映画「今を生きる」(原題:Dead Poets Society)は1989年製作、ピーター・ウィアー監督のアメリカ映画である。
昔、わざわざビデオ(VHS)を買ったほど感動した作品である。
先日、テレビ放送があったので再見した。
▼「いまを生きる」[Blu-ray]
<ストーリー>
1959年バーモントの秋。名門校ウェルトン・アカデミーに1人の新任教師がやって来た。同校のOBでもあるというジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)だ。伝統と規律に縛られた生活を送る生徒たちに、キーティングは型破りな授業を行う。「先入観にとらわれず自分の感性を信じ、自分自身の声を見つけろ」とキーティングは、若者たちに潜在する可能性を喚起する。風変わりな授業に最初はとまどっていた生徒たちも、次第に目を開かされ、キーティングへの関心は高まってゆく。中でも7人の生徒たちはキーティングの資料をもとに“死せる詩人の会"を結成し、深夜に寮を抜け出して洞窟に集まり、自らを自由に語り合うようになる。恋をする者、芝居に目覚める者…。皆がそれぞれの道を歩みはじめたかのようにみえた時、ある事件が起こった。そしてその事件をきっかけに、生徒たちは再び学校体制下に引き戻されそうになるのだが…。
※上記バナーの Amazon 商品サイトより引用
新任の英語教師キーティングをロビン・ウィリアムズが演じている学園物で、生徒役としてはその後も活躍しているイーサン・ホークが出演している。
舞台となる学校は、名門大学に75%が進学するという少人数の全寮制進学高校で、学校の基本理念は伝統、名誉、規律、美徳である。
▼映画「いまを生きる」予告編
---以下、ネタばれあり注意---
新任の英語教師キーティングが型破りなのは、最初の授業で明らかになる。
生徒を学校のメモリアル品が飾ってあるホールへ連れていって、「おお船長 我が船長」(O Captain! My Captain!)ではじまるホイットマンの詩を紹介する。
キーティングは自分のことを「キーティング先生」と呼んでも、「おお船長 我が船長」と呼んでもいいと言った。
キーティングは自分もこの学校の卒業生であることを明かし、また別の詩の一節を朗読させる。
そして、その詩の主旨は「いまを生きる(Seeze the day)」ことだと言った。
キーティングは「作者の心境は?」と生徒に質問した後で、
「我々は死ぬ運命なのだ」
と説明した。
名シーンである。
いい大学に入るため将来のためにいま頑張れと言うのではなく、我々は死ぬ運命であるが故にいまを生きるのだと言う。
西洋における芸術の伝統的なテーマ、「メメント・モリ(死を想え)」である。
尚、引用される詩の詳細については、下記サイトの記事を参照されたい。
さて、次の回の授業である。
教室で教科書の最初のところを読んでいく。
21ページの「詩の概論」からである。
序文のところを生徒に音読させたあと、キーティングは詩を数値で評価する「概論」のページを全部破り捨てろと言った。
生徒達が最初は戸惑いながらもページを破り捨てると、キーティングは「秘密を教えよう」と前置きをした後、生徒を周りに集めてこう語った。
我々はなぜ詩を読み書くのか。
それは我々が人間であるということの証なのだ。
そして人間は情熱に満ちあふれている。
医学法律経営工学は生きるために必要な尊い仕事だ。
だが詩や美しさ、ロマンス、愛こそは我々の生きる糧だ。
なかなか、もっともである。
詩を数値で評価しているようでは、人生も数値で評価するようになりかねない。
こうしてキーティングに興味を持った一部の生徒は、古い学校年鑑に出ているキーティングのページを見つけた。
そこにあった「死せる詩人の会」という文言について、生徒達が年鑑を持っていってキーティングに訊くと、キーティングはそれは近くの洞窟に集まり、詩を朗読して語り合う会だったと過去の秘密を教えたのだった。
これが、原題の「Dead Poets Society」である。
生徒の一部のメンバーは自ら、秘かに「死せる詩人の会」を復活させることにした。
リーダーのニールは学校の蔵書にキーティングの書き込みがされている本を見つけ、「死せる詩人の会」の始まりにはソローの一節を詠んでいたことを知る。
近くの洞窟に集まった最初の会合で、ニールはソローの次の一節を詠んで開会を宣言するのだった。
私は静かに生きるため森に入った。
I went to the woods because I wished to live deliberately,
人生の真髄を吸収するため。
I wanted to live deep and suck out all the marrow of life,
命ならざるものは拒んだ。
to put to rout all that was not life,
死ぬ時に悔いのないよう生きるため。
and not, when I came to die, discover that I had not lived.
