ショットバー ブートレッガー SENGAWA BAR HOPPIN' -13ページ目

ショットバー ブートレッガー SENGAWA BAR HOPPIN'

BAR HOPPIN'とは・・・・バー巡りのコト
あなたは今夜、どこで呑みますか?
ブートレッガーは仙川の南の端ッコのショットバーです
ブートの酒番が、あんなコトやこんなコトをブログにアップしてますw

ご注意!!

この「ヘンリー・モルガンのお話し」は

か~なり長ったらしい記事です。

興味のナイ方は読み飛ばしちゃって下さいネ。

「そこまで云うんなら最後まで付き合ってやろうじゃないか!!」

と仰る方は気長~な気持ちでお読み下さいマセ m(u_u)m

前回のお話しはこちら


海賊船の発掘

今年2011年8月4日米国テキサス州立大学の発掘調査団がカリブの海底(パナマ共和国チャグレス川河口付近)で17世紀後半に沈んだ帆船の右舷舷側の遺物と未開封の箱とチェストを発見しました。調査は始まったばかりですが、調査団はカリブで名を馳せた、キャプテン・モルガンの率いた海賊船、サティスファクション(Satisfaction)号ではないかと期待しています。


SENGAWA BAR HOPPIN'

バルバドスへ

キャプテン・モルガンことヘンリー・モルガンは17世紀イングランド王国のウェールズで生まれ、後年カリブ海域の一介の海賊から “サー”の称号と、ジャマイカ総督代理の地位を手に入れた立志伝中の実在人物です。


モルガンが生まれた1635年のイングランドはウェールズ出身者にとってパッとしない時代でした。

40年前のウェールズ系チューダー王朝全盛の時代なら、多数のウェールズ人が王室に重用される華々しい記憶がありました。ウェールズ人海賊ドレイクがエリザベス女王にスペインから奪った莫大な財宝を献上し、彼女に「私の海賊」と呼ばれた時代です。しかしそれも“今は昔”のお話しでした。

モルガンが誕生する前に頼みのウェールズ系王朝は断絶し、さらに物心の付いた頃には市民革命(清教徒革命)のゴタゴタで国が議会派と王党派に二分されます。


イングランドは既得権の通用しない革命という名のパラダイム・シフトに覆われ、後ろ盾のない若者に将来の夢を見させてくれるところではなかった様です。


共和制が成立した翌年の1650年、モルガンは若干15歳で自らの活路を見出そうと、年季奉公人としてカリブ海の新天地バルバドス島に単身渡航します。

バルバドス島は当時さとうきびプランテーションが盛んになり、農作業用に“潰しの効く” 21歳以下の若者を求めていました。

年季奉公人とは渡航料金や現地での衣食住を農園側が保証する代わりに、無給で働きながら仕事を覚えて新大陸での足掛かりをつくる当時ポピュラーな制度でした。

(年季奉公人は主に没落した貧農出身者が多いのですが、モルガンの出自については裕福なヨーマン(独立自営農)の出とか、ウェールズ貴族に連なる高貴な身分だとする説もあります)

もっともこの制度はカリブではすぐにアフリカ系奴隷に取って代わられますが・・・。


実はモルガンは年季奉公人ではなく英西戦争勃発に伴い1655年にクロムウェルの発動した“新大陸の先住民をスペインの圧制から救う!? ”「西方計画」時にジャマイカにやって来た水兵だったとする説もあります。

ここでは後年彼がバルバドスド(Barbadosed バルバドス上がり、とでも訳すのでしょうか?)と仲間から呼ばれたことや、奉公人名簿'Bristol Apprentice Books'1655年2月9日欄に同姓同名者がいることから、年季奉公人説を採り、お話しを進めたいと思います。 (つづく )


(この記事は独自の解釈や推測が含まれています。

定説と一部異なり、また、確定していない内容をも

含んでいます。予め、ご了承下さい。)


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ご注意!!注意

この「ヘンリー・モルガンのお話し」は

か~なり長ったらしい記事です。

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前回のお話しは こちら


ジャマイカ副総督代理 ヘンリー・モルガン

ジャマイカに舞い戻ったモルガンは副総督代理、海軍提督、ポート・ロイヤル連隊長、海事裁判所長、治安判事など行政の幾つかの要職を兼任します。海賊の取締りに対しては、「三ヶ月以内に海賊を廃業した者には土地を与えるが、廃業しない者は絞首刑にする」と最終通告を出します。イングランドはマドリード条約遵守の為、足手まといになった海賊を見切る“汚れ仕事”を元海賊、モルガンに託したのです。

もっとも、モルガンも心得たもので、裏では御法度だった私掠免許状を発行して“昔馴染みの仲間達”からマージンを貰って見逃していたようですが。
SENGAWA BAR HOPPIN'
モルガンはジャマイカ副総督代理を1674年9月~1675年、1678年、1680年~1682年の3回、通算6年勤めます。特に1679年9月2日、還暦のモディフォード卿が亡くなると名実共にジャマイカの最高権力者となります。

一介の年季奉公人だった少年は45歳にして立志伝中の人物となったのです。

しかし、モディフォード卿という“風除け”がいなくなった事で皮肉にも“成り上がり”のモルガンへの当たりが強くなったようです。本国から派遣される毛並みの良い官吏達は彼を快く思わず、両者は事あるごとに対立していたようです。


