浦賀界隈と戦争遺構 | 写真小話

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私が撮影しながら散歩した備忘録的な記録

2021.10.30

千代ケ崎の砲台跡が公開になっているのでちょっと行ってくるか。

いつものように、午後家を出た上に久里浜駅でうどんなんぞ喰ったりしたので、だいぶ遅くなった。

おまけに久里浜から燈明堂へ行くつもりが、バスを間違えて浦賀に行ってしまったよ…

ダメかなこりゃ

浦賀からトボトボ千代ケ崎へ向かって歩き浦賀ドック前を通りかかると、浦賀ドックも公開になっていたので、思わず寄ってみる。

レンガ積みのドック、歴史を感じるねぇ

黒船が来ちゃった事で、江戸幕府が大きい船を造るべく浦賀造船所をここに建設したのが始まりだって。

それまで、「大船建造の禁」なんて、大きい船を製造することを禁じていたせいで、北前船くらいの船しか無くて大慌て、馬鹿だね~。

で、浦賀ドックは2003年まで稼働してました。

意外と最近まで使ってたんだね。

ところで、黒船にまつわる土地、まぁ久里浜とか浦賀とか下田とかでよく「ペリー記念〇〇」とか「ペリー来航記念〇〇」みたいなのあるけど、違和感あるなー。

というのも、江戸幕府が勝手に鎖国してたのはまぁ、こっちの都合でしょうがないとして、そこに大型船でやって来て武力をちらつかせて力ずくで脅して開国させたヤツをなんで記念しなきゃいけないの?

鎖国もこっちの都合なら、開国もこっちの都合でしたかったな、まぁ幕府温存の為に開国する気ゼロだったみたいだし、時代的にこうなるしかなかったのかもだけど。

浦賀ドックには案内のお姉さんがいて、話を聞きたかったけど時間がないのでまた今度。

浦賀の渡し船、いつか乗ってみたい。

寄り道しちゃったもんだから、千代ケ崎砲台跡にたどり着いたのが15時30分、16時に閉園だって、ゲッもう終わりじゃん。

案内のおじさんも帰り支度の中、ギリではいったオヤジを超高速で案内してくれましたよ、ありがとう。

この砲台は第一次大戦の頃のもので、この頃は飛行機なかったから船だけ備えてれば良かった時代。

綺麗に発掘されてるけど、土に埋もれていて畑だったそうな。

良くできてるよなぁ、よこの凹みは砲弾を置いておく場所、砲弾をつるすホイスト跡なんかもありました。

ここにカノンと呼ばれる砲台を置いて物見の指示により山なりに砲弾を発射して敵艦に当てる仕組み。

当たらなそう…

 

千代ケ崎砲台跡をちょっとしか見られず残念、また来るか。

そして、すぐ近くの燈明堂へ寄り道…

江戸時代に入ってわりと初めの頃に建設された和式灯台、うーん暗そう。

黄昏の浦賀の海…

「浦賀港の帰帆」といった所か…

 

おしまい