませて小児科病棟へ
ここでも問診をすませて、さっそく光線治療。こんな感じで青い光を浴びせられるisan。ごめんね しょぼん

jaundice

私たちはソファーが簡易ベットになるので、そこで休息。
途中、部屋を変えられたり、血液採取などで看護婦さんやらお医者さんやらがバタバタしている。

何となく不安な夜。
痛みはないんだろうが、isanの姿を見てると・・・なんとなく涙が出る。

こんな小さな身体で光線治療と呼ばれる黄疸の治療を余儀なくされたことに、かな~りブルーな気持ち+申し訳ない気持ちでいっぱいになる私とraja。きっと、苦しかったんだろうななんて思ったり。マタニティブルーも手伝ってか、妙に涙もろい。でも、わたし以上にisanが大変なのだ。私たちがしっかりしないといけないんだよね。

黄疸治療が無事すめば、ビリルビン値が下がれば、家に帰れるんだ!
がんばろう!そう思って過ごした一夜。



無事出産を終えて、Babyの体をチェックして分娩室から普通の部屋へ。
ベットから起き上がるとすごい目眩。こんなの今まで経験した事ないよ~ ガーン 酸素を持ってこられて、点滴?されて・・ようやく落ち着いた頃に部屋を移動する事に。無痛分娩を選んだ私は歩く事もままならないので、車椅子で。

部屋に移るやいなや看護婦さんがトイレに行けと・・・無理です。
出ません・・・・。
とにかく、600mlの尿を出した事を確認しなくちゃいけないのと看護婦さん。2回はトイレを手伝うのでいきたくなったら呼べというけど・・・まだ自分の足の感覚も微妙なのに、トイレだなんて あせる 水分を取れと何度も何度も言われ、水やらお茶やら飲み続ける私。出産後の初トイレがかなり時間がかかったので初めて看護婦さんを呼んだ時には「待ってたわぁ~」と言われる始末(笑)

とにかく、出産後の身体の悩みは「おしも」事情。会陰切開をさけたいというBirth Planでしたが、避けられずに会陰切開されて、縫合された私。感覚が戻る頃には、それはそれは痛いのなんの 汗 クスリ嫌いの私は鎮痛剤をもらうのをずっと我慢してましたが、看護婦さんから「ほんとに痛くないの?我慢は体に良くないわ」といわれ・・・飲み始めてからは退院後もしばらく手放せませんでした。この会陰切開の後、かなり痛いですよ 汗汗汗 ついでに、悪露もびっくりするくらい最初は多い。なんにも知らない私は「こんなに血を流して大丈夫か!?」と思ったり。百聞は一見にしかずとはよく言ったモノ。経験しないと分からない事だらけ。

出産後、トイレを始めいろいろ大変だと知識はあったけど・・・どうなるの私。ちょっと不安。

それでも、出産を終えた安堵感も徐々に出てくる。さっきまで私のお腹にいたはずのBaby。「コイツが入ってたんだぁ」としみじみ。そういや、出産すればお腹はぺちゃんこになると思っていた私。10ヶ月かけて大きくなったお腹は、そんなに簡単に小さくならないようでして(笑)出産しても、まだ妊婦みたいなお腹に「いつ、元に戻るの?」と不安になったり(爆)・・・とはいえ、陣痛中、分娩室にいるときから、めちゃめちゃ喉が渇いてお腹がすいたなぁ。出産後すぐにクランベリージュースをもらい、さらに部屋を変わってしばらくすると昼食が登場。立ち会ってくれていたrajaもお腹すいてるはず。2人でそのご飯を食べつつ、冷凍庫に保存食として作ってあったパンを持ってきていたので、コレもレンジでチンして食べて・・・。

病院は完全個室の母子同室なので昼夜問わずに一緒。ソファーが簡易ベットに変わるのでそこがrajaの寝床。基本食事は私のだけなので、病院食を2人で分けつつ、家からおにぎりや保存食持ってきて食べたり・・・夕飯はrajaは家で食べてお風呂も入ってから、病院に戻ってきてくれてました。心配していたご飯も、思ったよりおいしかったし。快適とはいえないベットだけど、1人で夜を過ごすより、いてくれた方が安心。感謝、感謝。

そばにはバジネットに入ったBaby。親子3人で過ごす時間 ニコニコ

アメリカは2日で退院。私の場合は早朝に入ったので産後2晩いることになる。もし、夜に入った場合は・・・・もしかして産後1晩しかいられないの!?それは、結構きついんでは?

ともあれ、入院生活を過ごして退院!
入院中もほとんど世話は自分たちでしていたといっても、看護婦さんが様子を見に来てくれたりするので、新米ママとしては心強い限り。コレからは私がしっかり見なきゃ。カーシートに乗せた小さな我が子を見てしみじみ思った。