8月27日放送のNHKスペシャル、「わが子が“闇バイト”に手を染めるとき」を観た。
「わが子がまさか闇バイトをしていたとは-」、親の気づかぬところで特殊詐欺や強盗などの犯罪に手を染める若者たちが後を絶たない。有名私立大学に進学したばかりだった男性は民家から金庫を盗み出す窃盗に加担、逃走中に交通事故で命を落とした。介護職を目指していた10代の女性は、高齢者から繰り返し金をだまし取った。なぜ、犯罪の一線を踏み越えるのか。各地の当事者を徹底取材、闇に飲まれていく若者たちの実態に迫る。
※上記の番組公式サイトより引用
【2023年9月4日追記】
▼NHKオンデマンド 単品:220円(税込み) 購入期限:2024年8月24日
“闇バイト”に手を染めた若者のドキュメンタリーである。
なかなかショッキングであるので、本題に入る前に過去のNHKスペシャルの、現代の若者関連番組の記事を振り返っておきたいと思う。
▼2021年6月15日の記事
これは増える若者の自殺とその背景を取り上げた番組である。
翌年には、現代の若者の生きづらさを描いたドラマも放送されており、このブログでも紹介した。
▼2022年9月1日の記事
この翌年の2023年4月に放送されたのは、若者の投資関連での金銭トラブルを取り上げた番組であった。
▼2023年4月24日の記事
そして今回の、「闇バイト」に手を染める若者を取り上げた番組に至る。
どの話も、なかなかショッキングである。
ここで、わざわざ過去の番組とブログ記事を振り返ったのは、若者を取り巻く状況は変わらないまま、新しい問題がどんどん表面化してきているという印象を持ったからである。
こうした社会問題の要因は複数あるものであって、これだけが決定的な原因とは言い難いものである。
また問題の解決においても、当面の具体的な問題に対策をしていくことは必要だが、長期的に社会全体が変わっていかなければ解決されないものである。
これはまた、ある時点で社会問題として取り上げられるような問題は、以前から少しずつ進行していた歪みの蓄積が表面化したということでもある。
つまり、問題の発生も解決も長期的な変化の結果だということである。
それ故、こうした社会問題についての特効薬というものはないのであり、今後も新しい問題は表面化してくるであろうと思う。
このような認識から今回は、解決のためにこれだけをなんとかしたらいいということでもなく、特効薬のようなものもないという状況で何を考えていくべきか、という問題意識にしたがってコメントを述べたいと思う。
具体的な事例の多様さと若者特有の心理について
番組では具体的な事例が四つ紹介される。
それぞれにかなり異なった内容で、具体的な事例の多様さが窺える。
最初に紹介されるのは、二年前、窃盗の闇バイトの帰りに交通事故で亡くなった一人息子・健太(仮名 当時18歳)の事例である。
この事件は5月30日に放送された「クローズアップ現代」でも取り上げられており、詳細については NHK WEB のニュースサイトを参照されたい。
NHKスペシャルでの内容を要約するとこうである。
二年前に一人息子・健太(仮名 当時18歳)が交通事故で亡くなった。
この事故は闇バイトでの窃盗の帰りの出来事であった。
健太は、事故の二ヵ月前に大学に入学して一人暮らしを始めたばかりだった。
仕送りに手をつけていなかったかことから、闇バイトの動機は生活のための金銭ではないと思われた。
学校での健太は、中学校時代には生徒会長も務めたことがあったという。
また、大学での同級生は、授業に積極的に参加していてやる気があるという印象を持っていた。
一方で健太は、Youtube で自分の思いを動画に投稿していた。
投稿数は700本以上、知名度が欲しいという承認欲求を語っていた。
しかし、これはうまくいかなかったという。
そして、闇バイトに向かっていった。
この事例を最初にもってきたのは、学校生活にも家庭にも問題があるように見えず、かと言って経済的な意味での金銭目的でもないというケースで、原因の理解のし難さが際立っているからであるように思われた。
確かに、こういう若者が闇バイトに走るということには理解の難しさがあるし、それではどうしたら良かったかということもなかなか見え難いように思う。
番組ではまず、「闇バイト」に手を染める若者が急増しているという事実を告げて、「なぜ若者たちは犯罪の一線を易々と越えてしまうのか?」と問うている。
SNSを使って若者を犯罪に引き込む新しい手口、役割の細分化によって罪悪感を減らすような巧妙さ、こういうものがあることは番組の報道の通りなのだと思う。
しかしこうしたことはやり方の話であるので、そもそもの動機について考えるためには「若者が犯罪を犯さないというのはどこまで自明か?」という別の問い方もできる。
それは、こうしたやり方で若者を強盗や詐欺に引きずり込む大人がいる一方で、若者であるからというだけで犯罪はしない、とどうして当たり前のように言えるのかと思うからである。
若者にはまだ中年の大人のような犯罪に走らざるを得ないような切羽詰まった事情がないという意見はあるように思う。
これはもっともだと思うが、中年の大人の特別な事情を考慮するのであれば、若者の側の特別な事情も考慮する必要があるということになる。
