映画「リミットレス」は2011年製作、ニール・バーガー監督のアメリカ映画である。
【STORY】
脳を100%活性化する新薬と出会い、人生のどん底から財界の頂点へと駆け上がる男、エディ。
だが成功の果てには、恐るべき副作用と罠が待ち受けていたー。
作家志望のエディは、元妻の弟から通常は20%しか使われていない脳の力を100%活性化する新薬NZT48を渡される。
疑いながらも服用した30秒後、エディの頭は劇的に覚醒し、一晩で傑作小説を書き上げる。
語学や数学など、あらゆる力を吸収したエディは、やがてビジネス界に進出。
ウォール街で伝説的な投資家カールと手を組み、ハイスピードで富と権力を手に入れる。
だが、そんな彼を待っていたのは、NZT48を巡る泥沼の争いと恐ろしい副作用だった。
果たしてエディはこの危機を乗り切り、運命に打ち勝つことができるのかー?※上記バナーの Amazon 商品サイトより引用
主演はブラッドリー・クーパー、伝説的な投資家カールとしてロバート・デ・ニーロも出演している。
内容はというと、昔からSFのネタにされ続けている「頭を良くするクスリ」をネタに使った話である。
▼映画「リミットレス」予告編
この手の作品としては、一時的に能力を向上させて目的を達成するパターンと、人生をより良いものにするために恒常的に能力を向上させようとするパターンの二つがある。
前者の、一時的に能力が向上して目標を達成するパターンとしては、リュック・ベッソン監督、スカーレット・ヨハンソン主演の「ルーシー」のような作品が挙げられる。
▼映画「ルーシー」(2014年製作・フランス)
【ストーリー】
10%しか機能していないと言われる人間の脳。しかしルーシーの脳のリミッターは外されてしまった――。
ごく普通の生活を送っていた女性ルーシー。ある日、マフィアの闇取引に巻き込まれてしまい、そこで起こったアクシデントによって彼女の脳は異変をきたす。「人類の脳は10%しか機能していない」と言われるが、ルーシーの脳は覚醒し、次々と人智を超えた能力を発揮し始める。脳科学者ノーマン博士は彼女の脳の可能性を信じ、落ち合う約束をする。一方、マフィアは行方をくらませたルーシーを巨大な組織全体で追い詰めていく。マフィアの裏をかき、博士の元へ向かうルーシーは次第に人間性を失い、自分自身でさえもコントロール不能な暴走状態へと陥ってしまう。覚醒の勢いは誰にも止めることはできない――彼女の存在は、人類を破滅に導くのか、それとも、救いとなるのか…。
後者の、人生をより良いものにするために恒常的に能力を向上させようとするパターンとしては、まず古典として「アルジャーノンに花束を」がある。
▼映画「アルジャーノンに花束を」(1968年製作・フランス)
※原題は「Charly」、「まごころを君に」という邦題もあり。
【ストーリー】
肉体的には大人だが、知的障害によって精神的には子供のままの青年チャーリー(クリフ・ロバートソン)は、脳手術によって一般人を上回る知能を身につける。親身になってくれた夜学の女教師との恋も成就し、順風満帆な日々を送っていた。ある日彼と同様の手術を施されたねずみのアルジャーノンの死を目撃し、自分の暗い未来に気がついてしまう…。
こちらは、飲み薬ではなく脳手術による能力向上であるが意味合いは同じである。
原作はダニエル・キースの小説で、日本でもかなり売れたのでご存知の方も多いだろう。
人為的な能力の向上が人生にどう影響するかを描いている名作である。
それ故、人生をより良いものにするために恒常的に能力を向上させようとするパターンの作品は、常に「アルジャーノンに花束を」と比較される宿命なのだが「リミットレス」はどうであったか。
結論から言うと、小説「アルジャーノンに花束を」が最初に出版された1959年から60年以上が経過した現在の状況を前提として、いきなり天才的な能力を発揮するとどうなるかという現実を上手く描いているように思われた。
映画「リミットレス」にも原作の小説があり、話が面白かったのは原作の力によるところもあると思うのでこちらも挙げておく。
▼アラン・グリン「ブレイン・ドラッグ」文春文庫2004(原著の出版は2001年)
本題(ネタバレあり注意)
さて、そろそろ本題に入りたいと思う。
この手の作品を久しぶりに観たので、今回はこの手の作品に思うところを、順に検討していきたい。
