NHK「理想的本箱 君だけのブックガイド」/もっとお金が欲しいと思った時に読む本(1) | 日々是本日

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bookudakoji の本ブログ

 NHK「理想的本箱 君だけのブックガイド」はEテレの本の紹介番組である。

 

【番組紹介】
静かな森の中にある、プライベート・ライブラリー「理想的本箱」。 あなたの漠然とした不安や悩み、好奇心に答えてくれる一冊を、この世に存在する数えきれない本の中から見つけてくれる、小さな図書館です。 これから長い人生を生きていくあなたに素敵なヒントを与えてくれる本を、あなたの心に寄り添って一緒に見つけてゆきます。

※上記公式サイトより引用

 

 各回毎にテーマが設定されており、

「理想的本箱」主宰・吉岡里帆
「理想的本箱」司書・太田緑ロランス
「理想的本箱」選書家・幅允孝

の三人によって毎回3冊の本が紹介される30分番組である。

 

 昨年の放送を観て、今年から各月の最初の記事は、この番組の各回を順に取り上げることにした。

 

 番組の詳細については、過去の記事を参照されたい。

 

 

 選書家となっている幅允孝(はばよしたか)さんは、主に書店や図書館のプロデュースを手掛けるBACHという会社の代表をしている人で、詳細は下記のリンクを参照されたい。

 

 

 さて、これまで放送された8回のテーマは以下の通りである。

 

2021年:第3回 将来が見えない時に読む本

2022年:第1回 もっとお金が欲しいと思った時に読む本
2022年:第2回 ひどい失恋をした時に読む本
2022年:第3回 母親が嫌いになった時に読む本
2022年:第4回 父親が嫌いになった時に読む本
2022年:第5回 人にやさしくなりたい時に読む本
※初回放送順

 

 今回は、2022年放送分の第1回「もっとお金が欲しいと思った時に読む本」を取り上げる。

 

 尚、この回は2023年6月24日に再放送されたので、7月1日(土)午後3:59 までNHKプラスで視聴できる。

 

7月1日(土)午後3:59 までNHKプラスで視聴可

 

 また、6月26日から2023年の新シリーズの放送が開始される。

 

▼NHK「理想的本箱 君だけのブックガイド」新シリーズ:2023年第1回

 

 さて、それではまず今回の選書テーマを見ていこう。

 

 今回の選書テーマは「もっとお金が欲しいと思った時に読む本」であるが、そもそも「お金が欲しい」というのは広いテーマである。

 

 そして、どうしてお金が欲しいのか、何のために欲しいのか、どのように欲しいのか、というように考える方向性がいろいろあり得る。


 最近のお金関連の記事では、NHKスペシャル「若者を狙う“闇の錬金術”」を紹介した。

 

 

 食うには困らなくなったから、あるいは、少し余裕が出てきたから投資を考えるというのは、それなりに自然ではあるがリスクもある。

 

 お金が欲しいと思えば、そのリスクも考える必要がある。

 

 また、「お金が欲しいと思った時」の前に「もっと」とあるから、この点も頭に置いておきたい。

 

 

 NHK「理想的本箱 君だけのブックガイド」選定書

 

・もっとお金が欲しいと思った時に読む本(初回放送日:2022年10月1日)
 森茉莉「贅沢貧乏」講談社文芸文庫(1992)
 五味太郎「買物絵本」ブロンズ新社(2010)
 ヤニス・バルファキス「父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」ダイヤモンド社(2019)

 

 

森茉莉「贅沢貧乏」講談社文芸文庫(1992)

 一冊目はエッセイであった。

 

 公式サイトでは「“お金に換えられないぜいたく”をつづった女性作家のエッセイ」と紹介されている。

 

贅沢貧乏 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

【内容】

華麗な想像力、並はずれた直感力と洞察力。現実世界から脱却して、豊饒奔放に生きた著者が全存在で示した時代への辛辣な批評。表題作「贅沢貧乏」「紅い空の朝から…」「黒猫ジュリエットの話」「気違いマリア」「マリアはマリア」「降誕祭パアティー」「文壇紳士たちと魔利」など豪奢な精神生活が支える美の世界。エッセイ12篇を収録。

