2021.10.09
増毛町を通りかかると見晴らしの良い所に「にしん街道」の碑を発見、
北海道の西海岸沿いを「にしん街道」としているようだ、いまとなっては見る影もないが、大正時代ぐらいまでは、にしん漁で大いに栄えた事は有名である。
いまでは往時と比較して、さっぱり獲れなくなった。
にしんが獲れなくなった理由が3つ考察されるようで、
①海流、海水温の変化
②乱獲による減少
③森林伐採による海水の貧栄養化
上記3点が考えられるそうだ。
まぁ、獲りすぎたんじゃないの?
今は、イワシとかサンマとかサバ、アジに至るまでかなり少なくなったよな~ ヤバいな。
それはさておき、この場所は幕末に秋田藩の砲台があったようで、レプリカが置いてある。
そして、海辺には海鳥がいっぱい。
餌をあげる人がいるようで、カラスさんも物欲しそうに寄って来ます。
砲台跡を後にし、雄冬岬展望台に立ち寄る
まぁ、こんな感じ。
実にスカっとして気持ちの良い空間だった。
お次は、さっきの秋田藩砲台にちなんで荘内藩の陣屋であるハママシケ陣屋跡に立ち寄る
イイ感じの神社の脇から入っていく。
この神社も陣屋と何か関係があるのかな?
神社の脇から延びる道を行く。
こんな感じの道を上がると…
陣屋跡入口に到着。
復元された門をくぐって奥へ進むと、かつての荘内藩陣屋の遺構を見ることができる。
遺構といっても山の斜面に開かれた小さな平坦地を見てかつてここに長屋があった事を偲ぶばかりであるが…
でもまぁ、江戸末期に山形の藩に北海道の守護を命じるって、かなり無茶だよなー
さぞさぞ負担であったことだろう。
ハママシケ陣屋跡から南下し厚田地区に入る。
厚田地区には油田の跡地があるので、ちと見てみるか…
油田跡なら本州にもあるのだけど、そのほとんどが日本海側に存在している。
大豆畑…
厚田油田は昭和6年から4年間採掘していたらしい。
すぐ採れなくなったようだ…
油井跡は海岸のすぐそばで、なんとも殺風景な所。
こういう殺風景な景色がたまらく好きだ!
で、油井跡は
工事車両が何かの油をこぼしたのかな?ってくらいの油の染み出しがあり、それが油徴のようです。
一番たまっている所で上の画像くらい
昭和からあるんじゃねぇのって感じの冷蔵庫
こちらはテレビのCRT(ブラウン管)懐かしいねぇ
まぁ、ゴミはさておき、油井として稼働していた頃の遺構っぽいのも散見されます。
こんなのや
こんな廃屋
結構朽ちてます
油徴の近くにあった構造物
厚田油田は日産量が400Lだったんだって、少ねぇな。
400Lって現在の日本での使用量でだと0.05秒で使い切る量です。
因みに、厚田油田のすぐ近くに北海道最大級だった石狩油田があるのですが、その北海道最大級の石狩油田で1年かけた産油量を現在の日本では25分で使いきります。
スゲー石油消費してるな俺たち…と思うと同時に世界の産油国ってものすごい量の石油を埋蔵してんだなぁと感心する。
水はないけど石油はあるよ的な…
日本は石油ないけど、綺麗な水はあるよね、今のところ。
でも石油って太古の生物の残骸が高温高圧下で石油に変化したと考えるとすごいね、すごい量の生物が分解されずに石油のなったんだね、感慨深い…此処とは関係ないけど。
油田跡周辺を高台より俯瞰するとこんな感じ、誰もいねぇよ、殺風景で荒野で廃墟で!でもそれが凄く良い、たまらなく良い。
おしまい






