特にモルガンがロンドンに呼び出しを喰らっている間ジャマイカを仕切っていたサー・トーマス・リンチ(Sir Thomas Lynch)とは犬猿の仲でした。リンチ卿は1681年にモルガンが海賊との関係を切らず役職を「私」している事をイングランド本国にチクりました。その為、翌年の1682年、モルガンは副総督代理を含む全ての役職を解任され公職追放処分になり、後釜にリンチ卿が副総督兼主席判事として座ります。

モルガンは表舞台から大人しく引っ込みます。

リンチ卿は1684年に亡くなりましたが、1687年にリンチ卿と“気脈を通じた”クリストファー・モンク(Christopher Monck) が赴任します。


この時、モンクが連れてきた27歳の奥さんの主治医ハンス・スローン(Dr. Hans Sloane)が太鼓腹で顔は土気色のモルガンを治療し、詳細な記録を残しています。

モルガンは、1681年頃から大酒呑みがたたり健康を損ねていたのです。それでもポート・ロイヤルの馴染みのバーで昔の仲間とラム酒を飲み交わすのがなによりの楽しみだったようです。


モルガンは1688年8月25日肝臓障害でこの世を去りました。“らしい”終末と云えば云える死に方です。

(ロンドン滞在中に結核に罹患したという説も有ります)

享年53歳でした。

アル中死とはいえ、葬儀は総督級だった様です。遺骸は彼がかつて寄進、建立したポート・ロイヤル近郊のセント・ピーターズ教会に埋葬されました。

同年末にはイングラン本国で名誉革命(Glorious Revolution)の成立により国王ジェームズ2世が追放されイングランド国政は議会が握りました。


モルガンの死と時を同じくする様に海賊とイングランド政府の蜜月は終わりを告げたのです。 (つづく )


(この記事は独自の解釈や推測が含まれています。

定説と一部異なり、また、確定していない内容をも

含んでいます。予め、ご了承下さい。)


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キャプテン・モルガン・オリジナルスパイスド
(Captain Morgan Original Spiced)35度

プエルトリコ産のゴールドラムに、バニラやアプリコットなどのトロピカルな香り付けが施されています。“スパイスド”の名は配合されたフレーバーをあらわしています。別に、カレーに入いっている類の辛い香辛料ではないです。他のラムにはない、適度な甘みと香りが楽しめます。

1940年代、シーグラム社(SeagramCo. Ltd.,)最高経営責任者のサミュエル・ブロンフマン(Samuel Bronfman=1889年2月27日– 1971年7月10日)は英領ジャマイカ政府からロングポンド蒸留所(Long Pond)を購入し、ラムの原酒をバイヤーに販売しました。ジャマイカの首都キングストンで薬局を経営していたジャマイカ人のレビィ兄弟(Levy Brothers)もこの蒸留所からラムの原酒を購入して薬草とスパイスを加え、熟成させた上で、瓶詰めして販売していました。ブロンフマンはレビィ兄弟のラムのフレーバーを気に入り、その権利を買い取りアレンジします。そして、1945年、ブロンフマンはシーグラム社の子会社キャプテン・モルガン・ラム社を設立。同名のラムをジャマイカで生産し始めました。

キューバ革命の足音が聞こえて来る1950年代、雇用創出プログラム協定の一環としてプエルトリコ米国自治連邦区からアメリカ本土48州向けに輸出されるプエルトリコ産ラムの関税率が他国のラムより引き下げられ、税制上の優遇措置を受けました。これを受けてシーグラム社はジャマイカから、プエルトリコの首都サン・ファンの近くカムゥイ(Camuy)とアレッシボ(Arecibo)に引っ越して、新しい蒸留所を操業します。(この時の名残で現在でもジャマイカで全く別のキャプテン・モルガン・ラム
が全く別の会社によってジャマイカ産として製造されています)

とはいえ、最初は英国、カナダ、南アフリカなどへの出荷が多かったようです。そして、1984年からキャプテン・モルガンは米国で販売が開始されましたが、翌1985年シーグラム社はプエルトリコで1865年からドンQ(ドン・キホーテ)などのラムを製造していた地元大手企業セラレス社(Destilería Serrallés)に蒸留所を売却しました。この時2012年までのプエルトリコ及びカリブ海一帯でのキャプテンモルガンブランドの製造、販売権もセラレス社に譲渡されています。しかし2001年シーグラム社がキャプテンモルガンブランドの商標権そのものをディアジオ社(Diageo plc)に売却しました。

2008年6月24日にディアジオ社は、「米領ヴァージン諸島サンタ・クルス島(St. Croix, Virgin Islands)で2010年より新規蒸留所の建設を着工し、セラレス社のプエルトリコでの製造権の契約の終わる2012年よりキャプテンモルガンブランドの販売を開始する」と発表しています。

現在キャプテン・モルガンはヴァカルディに次いで米国で販売量の多いラムであり、世界中のスピリッツの中でも7番目に多く愛飲されています

※余談ですがシーグラム社のサミュエル・ブロンフマンはその名の通りユダヤ系で、“ブロンフマン”はイディッシュ語(ヘブライ語のドイツ・クレオール方言)でリカーマン=「お酒の人」の意味です。勿論、偶然なのですが「藤村甲子園」並みに“出来すぎた話”なのでお伝えしときます。

キャプテン・モルガンとはカリブに実在したヘンリー・モルガンという海賊の事で、現在でも英米ではポピュラーな人物です。ハロウィンではジャック・スパロウ程ではないですが仮装のテーマとして人気です。次回からはそんなヘンリー・モルガンのお話しです。

(この記事は独自の解釈も含んでいます。
予め、ご了承下さい。)



米国向キャプテン・モルガンのCMです。
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