出典はソローの「森の生活」である。
ソロー(Henty David Thoreau, 1817-1862)は、アメリカ人の作家、思想家、詩人として紹介されている人である。自らの思想の実践として1845年7月4日から2年2ヵ月にわたって、
ウォールデン湖のほとりの小屋で自給自足の生活を行った。
引用中の森とは、ウォールデン湖畔の森である。
ソローおよび「森の生活」については、下記の過去の記事も参照されたい。
映画で詠まれる引用部分は、岩波文庫1995(飯田 実 訳)では p162-164 の幾つかの部分を寄せ集めた内容となっている。
特に、映画でのセリフ(字幕)「死ぬ時に悔いのないよう生きるため。」に対応している英語のセリフは「and not, when I came to die, discover that I had not lived.」であり、単にやりたいことを存分にやるという意味ではない。
岩波文庫版での訳は以下の通りである。
死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。
※ソロー「森の生活」岩波文庫1995(飯田 実 訳), p162-164 より引用
ここでの「悔いなく生きる」の意味は、老後の人生で、これまでの価値観が一変して、実は本当に生きるということをしていなかった、と後悔することがないように生きることである。
その為に、人生の真髄を吸収することが必要なのである。
この部分も英語のセリフ「I wanted to live deep and suck out all the marrow of life,」はより詳しい内容となっている。
直訳すれば、「深く生きて人生の真髄を吸い尽くす」である。
この為にソローはウォールデン湖畔の森で自給自足の生活を始めたのである。
その理由はソローが、深く生きて人生の真髄を吸い尽くすためには、世俗から離れた自給自足のような生活経験が必要であると考えたからだった。
ソローの話はこれくらいにして、映画の話に戻ろう。
キーティングの型破りな授業はその後も続いていく。
そして生徒達は、少しずつ自分の殻を脱していく。
この後、学校新聞に「死せる詩人の会」の名で行われた悪戯から、この会の存在が学校に知られることになる。
キーティングは悪戯をした生徒に、「大胆さ(daring)と慎重さ(cautious)は表裏一体だ」と諭した。
この頃、ニールは「死せる詩人の会」とキーティングの授業によって演劇に目覚めていた。
演劇はキーティングが授業で語った、我々の生きる糧である「詩や美しさ、ロマンス、愛」を表現するものであり、これに目覚めてこの道で生きようとするということはソローが言っていた、「本当に生きるということをしていなかったと後悔することがない人生」を象徴しているのであろうと思われた。
ニール(ロバート・ショーン・レナード)は、地元の劇団のオーディションに合格してシェイクスピアの「夏の夜の夢」の主演に抜擢され、練習を重ねていた。
しかし、舞台への出演を知った父親は、公演の前日にニールのいる学生寮へやってきて、出演を止めろとニールに命令した。
悩んだニールは、その夜、キーティングの部屋を訪れて相談する。
まずキーティングはこう訊いた。
お父さんに話したか?
芝居への君の情熱を。
話していないというニールに、キーティングはこう言った。
つまり君は演じているんだ、従順な息子の役を。
難しくても、本当の自分をさらけ出すんだ。
芝居は止めろと言われるに決まっているというニールに、キーティングは更にこう言った。
君は家来じゃない。
強い信念と情熱で証明してみろ。
それでもだめだったら卒業まで待ち、好きな道を行け。
翌朝、その後の状況を心配したキーティングはニールのところへ行って話をきいた。
ニールは父に話して今回については了解をもらったと言った。
そして、衝撃的な事件が起こる。
ニールが父親の了解をもらったというのは、実は嘘だった。
ニールは公演に駆け付けた父親に連れ帰られて、明日から陸軍学校に転校だと言われる。
その晩、ニールは自宅でピストル自殺を図った。
学校では大騒ぎになり、キーティングと「死せる詩人の会」がやり玉に挙げられる。
メンバーの一人であったキャメロンは、「死せる詩人の会」のことを学校に密告する。
他のメンバーはキャメロンを呼び出してそのことを責めたが、キャメロンはこう言い放った。
キーティングの罪にしておけ、僕らは助かる。
後日、「死せる詩人の会」のメンバーは一人ずつ校長に呼ばれて、キーティングの言動について証言する書類にサインをさせられた。
この書類のにはこう書かれていた。
キーティングが扇動して会を結成。
自由な発想と称して身勝手な行動を奨励。
キーティングは公私共にニールの演劇への妄想を助長させていた。
ニールの両親の命令に反する事を承知で。
キーティングは学校を去ることになり、最後に、教室に私物を取りに訪れる。
教室では、校長の代行で英語の授業が行われていた。
校長は生徒に、教科書の最初の「見事な評論」を音読するように言う。
21ページからはじまる「概論」である!