頭を良くする人為的な方法について
先述の通り、人為的に頭を良くする方法というのは手術であれ薬であれ昔からSFのネタにされてきたものである。
これは多くの人が頭が良くなりたいと思っているということの表れであろうが、この場合の能力向上は自然的にはあり得ない超越的能力と、自然的にも見られる天才的能力の二つがある。
前者の自然的にはあり得ない超越的能力の場合は基本的に無理なことをしているので、結末も悲劇的なものになる。
後者の場合、主人公は天才的能力をどう維持するかが問題となる。
本作でもこの点を物語のポイントの一つとしており、脳の力を100%活性化する薬への薬物依存を違法ドラッグの薬物依存に似せて描いている。
能力向上のための薬物の使用については更に、こうした薬の使用がそもそも問題であるとする見方と、薬の使用は是であり依存と副作用が問題であるとする見方の両方がある。
ここではどちらが正しいかということではなく、飲み薬という安易な方法に頼ってしまう心理について考えたい。
飲み薬のように努力を伴わないがより自然な方法で能力を向上させる方法として言われたきたアイデアの一つに、睡眠学習というものがある。
これは、寝ている間に記憶したい内容を音声で流して記憶するという類のものである。
これをさらに自然な方法にすると、質の良い睡眠ということになる。
自然な方法から一線を越えてでも能力を向上させたいと思ってしまう理由の代表格は、努力するのがそもそも難しい、あるいは、努力しても達成できないというものだろう。
更に、この体験が「そもそも人間の脳は20%しか使われていない」という言説で説明されて、これが「20%しか使われないように出来ている」という形で理解されれば、努力では無理という結論を裏書きすることになる。
かくして人は睡眠学習のような怪しいアイデアや、薬物という医学的な方法に向かう訳だが、
そもそもこの潜在能力に対する仮定は正しいのだろうか?
SF作品の設定としてはアリだが、「人間の脳は20%しか使われないように出来ている」という理解が正しいような印象を与えすぎてしまうのは如何なものかと思われる。
このような潜在能力に対する前提から薬物という医学的な方法の発見に進む道は確かにあるが、人体の複雑さはまだまだ十分解明されるには至っていない。
一方、潜在能力に対して努力すれば引き出せる自然な方法があるという前提に立てば、この方面の研究はもっと推し進められるのではないかと思う。
もちろん、睡眠学習のような怪しいアイデアも生まれる訳だが、研究が薬物のような医学的アプローチの方に偏っていけば、あり得るかもしれない自然な方法は見過ごされることになるだろう。
現在の状況は医学的アプローチが優勢であるように見えるが、潜在能力の可能性そのものについて考え直していけば、潜在能力を引き出す実用的な方法はもっと開発され得るように思われるのである。
ちなみに、Amazonの本カテゴリーで「リミットレス」で検索するとこんな本が上位に挙がってきたので、とりあえずポチっておいた。(笑)
まぁこの作品が、薬によらない自然で実用的な方法を探してみるきっかけになることを意図して作られているのかどうかは定かではないが、こういう見方をしてみるのも悪くないように思う。
頭が良くなる事とより良い人生について
次にもう一歩踏み込んで、そもそも人はなぜ頭が良くなりたいと思うのかということについて検討したいと思う。
代表的なものとしては、良い仕事に就ける、社会的に評価される、多くの富と権力というところではないだろうか。
これは私自身の思うところとも合致するのであるが、こう思いつつもこれと並んで思い続けていたことは、自分の望みとの関係である。
つまり、良い仕事に就けたとしてもそれが自分のやりたい仕事でなければどうだろうか、社会的に評価されること、多くの富と権力を持つことが自分の欲しいものだろうか、ということである。
ここで思い出されるのが、このブログでも過去に取り上げたメキシコの漁師の話である。
簡潔に言うとこういう話である。
休暇でメキシコの小さな漁村を訪れていたビジネススクール教授のアメリカ人が、仕事を早く切り上げる漁師に「午後も漁をして元手を貯めて、大きな船で漁をすれば大金が稼げる。そうすれば、朝だけ漁をして、後はこどもたちと遊んで、晩ごはんを食べたら飲み屋でテキーラを飲めばいい」とアドバイスする。