※上記バナーの Amazon 商品サイトより引用


【著者略歴】

(1903-1987)東京千駄木生れ。森鴎外と二度目の妻志げの長女。生来病弱だったため、特に父の溺愛をうけて成長した。さらに20代での二度の離婚経験、初婚時代の滞仏体験を経て、幻想的な芸術世界を艶美繊細に築きあげる文学的資質が開花した。50歳を過ぎて父の回想記『父の帽子』(1957、日本エッセイスト・クラブ賞)で評価を得、その後は独自の創作を展開した。主著は『恋人たちの森』(田村俊子賞)、『甘い蜜の部屋』(泉鏡花賞)等。

新潮社の著者プロフィールサイトより引用

 

 幅さんによると森茉莉さんは、森鴎外の家に生まれて幼少期は贅沢な生活をしていたが、関東大震災があり戦争があり二度の離婚があり、45歳からは下北沢のアパート暮らしだったそうである。

 

 そして、この40代半ばの頃に書かれたのがこの作品であり、豊かとは言えない生活の中で、自分の中の贅沢さについてより研ぎ澄まして考え、心の贅沢というものをどうやって保ち続けたかが書かれている作品であると言う。

 

 映像での内容紹介は、「贅沢貧乏」の中の「ほんものの贅沢」という章からの引用であった。

 

 主人公のマリアは上に「赤」の付くほどの貧乏だと説明される。

 

 つまり、「赤貧」ということであるからかなり貧乏ということなのであるが、そもそも昨今では「赤貧」という言葉を聞かなくなったというところに、時代が更に進んでしまった感がある。

 

 それでいて貧乏臭さを嫌っていて、贅沢と豪華の持つ色彩が何より好きであるという。

 

 この結果として、貧乏臭さを排除して豪華な雰囲気を取り入れるということが六畳一間で実践される。

 

 それは、具体的にはこういうことであった。

 

自分の好きな食事を作ること。

自分の体に付けるものを綺麗にしておくこと。

下手なおしゃれをすること。

自分のいる部屋を厳密に選んだもので飾ること。

楽しい空想のために歩くこと、何かを見ること。

 

 そして、千円以上の本当に金を使ってやる贅沢には空想と想像の喜びがないという。

 

 更に、本当に贅沢な人間は贅沢を意識していないし、贅沢のできない人にそれを見せたいとも思わないものだと言って、贅沢と言うのは高価なものを持っていることではなくて贅沢な精神を持っていることであるという結論に至る。

 

 この後の幅さんの解説は、目の前にあるものを考えながら、凄く心が飛んでるというか、やせ我慢ではなくて、心から空想や夢みたいなものを慈しんでいて、それを抱き続けられるのが贅沢であるということが自然に表現されている、という内容であった。

 

 また個人的には森茉莉さんの独特の文体が好きなので、文章の凄みも感じて欲しいと言っていた。

 

 文章表現の味わいについてはさて置き、選書のテーマの観点では幅さんの解説は物足りない気がしたので、もう少し考察を進めてみる。

 

 

贅沢をしたいと思うのが人間であるが……

 

 選書のテーマとの関連で考えるならば、ポイントは「金を使ってやる贅沢には空想と想像の喜びがない」という点であろう。

 

 要は、贅沢と言うのは高価なものを持っていることではなくて贅沢な精神を持っていることである、ということである。

 

 なかなかもっともではあると思うが、「赤貧」という言葉が聞かれなくなった時代になり、「心の豊かさ」ということも最近はあまり耳にしなくなったというのが現在の状況であるように感じている。

 

 それだけに、お金があっても物があっても「贅沢な精神」がなければしょうがないと言うようなこの作品は貴重に思われるのだが、その一方で、今のこういう状況の中で「もっとお金が欲しい」と思っている時に、「贅沢な精神を持て」と言われても納得感があるものだろうか。