校長が「見事な評論」と言ったそのページは、勿論、破り捨てられている!
校長は自分の教科書を、ある生徒の机に置いて、読めと命じた。
詩の理解とは、韻律、リズム、修辞をまず理解することだ。
ポイントは2つ……
生徒が音読をする中、キーティングは机の間を通って後ろの扉から出ていこうとする。
その時、「死せる詩人の会」のメンバーだった生徒の一人が、
「無理に書名を!」
と叫んだ。
振り向いたキーティングは
「信じるよ」
と答えた。
校長に命じられてキーティングが教室から出ていこうとすると、その生徒は机の上に立った。
そして、
「おお船長 我が船長」
とキーティングを呼んだ。
「死せる詩人の会」のメンバーだった別の生徒がこれに続いた。
「死せる詩人の会」のメンバーだった他の生徒が更に続いた。
密告した一人を除いて。
この最後もまた、名シーンである。
そう言えば、アカデミー賞を取っていたのではないかと思って確認したら、作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞がノミネートされており、脚本賞を受賞していた。
作品賞を逃していたのは残念だったが、評価されるべきところは評価されたという結果でもあると思われた。
さて、そろそろ本題の感想に入ることにする。
観直してみてると、昔は生徒側に感情移入していて、いまを生きようと自分の殻を脱していく感じに共感するところが大きかったように思った。
だから、密告した生徒を腹立たしく思ったし、書類にサインしてまうのも仕方ないと思ったし、最後の場面は精一杯頑張ったと思った。
中年の視点だと生徒の気持ちは昔より客観的に理解され、キーティングへの感情移入が大きくなっていたように感じられた。
まず思われたのは、キーティングの授業はやり過ぎだったのかということである。
ニールの事件があったから、全体としてはそう思ってもおかしくはない作りになっているが、本当にそうだろか。
規律を重んじる全寮制の進学校の生徒に自分の殻を打ち破らせるためには、このぐらいでも足りないくらいだとは考えられないだろうか。
「死せる詩人の会」の名で悪戯をした生徒への対応からしても、退学になるようなやり方はマズいが、このぐらいの覇気があった方がいいとキーティングは感じていたのではないだろうか。
次に、ニールの事件である。
芝居は止めろと言われるに決まっているというニールに、キーティングはこう言っている。
君は家来じゃない。
強い信念と情熱で証明してみろ。
それでもだめだったら卒業まで待ち、好きな道を行け。
実に正攻法である。
しかし、それまで待てないのが若者でもある。
ここに教育の難しさがある。
誤魔化しで押し通そうとしてしまうこともある。
学校でも家庭でも自分自身の声を上げることができなければ子どもは行き詰るが、キーティングの例に漏れず、家庭環境についての教師の介入には限界がある。
先日、生きづらさから「死にたい」と思う現代の若者を描いたドラマ「ももさんと7人のパパゲーノ」の記事を書いたが、子どもが自殺してから学校のせいにしても息子はかえってはこない。
家庭での教育にも難しさはあるとは言え、
このことをもう少し重く考えても良いのではないだろうか。
さて、ニールの件は若者の自由への圧力を、「死せる詩人の会」についての密告は社会の縮図を意図的に描いていたように思う。
密告した生徒が特別な気はしない。
結局、他のメンバーも書類にはサインした。
実社会では珍しくないことだ。
しかし、サインをしたことには悔いがあっても最後に立ち上がった生徒達は、いまを生きていく人生に少し近づいたことだろう。
中年になってみると、かえって密告した生徒が気になった。
彼にも立ち上がってほしかった。
さて、ここで思い出されるのが、中盤あたりの悪戯事件の後で、校長がキーティングに授業のやり方についてやんわりと批判する場面である。
教育とは独立心を養う事。
というキーティングに校長は、
彼らの年では無理だ。
伝統や規律を重んじろ。
生徒を大学に進学させればいい。
と言っている。
「彼らの年では無理だ」というのを一概に間違いだと言うことはできないが、これだけではどこで学ぶのかという問題は解決されないままである。
彼らはこの後、有名大学に進学し弁護士になる者もいるだろう。
こうした若者が有名大学に進学した現実は、例えば「ペーパー・チェイス」という作品から伺い知ることができる。
もちろん、映画なので現実の一端はということではあるが。
