ヘンリー・モルガンのお話し<その1/11> | ショットバー ブートレッガー SENGAWA BAR HOPPIN'

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ご注意!!

この「ヘンリー・モルガンのお話し」は

か~なり長ったらしい記事です。

興味のナイ方は読み飛ばしちゃって下さいネ。

「そこまで云うんなら最後まで付き合ってやろうじゃないか!!」

と仰る方は気長~な気持ちでお読み下さいマセ m(u_u)m

前回のお話しはこちら


海賊船の発掘

今年2011年8月4日米国テキサス州立大学の発掘調査団がカリブの海底(パナマ共和国チャグレス川河口付近)で17世紀後半に沈んだ帆船の右舷舷側の遺物と未開封の箱とチェストを発見しました。調査は始まったばかりですが、調査団はカリブで名を馳せた、キャプテン・モルガンの率いた海賊船、サティスファクション(Satisfaction)号ではないかと期待しています。


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バルバドスへ

キャプテン・モルガンことヘンリー・モルガンは17世紀イングランド王国のウェールズで生まれ、後年カリブ海域の一介の海賊から “サー”の称号と、ジャマイカ総督代理の地位を手に入れた立志伝中の実在人物です。


モルガンが生まれた1635年のイングランドはウェールズ出身者にとってパッとしない時代でした。

40年前のウェールズ系チューダー王朝全盛の時代なら、多数のウェールズ人が王室に重用される華々しい記憶がありました。ウェールズ人海賊ドレイクがエリザベス女王にスペインから奪った莫大な財宝を献上し、彼女に「私の海賊」と呼ばれた時代です。しかしそれも“今は昔”のお話しでした。

モルガンが誕生する前に頼みのウェールズ系王朝は断絶し、さらに物心の付いた頃には市民革命(清教徒革命)のゴタゴタで国が議会派と王党派に二分されます。


イングランドは既得権の通用しない革命という名のパラダイム・シフトに覆われ、後ろ盾のない若者に将来の夢を見させてくれるところではなかった様です。


共和制が成立した翌年の1650年、モルガンは若干15歳で自らの活路を見出そうと、年季奉公人としてカリブ海の新天地バルバドス島に単身渡航します。

バルバドス島は当時さとうきびプランテーションが盛んになり、農作業用に“潰しの効く” 21歳以下の若者を求めていました。

年季奉公人とは渡航料金や現地での衣食住を農園側が保証する代わりに、無給で働きながら仕事を覚えて新大陸での足掛かりをつくる当時ポピュラーな制度でした。

(年季奉公人は主に没落した貧農出身者が多いのですが、モルガンの出自については裕福なヨーマン(独立自営農)の出とか、ウェールズ貴族に連なる高貴な身分だとする説もあります)

もっともこの制度はカリブではすぐにアフリカ系奴隷に取って代わられますが・・・。


実はモルガンは年季奉公人ではなく英西戦争勃発に伴い1655年にクロムウェルの発動した“新大陸の先住民をスペインの圧制から救う!? ”「西方計画」時にジャマイカにやって来た水兵だったとする説もあります。

ここでは後年彼がバルバドスド(Barbadosed バルバドス上がり、とでも訳すのでしょうか?)と仲間から呼ばれたことや、奉公人名簿'Bristol Apprentice Books'1655年2月9日欄に同姓同名者がいることから、年季奉公人説を採り、お話しを進めたいと思います。 (つづく )


(この記事は独自の解釈や推測が含まれています。

定説と一部異なり、また、確定していない内容をも

含んでいます。予め、ご了承下さい。)


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