糸井重里・村上春樹 「夢で会いましょう」 冬樹社1981 | 日々是本日

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bookudakoji の本ブログ

 小松左京の作品を探して本棚を漁っていたらこんな本も出てきた。

 

 糸井重里・村上春樹「夢で会いましょう」である。

 

 なぜ糸井重里と村上春樹の共著なのかという説明が凡例に書いてある。

 

「本書は、各篇の見出しのもとになるカタカナ語の項目表を村上が作製、糸井、村上が各々任意にその項目表から、タイトルを選び執筆した。本書は、項目表にのっとり見出しの配列をアイウエオ順のままとし、辞典の体裁を借りた。糸井重里・村上春樹による書下ろしアドリブ短篇集となった。」p8

 

 ほほー

 

 本棚にあったのは1981年出版のハードカバー。

 

 

 1986年出版の文庫版はこんな感じ。

 

 

 目次には辞典よろしく村上春樹が作製したカタカナが並んでいる。

 

 数えてみたら98語だった。

 

 キリのいい100語にしなかったのは何故かわからないが、もう一度数えても98語だった。

 

 全ての項目を挙げるわけにもいかないので [ア] の項目を紹介すると、

 

  アシスタント

  アパート

  アルバイト

  アレルギー

  アンコール

 

となっいてる。

 

 さて、そろそろ中身の話に入ろう。

 

 昔、読んだ時・・・・・・、むかーしむかーし読んだ時に印象的だった所に線が引いてあった。

 

 こんなとこころだ。

 

「どんなに素敵かなんて、とても口では言えない。口では言えないことを肉体が体験できるというのは実に素晴らしいことだ。でなければ生きている意味なんて殆どない。」p42

(村上担当「オニオン・スープ」の項目より)

 

「彼女は1967年の夏を一人で引き受けたような女の子だった。」p54

(村上担当「クールミント・ガム」の項目より)

 

 この彼女は、

 

「ピンクのサマー・ドレスを着て、形の良い乳房をジェット・エンジンかなにかみたいに前につき出していた。」p54

 

 村上さんはあれから14年経っても思い出すと書いている。

 

 村上さんは1949年生まれだからこの女の子を18歳で見て、32歳でも思い出すということだ。

 

 残念ながら、自分の18歳にはこういう体験はなかったと言わざるを得ない。

 

「二枚目は、外見を権力にしていると思われているが、実は、人々が外見でしか人間を判断していないということなのだろう。」p163

(糸井担当「ハンサム」の項目より)

 

 こうして見直してみると、どうも村上春樹の女性関係の描写と糸井重里のシニカルな視点に共感したようである。

 

 どんだけ若かったのかと思わざるを得ない。

 

 さて、今回読み返した時に印象的だった項目は、むかーし線を引いた項目とは全く重ならなかった。

 

 それは村上春樹の「ハイヒール」であり、糸井重里の「ランチ」であった。

 

 村上担当の「ハイヒール」は、素敵なハイヒールをはいて地下鉄に乗っている象の話である。

 

 糸井担当の「ランチ」は、大爆発が平然と起こる「世界の偉人展」の話である。

 

 どちらもまともに受け止めると荒唐無稽すぎるが、これは小説だからそんな必要はないのである。

 

 「ハイヒール」で象はラッシュ・アワーの地下鉄に乗っており、主人公は不安そうな象に話しかけて安心させてあげる。

 

 これは例え話であり、例え話にすることで作者が焦点を当てたい内容が明確になっている。

 

 例え話だから読者は象を好きに置き換えて読むことができる。

 

 「ランチ」は過去の悲惨な出来事をもとに書かれており、やはり同様に別な出来事に置き換えて読むことができる。

 

 こうした作品を理解できなかった昔の自分はどんだけ若かったのだろう。

 

 さてさて、目に付いた幾つかの項目に触れてそろそろ終わろう。

 

 「クールミント・ガム」(村上担当)では「1973年のピンボール」を書いた記念にピンボール台をもらっと書いてある。

 

 「1973年のピンボール」は1980年出版だから1981年出版のこの本は比較的短期間に書かれたのだろう。

 

▼「1973年のピンボール」(1980年出版の単行本)

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 「ラヴレター」(村上担当)で村上春樹は、

 

「十年ばかり前、僕は一人の女性にむけて厖大な量のラヴレターを書いた。」p217

 

と言ってる。

 

 「結婚してからはもちろん手紙なんて書かない。」p217

 

のであるが奥さんは時々読みなおしながら、村上春樹の手紙には、

 

「なにかしら人の心を打つものがあったのよ」p217

 

と言うそうである。

 

 どんな手紙だったのだろうか。

 

 そして村上春樹は敢えて短い手紙を書いてこの項目を終わる。

 

「拝啓

 このあいだ君が作ったあげだし豆腐

 とてもおいしかったよ。

 

                 春樹

                 19818/24」p218

 

 今書いたらどんな手紙になるか試してみたのだろうか、今の感謝の気持ちを伝えたかったのだろうか。

 

 その他にも「ハルキ・ムラカミ」、「シゲサト・イトイ」などお互いに相手を評した項目があったりして、村上春樹や糸井重里のファンなら案外、面白い読み方ができる本かもしれない。