そして、そもそもの動機をもたらす要因として、そもそも誰にでもある若者特有の心理を考えるならば、強い自意識、自立心、冒険心、反抗心などが挙げられる。
こうした若者特有の心理の向かう可能性の一つに、今は闇バイトがあるということなのではないかと思われた。
また子どものころからSNSでのやりとりが当たり前のようであれば、承認欲求が過剰であったことも考えられる。
しかし、承認欲求そのものがSNSでのやりとりによって新しく生まれた訳ではない。
今日的なのは情報発信をして承認をし合うフィールドが拡張されたということである。
それ故、具体的な事例が多様化していても、昔から変わらない若者特有の心理のもたらす問題については、今も変わらず今日的視点で考える必要がある。
最早、学校にも家庭にも経済的にも問題がないから犯罪に走ることはないという時代ではなく、学校にも家庭にも経済的にも問題がなくても、闇バイトやSNSやインターネットを介したやりとりによるトラブルのリスクに注意を払わねばならない、ということであるように思われた。
親とのコミュニケーションについて
次の事例は、高校時代の特殊詐欺4件のために少年院にいる美咲(仮名)である。
この事例では、親とのコミュニケーションの問題が強調されているように見えた。
美咲は介護士になりたくて勉強もしていたが、学校の先輩の誘いを断り切れずに特殊詐欺に加担した。
両親は、美咲が闇バイトをした二年前は別居状態で、母親は「親の介護と自分の資格試験で子どもと向き合えなかった」と話していた。
父親は「親は子供のことは当たり前に全部知っていると思っていた。でも知らない部分がいっぱいあったかなと。」と話していた。
少年院での面会の場面で、どうして相談してくれなかったのかと訊く両親に、美咲は、
「いつも話聞いてくれなかった。」
と答えていた。
番組ではこの後、他の事例の話になり、終盤でもう一度、美咲の映像が流れる。
それは少年院での教育場面でのやりとりである。
以下に、引用する。
教官「あなたが特殊詐欺をしたことで得たものと失ったものを考えてみましょう。何を得ましたか、詐欺をやって。」
美咲「得たものはないです。」
教官「じゃ失ったもの。」
美咲「家族との時間。けど同時に得たのかもしれない。
教官「それはどうして。」美咲「捕まってゆっくり親とも話す機会ができたから、面会とかで。」
ここのところは、若者にとって親とのコミュニケーションがいかに重要なものかということが伝わってくるという点では、実に印象的であった。
番組の制作意図にバッチリ嵌ったこんな場面を、よく撮ることができたものだとすら思った。
この番組を観て、子どもとのコミュニケーションを見直してみる家庭が増えれば、それにこしたことはない。
こしたことはないのであるが、親子のコミュニケーションが大切だとはわかっているけど、なかなか上手くはいかない現実もある。
美咲の父親は「親は子供のことは当たり前に全部知っていると思っていた。でも知らない部分がいっぱいあったかなと。」と話していたが、同様の内容は他の親のインタビューにも含まれていた。
このこと自体は今日的な事ではないように思われる。
思春期の若者がなんでもかんでも親に相談できるかというと、そうでもないという若者の側の現実もあるからである。
今日的であるのは、大人の見方は昔のままである一方で、若者の現実は親以外に相談できる大人がいないという状況になっているということである。
親とのコミュニケーションはもちろん大切なのだが、親であるからやりやすい部分と親であるからやりにく部分の両方がある。
だから、相談できる親以外の大人が近くにいることには重要な意味がある。
この、親以外に相談できる大人がいないという状況になっているという若者の現実は、「今日的」であるとは書いたが、核家族化と地域社会の人間関係の希薄化を主な要因として、この問題は、以前から指摘されていることである。
親以外の大人とのコミュニケーションが希薄になり親との関係が密になるということは、親の負担が増すということであるし、子どもにとっての家庭という居場所の意味合いも強くなる。
このような状況では、居場所を守るための取り繕い、あるいは、家庭に居場所がなくなった時の行き詰まりといった心理は強められるように思われる。
そして、若者が生きづらいと感じる現在の状況からは、この問題は悪化の方向に進んでいるように見える。
とは言え、これは長期的な変化の話であるので、今できることの一つはなんだろうかと考えると、家庭の以外の部分とり関わり具合を気にするということであると思われた。
これは具体的には、「親に相談できないことを相談できる大人なり友達なりがいるかどうか」、「家庭以外の活動場所はどういう所か」、「そこにはどういう大人なり友人なりがいるか」ということを気にしておくということである。
こういう内容を共有するようなコミュニケーションを維持していくという日常生活の積み重ねが、若者が犯罪に走るのを未然に防ぐきっかけになっていくのではないかと思う。
罪悪感について
三つ目は、口座売買で逮捕された亮(仮名 28歳)の事例である。
動機は、オンラインカジノで作った借金返済の為の金欲しさであった。
