ペーター・ビクセル「テーブルはテーブル」未知谷2003 | 日々是本日

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bookudakoji の本ブログ

 昔の資料ファイルの整理をしていたら、2003年の新聞書評がポロッとでてきた。

 ペーター・ビクセル「テーブルはテーブル」の書評だった。

 

テーブルはテーブル

 

 評者は、作家の堀江敏幸だった。

 知らない作家だ。

 しかし、書評の内容はいま読み返しても興味をそそられる。

 そして思い出した。

 そもそもこの書評が目に留まったのはこのタイトルのせいである。

 私の記憶では、ユングは自伝で「学校時代の私にとって代数のA=Aは決して自明ではなかった」という内容のことを書いていた筈である。

 

ユング自伝 1―思い出・夢・思想

 

 A=Aは決して自明ではない。

 当時、自分にこの心理が理解できなかったことは強く私の記憶に残った。

 そしてA=Aが自明ではないことを実際に表現する本があることを知った。

 著者のペーター・ビクセルは訳者・解説者である山下剛の解説によれば、ドイツ児童文学賞を受賞したスイスを代表する国民作家で、ミヒャエル・エンデと同様にドイツ語圏ではよく知られているそうである。

 本書はドイツ児童文学賞受賞作品であり、下記の七つの小品からなる短編集である。

「テーブルはテーブル」
「アメリカは存在しない」
「発明家」
「記憶マニアの男」
「ヨードクからよろしく」
「もう何も知りたくなかった男」

 原題は「子ども物語」となっているが訳者も解説で書いている通り、子どもの読者だけを想定して書かれている内容ではなかった。

 どんな話の本なのかを簡潔に言うならば解説のまとめが最適だろう。

「『子ども物語』の主人公たちは、現状に対する不満から行動を起こします。しかし、主人公たちの常軌を逸した企ては、冷ややかな現実の前に破綻し、彼らが果敢に戦いを挑んだ現実は、相も変わらず存続し続けます。」p117

 しかしながら、

「主人公たちは無残な敗北者ではありません。彼らは物語の中では決して死んだりせず、現実を異化する視点を確実に残しています。」p118

 ということなのである。

 つまり、物語そのものが常識的な現実に対して別の見方を提示するために書かれているのである。

 大人の視点では、これを子どもが読むのだなぁ・・・という驚きがあった。

 しかし現実には、まだ発想の自由な子どもはこの作品の非常識な世界を易々と楽しむのだろう、きっと。

 ジャンルとしては児童文学だが、この本は確かに子ども向けというよりも、自由な発想ができる人向けの本であった。

 この説明で魅かれるものを感じた方には、一読の価値があるかもしれない。