すると漁師は「だから、それが今の生活ですよ」と言って漁師は帰っていった。
この話の詳細は過去の記事を参照されたい。
若い頃は、良い仕事、社会的評価、多くの富と権力という事に憧れるものであるが、歳を経るに従って、何が出来てもそれが自分のしたいことでなければ意味がないと感じるようになった。
無理をして多くを求めていく必要はないというこの教訓話をいい話だと思うようになったのも、こうした変化の結果であろう。
もう一つ思うことは、本当に自分がやりたいことが何であるかは自分自身のことではあっても自明ではないということである。
この作品の例で言えば、主人公は作家志望ではあったが、これが本当に自分のやりたいことだったのだろうかと考えることができる。
主人公は「この薬があれば究極の人生が送れる」と言うが、薬物で手に入れた天才的能力を使っていろいろな事をやるよりも、本当に自分のやりたいことは何なのかを追求する道もあっただろうということである。
それ故、より良い人生のため寄与するのは、天才的な能力よりも、本当に自分のやりたいことは何なのか、あるいはどういう人生を生きたいのかを追求することであると思うのである。
人は、あれができたら、これができたらと夢想するものではあるが、この手の作品には、人は能力では幸せにはならないという教訓が含まれている。
映画の結末について
さて、この手の作品は大抵は悲劇的結末を迎えるのであるが、この作品は悲劇的結末の一歩手前で踏み留まる。
秘密の薬の存在を知った裏組織の人間からの襲撃から逃れた主人公は、その後、政界に進出して上院議員に出馬する。
人気作家になっているのではなかったということは、本当に自分のやりたいことは何なのかを追求した結果であるかもしれないが、この物語では権力への欲望に引っ張られた結果として描いているように見えた。
そしてラストシーンでは、薬の製造元を押さえたぞと言って共謀を迫る投資家カールを、能力を維持しながら薬物依存を克服したと言って撃退する。
悲劇的結末を予想していただけに、このハッピーエンドは意外だった。
意外だったし、案外悪くない感じがした。
案外悪くない感じがしたのだけれども、悲劇的結末によるものとは違う意味での良くない感じもあった。
この手の作品の悲劇的結末はいつもショッキングではあるが、やっぱりそう上手くはいかないよなぁ、という納得感もある。
「リミットレス」では逆に悲劇的結末によるショックはないが、薬を使って上手くいってしまうことに納得感がないから、ここに違和感が残ったのではないかと思われた。
その後、この記事を書きながらセル版のディスクについてAmazonの商品サイトを確認したら、特典映像付きのバージョンがあり、その中に「別エンディング」という項目があった。
ほほぅ、と思って「リミットレス」の感想を書いているサイトを見て回ったら、下記のサイトに情報が出ていた。
このサイトによると「別エンディング」では、薬の製造元を押さえたという投資家カールを、能力を維持しながら薬物依存を克服したと言って撃退したその後で、
「さあ、この次はどうしよう。いい手を考えなければ。まあまずは 薬を飲もう。話はそこからだ。」
というセリフがあるという。
つまり、薬物依存を克服したというのは見せかけで、実は薬に依存し続けていたという訳である。
なるほどねぇ。
やっぱり、「そう上手くはいかないよなぁ」という納得感を重視した結末も考えるよねぇ。
そこで最後に、自分だったら映画としてどっちの結末を支持するかを考えてみた。
結論は、以下の二つの理由でハッピーエンドの方とした。
(1)「別エンディング」は、「そう上手くはいかないよなぁ」という納得感はあるが映画作品の終わり方として中途半端である。
(2)能力を向上させる薬を違法ドラッグのように描いているので、薬物依存を克服したという結末には、「安易に違法ドラッグに手を染めず真っ当に努力すればこの映画ほどではないにせよ良い結果が得られる」というメッセージが感じられた。
ということで、この作品は映画作品としてそれなりに面白かったし、いろいろと考えるにも悪くない作品であった。
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