 

 私自身、ただの精神論は好きではないのでこう思う訳であるが、六畳間での五つの実践内容にはヒントがあるように思った。

 

 以下、六畳間での五つの実践内容を再掲する。

 

自分の好きな食事を作ること。

自分の体に付けるものを綺麗にしておくこと。

下手なおしゃれをすること。

自分のいる部屋を厳密に選んだもので飾ること。

楽しい空想のために歩くこと、何かを見ること。

 

 個人的にはまず、「自分のいる部屋を厳密に選んだもので飾ること。」には重要な意味があると思う。

 

 このことによって、部屋にいる自分は、自分が好きな物だけに囲まれている空間に居ることになる。

 

 これは、「もっとお金が欲しい」と思ったらまず、物を増やすことではなく部屋のものを減らすということをしたらいいということである。

 

 好きなものではないけど生活上必要なものは収納すればいい。

 

 それで、もしも部屋に何もなくなったら、今の自分には贅沢は必要ないということである。

 

 次に、「楽しい空想のために歩くこと、何かを見ること。」を「目的意識から脱して味わうこと」と言い換えてみたい。

 

 例えば、絵を観るということの意味は、観て味わうことそのものであって、観るという目的を達成したということではない。

 

 これは、それを持っている意味として、対象を味わうプロセスそのものを楽しむということができなければ意味がないということである。

 

 だから、「もっとお金が欲しい」と思ったらまず、部屋の中に残った好きなものをもっと味わうということをやってみたらいいとも思うのである。

 

 これは、部屋の中に残った好きなものに限らず散歩でもやってみたらいい。

 

 散歩をしながら空想して光景を味わい深く楽しめる著者は、実にお得な人であると思う。

 

 そのために必要な感性を磨くのに費やした時間は、十分に元が取れていることだろう。

 

 さて、残りの三つは「自分なりに心地よい生活を楽しむ」というようにまとめてみたいと思う。


 これは、「もっとお金が欲しい」と思ったらまず、お金をかけずに生活を楽しむということをやってみたらいいということである。

 

 ここで注意したいのは、それではお金をかけずに生活を楽しめればそれでいいのかということである。

 

 特に個人的に強調したいのは、お金をかけなくても生活を楽しむことはできるということではなく、これができなければ、お金をかけて贅沢をしてもそれに見合った楽しみは得られないだろうということである。

 

 そうであるならば、「もっと」お金を得ることに時間と労力を費やす意味がない。

 

 つまり、その時に持っているお金で日々を楽しく生活することには意味があるが、これだけでは物事をより味わい深く感じる感性は磨かれていかないかもしれないということである。

 

 だから著者の言う「贅沢な精神」を培うためには、上記の三つの実践の中で、より深く味わう感性を鍛えていかねばならないであろう。

 

 これから生きる人生の時間を何にどう費やすかという点では、六畳間での五つの実践内容にはこうしたヒントがあると思う。

 

 それ故、「もっとお金が欲しいと思った時」にこの本を読んで、「贅沢な精神」なくして物欲のために時間と労力を費やせば得たものを十分に味わうことなく時間と労力が費やされた人生になる、と思ったとすればこの選書はテーマに沿ったものだろう。

 

 

もっと欲しいと思うのが人間であるが……

 

 先に述べたように、人生の時間を何に費やすことになるかという観点で考えると、お金があるからといって「贅沢な精神」なくして「金を使ってやる贅沢な生活」を送るだけであれば、やはり得た物を十分に味わうことのない人生であることになる。

 

 この点では、著者の主眼は「金を使ってやる贅沢な生活」の否定よりも、「贅沢な精神」がないことの指摘にあるように思う。

 

 「贅沢な精神」があれは貧乏でも贅沢であるという「贅沢貧乏」というのは、なかなか言い得て妙である。

 

 とは言え、贅沢な生活をしたいと思うのが人の常であるのに、いきなり「贅沢な精神」が培われている筈などないのだから、「千円以上の本当に金を使ってやる贅沢」の意味についても書いておきたい。