具体的な事例が多様化していても、昔ながらのお金欲しさというケースはもちろん普通にあるであろう。
この事例で強調されていたのは、罪悪感の希薄さ、あるいは罪悪感よりもお金が勝る心理であるように見えた。
しばしば言われる、親にバレるのは避けたいが捕まらなければいい、という若者の心理は幼稚である。
大人の標準は、誰も見ていなくても盗まない、だからである。
それは行為の意味に対して罪悪感を感じるからというだけでなく、誰が見ていなくても自分が見ているからである。
とは言え、大人の偽装事件が絶えないような今の社会状況で、若者には犯罪の抑止力になるような精神力が自然に形成されるはずだ、と思うならばそれは幻想であろう。
「金、金、金の世の中よ」ということはも昔から言われていることである。
今日的なのは、もう一方でバランスをとっていた公徳心のような精神性が廃れてきていることであるように思う。
我々大人としては、そろそろこの現状に対して本腰を入れて立ち向かっていく必要があるタイミングではないかと思われる。
若者の話に戻ると、「親にバレるのは避けたい」と思うならまだ救いがあるように思う。
自分の目はなくても、親の目はまだ心の中にあるからである。
しかし、いざ犯罪に手を染めてしまった場合にはこれが逆に、罪に罪を重ねる方向に作用していく。
だから若者にはこう言いたい。
大人になるということは、いままで通りの良い子ではなくなるということ。
これは大人と同じ土俵に立つところまで成長したということだけれども、大人と同じことができるようになったら、大人と同じように必要な助けを周囲に求めなくてはならない。
人との繋がりが人を救うということ
四つ目の事例は、詐欺で実刑となり1年8ヵ月服役してきた拓也(仮名 29歳)である。
コロナ禍で失業し、パチンコで借金が膨らんだため詐欺に及んだという。
今は家電修理の仕事で地道に稼いでいるという、更生した事例であった。
拓也は、刑務所に毎月二通以上来る父親からの手紙を読んでいるうちに、自分の罪がどれだけ家族を苦しめているか思い知ったという。
インタビューでは、「少なくとも今は自分の周りにいる人はみんな裏切れない」と語っていた。
自分のお金欲しさによる犯罪によって失うものの大きさと家族の気持ちということが強調されている事例であるように見えた。
当事者目線でついて納得感のある事例であると思われたし、人との繋がりが人を救うという見方をすると、親の側への「諦めないで」というメッセージがあるのではないかとも感じた。
敢えて付言するならば、この番組が若者の視聴者を中心にしていたならば、犯罪によって失うものの大きさがもっと強調された内容になっていたのではないか、ということである。
だからこう書くことにした。
犯罪によって失うものは想像をはるかに超えて大きい!
最後のナレーションと展望
番組の最後のナレーションはこうであった。
若者の未来も家族の絆も、
すべてを飲み込む底なしの闇は、
今も甚大な被害を生み出し続けている。
社会の現状に対して注意喚起するという意味では悪くはない印象だったが、この記事の冒頭でも書いた通り、闇バイトの問題だけが沈静化すれば若者の問題がなくなるということでもないと思っているので、最後に個人的な展望を書いて終わりたい。
まず、若者が信頼できる社会が目指されるべきであると思う。
というのも、犯罪に走らなくても若者は死ぬからである。
一例を挙げれば、新入社員の若者が過労死している。
犯罪に走らないから若者が死なないということではない。
そして社会全体としては、若者はもちろん、大人でも信頼できる社会を作っていく必要があるように思う。
大人の偽装事件が絶えないようでは、大人も信頼できる社会とは言い難い。
直近のところでは、闇バイトに限らず今後も新しい問題は表面化してくるであろう。
いずれの場合であっても、実態を知るだけでは足りない。
若者を利用しようとする大人を取り締まるだけでも足りない。
何が足りないかというと、若者特有の心理に対する配慮が足りない。
親離れの一線が明確でないために、生活を同じくしながら精神だけ自立せねばならないようになってしまっているのではないかということが危惧される。
生活を同じくしていれば、一方では、いい子であり続ける親子関係は負担になるだろう。
若者特有の心理そのものは変えることは出来ないのに、リスクは拡大する一方である。
こうした若者特有の心理を無視して犯罪だけを取り締まっても、拡大する一方のリスクに対する対症療法でしかないだろう。
しかし、注意したいのは、これは若者自身の問題であるから、大人が直接は解決できないということである。
それ故、若者自身が自分の問題に直面して解決できるようになってく機能を、社会の中に持たせていかなくてはならない。
少なくとも、こういう考え方に基づかない施策は全て失敗するだろうと思う。
これは別の言い方をすると、若者から一人前の大人になる間の橋渡しをする機能が失われてしまったということである。
公徳心といった失われつつある精神性にしてもそうだが、そろそろ生活様式の急速な変化によって失われたものを回復していく方向に進む必要があるだろう。
このことが今後、SDGsと同じぐらい明確に自覚されて、社会全体で目指していければと思っている。