▼映画「ペーパー・チェイス」(1973年製作/アメリカ)
※ジェームズ・ブリッジス監督
<ストーリー>
良い成績で卒業すれば、競争社会での出世コースが約束されているハーバード法科大学院。理想に燃えて入学したハートに立ちはだかる難関は、厳格で尊大な名物教授キングスフィールド。彼に気に入られるために友人たちと勉強会を始めた。しかしある日、町で偶然出会った美女スーザンと恋に落ちたハートは、「勉学のためには恋愛はいらない」という学友たちの忠告に反して彼女に夢中になる……。※上記バナーの Amazon 商品サイトより引用
更に弁護士になった後の人生は、例えば「チェンジングレーン」という作品から伺い知ることができる。
もちろん、映画なので人生の一例はということではあるが。
▼映画「チェンジングレーン」(2002年製作/アメリカ)
※ロジャー・ミッシェル監督
この作品では、主人公の若手弁護士ギャビンは交通事故をきっかけに事務所ぐるみの不正に巻き込まれているのを知り、不正に加担するかどうかの選択を迫られる。
映画なので勿論、弁護士としての良心と誠実さに向き合って不正に加担するのを断るという話ではある。
しかし、この作品の脚本家はコレクターズ・エディションDVDの中の映像特典でこうも言っている。
「事故がなければ、ギャビンの人生は変わらなかっただろう。
少なくとも、急な転落はなかったはずだ。
ただし、自分の本性に気付き、その重圧で徐々に崩壊した可能性はある。」
※映像特典の詳細については過去のブログ記事を参照
現実では、こんなにうまく事故が転機にはならないし、外的な圧力から不正に加担するケースもあることだろう。
そして勿論、この後の人生が徐々に崩壊するケースもある。
これは教育のそれぞれの段階で、重要な心の育成を先送りにすれば、どこでも学び損ねる可能性があるということを示唆している。
これは人生が徐々に崩壊するリスクを持ち続けるということでもあり、人生がソローの拒否した「本当に生きるということをしていなかった人生」となる可能性を持ち続けるということでもある。
こう考えると、重要な心の教育を行うことにはリスクもあるが、かと言って教育のそれぞれの段階で先送りされて学び損ねるリスクも決して小さくはない。
このことをもう少し重く考えても良いのではないだろうか。
そして、密告した生徒も含めて、キーティングが去った後も死ぬ時に悔いのないように生きるための学びは続く。
教えるということだけでなく学ぶということを考えれば、多くの大人は学び続ける必要があるということと、社会に出てから学ぶことの大変さの両方を実感しているはずだ。
社会に出てから学ばなくてもよいように学校はある。
社会に出たからといって学びが終わるわけでもない。
だから、人はどこでも学ぶ。
今ここで学ばなければ、常に学ばなければ、どこで学ぶのか?
しかし現実には、我々は日々の日常の中で、どこで何を学べるのか?
このことをもう少し重く考えても良いのではないだろうか。
さて、最後にラストシーンをもう一度振り返ろう。
「死せる詩人の会」のメンバーだった生徒達は、机の上に立ってキーティングを見送る。
次々と机の上に立つ生徒達に校長は為す術がない。
若者の気持ちというのはこういうものであって、規律や権力で押さえつけるには限界がある。
そして、この生徒達に向かって「ありがとう」と言う時のキーティングの表情には、寂しさと嬉しさが混じり合っているように見えた。
生徒を失った無念さともう君たちに授業をすることの残念さを抱きつつも、生徒の心に蒔かれた種が芽吹いたのを嬉しいと感じているように思われた。
キーティングの心には、生徒を失った無念さと、もう君たちに授業をすることができないという残念さがあったことだろう。
そして、生徒の心に蒔かれた種が芽吹いたのを見たキーティングは、そこに嬉しさも感じているように思われた。
キーティングもまた自分自身に忠実に為すべきことを為したのであり、残念な結末ではあったが悔いはなかったに違いない。
それは、教育とはこういうものだという信念とこれを実践する覚悟があったからだろう。
学校でも家庭でも、教育は難しいものだしリスクもある。
しかし、リスクを恐れてばかりいても人は育たない。
そして、一時だけやれば良いというものでもないし、特効薬のような劇的に効果的な方法がある訳でもない。
だからこそ、
人生において、いつどこで何を学ぶのかということについて、
学校でも家庭でも社会でも、大人も子どもも、
もう一歩自覚的であることが必要である
と思われた作品であった。