春である。
友人と井の頭公園へ花見にいってきた。
こういうご時勢のため座って見てはおれないで、のんびり歩く花見である。
少し強めの風が吹くと桜の花びらが舞う風情の中でぽつりぽつり話をしながら歩いているうちに、「死を想え」という話になった。
「死を想え」という言葉をきくといつも思い出すのがこの本である。
藤原新也さんの「インド放浪」、「チベット放浪」、「東京漂流」に続く写真集である。
「メメント・モリ(死を想え)」という言葉については、序文にこう書かれている。
「この言葉は、ペストが蔓延り、生が刹那、享楽的になった中世末期のヨーロッパで盛んに使われたラテン語の宗教用語である。その言葉の傘の下には、わたしのこれまでの生と死に関するささやかな経験と実感がある。」p5
撮影地が記載されていないが写真はインドとチベットのものであろう、それぞれにコメントが付されている。
この本のテーマは、
「今のあべこべ社会は、生も死もそれが本物であれぱあるだけ、人々の目の前から連れ去られ、消える。」p3
そうであるが故に、
「等身大の実物の生死を感じる意識をたかめなくてはならない。」p4
ということである。
随分と久しぶりに読み返してみると、大河の浅瀬に白々と横たわる人骨の写真があった。
コメントはこうである。
「あの人骨を見たとき、病院では死にたくないと思った。なぜなら、死は病ではないのですから。」p19
古いお地蔵様の写真にはこんなコメントが付いている。
「つらくても、等身大の実物を見つづけなければニンゲン、滅びます。」p86
短くシンプルなコメントだが、それであるが故に胸に刺さるものがある。
この本では藤原さんは、写真だけで伝えるという手法を捨てている。
言葉での紹介では
この本を最初に読んだのは学生時代である。
「死を想え」という言葉をきくといつもこの本を思い出すようになるほど、当時の私にとって衝撃的なページがあった。
ガンジス川に水葬されたのだろう人の死体を河辺で犬が食べている写真がある。
写真にビックリしながらコメントを読んだ。
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」p23
散りゆく桜を眺めながら公園を後にする頃、今の私はどれほど自由だろうかと思った。
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