 

 「金を使ってやる贅沢な生活」が悪いというよりも、「贅沢な精神」がないことが問題であるということならば、重要なのはそのまま物欲に絡め取られないように用心する必要があるということであろう。

 

 だからここで、今回の選書のテーマのポイントである「もっと」ということを思い出したい。

 

 この「お金が欲しい」の前に付いている「もっと」は、「千円以上の本当に金を使ってやる贅沢」をしたいと思っている人にも、「金を使ってやる贅沢な生活」を既に送っている人にも当てはめることができる。

 

 「千円以上の本当に金を使ってやる贅沢」をしたいと思っている状態から、「もっとお金が欲しい」と思い、実際に「金を使ってやる贅沢な生活」になった人にも当てはめることができる。

 

 そして、「もっと」欲しいということの為に時間と労力を費やし続ければ、それは「もっと」の為の人生になる。

 

 それ故、「もっとお金が欲しい」という思い方には、そもそもキリがないという危うさがあるのである。

 

 もっと欲しいと思うのが人間であるからこそ、用心せねばなるまい。

 

 いつの間にか「もっとお金が欲しい」という思い方をしていないか、ということを確認するというのは自己点検の方法として有効なのではないかと思う。

 

 ということで、この本が「お金が欲しい」の前に付いている「もっと」の意味を考えるきっかけになるのであれば、これもまた選書がテーマに沿ったものであったということだろう。

 

 

他人より良くありたいと思うのが人間であるが……

 

 最後にもう一つ注目したいのは、本当に贅沢な人間は贅沢のできない人にそれを見せたいとも思わないという指摘である。

 

 これは本当に贅沢ではない人はそれを他人に見せたいと思うということでもあるから、「もっとお金が欲しい」と思う理由として他者との比較があるということである。

 

 これもまた、見落とせないポイントであると思う。

 

 高価な物を持っている人を羨む気持ち、高価な物を持って優越を感じる気持ち、このどちらもが人間の心にとって根深く存在しているものである。

 

 これに対して「そんな気持ちは捨てよ」というただの精神論は、やはり私は好きではない。

 

 とは言え、他者との比較のために高価な物を手に入れようとして時間と労力を費やすならば、それを味わう人生ではなくそれを得るための人生になる。

 

 具体的な事例から考えてみよう。

 

念願の車を買って嬉しいはずなのに、

隣人が突然にもう少しいい車に乗っているのを見たら、

幸福感が消えてしまうなんて!

 

 これは、昔の記事で紹介したある事例の再掲である。

 

 似たようなことは多くの人が経験したことがあるのではないかと思う。

 

 こういうことが普通に起こるのが人間の心理である。

 

 いきなり「贅沢な精神」が培われている筈などないのだから、用心せねばなるまい。

 

 用心せねばなるまいが、どう用心したらいいか。

 

 心理学では「人は思っている以上に周りに影響されている」と言われている。
 

 とすれば、基本的には思っている以上に大きい周りからの影響を自覚していくのが良いということになると思うが、具体的にはどうか。

 

 ここでまた、六畳間での実践の中の「自分のいる部屋を厳密に選んだもので飾ること。」に立ち返ると別の意味でのヒントが見えてくる。

 

 「自分のいる部屋を厳密に選んだもので飾ること。」を実践するには、自分にとっての意味を吟味する必要がある。

 

 この自分にとっての意味を吟味する練習として、「自分のいる部屋を厳密に選んだもので飾ること。」は好適だろう。

 

 そして、自分にとっての意味を吟味することによって、先の事例のようなことが起こらなくなるのであれば、日常生活において自分にとっての意味を吟味する練習をしておくことは、日頃の用心として有効なのではないかと思う。

 

 ということで、この本が他者と比較している自分に気づいて自分にとっての意味を吟味するきっかけになるのであれば、これもまた選書がテーマに沿ったものであったということであろう。

 

 長くなったので例のごとく、もっとお金が欲しいと思った時に読む本(2)の記事につづく。