行動をしないと何も生まれない。仮説・実践・検証のサイクルも、実践しなけりゃ
まったく意味が無い。
僕の日課ですが、ほぼ毎朝「全従業員宛」にメールを送っています。一方的に発信しています。
(1) 全従業員(50名)宛に、「今日もガンバっていこうぜ」メール。
(2) 全社員(14名)宛に、「売上速報」メール。
(1)は、ほぼ日の糸井重里さんの「今日のダーリン」のような感じで、エッセイっぽい内容です。
自分自身の思うところ、考えているところ、経験談や気付いた点など、様々です。
また、経営や商売に興味を持ってもらいたい気持ちから、やや業務の要求レベルが高い内容
(店長、課長、部長らと話すような)も時には送ったりもます。
(2)は昨日までの数値関連をまとめたモノと、今日や今週の重点政策の確認などです。
これらは、みんなが見ているのかどうかは知りません。
また、みんなが見たかどうかの確認はしません。
そして、たいがいは見ている体(てい)で続きの話をします。
その時に、見ていないからと言って叱りませんし、見ろよ、とも言いません。
ようするに、「見る人は見て、見ない人は見ない」ことを前提にした、仕事の共有手段だと
割り切って、毎朝発信をしています。(目的として、直接的な効果はあまり望んでいません)
もちろん、全員に見てもらいたい内容やし、出来ればみんな見てもらいたい、って気持ち
はあります。内容もいろいろ工夫したりも自分なりに文面を考えて送っています。
たまに朝礼で言ったり、何かの機会で言ったりもします。伝え方はいろいろありますからね。
中には絶対にこの人には伝えたい!と思ったら本人に直接話しをしますし。
◆じゃ、なぜそうまでして毎朝、「発信」をし続けるのか?
これは、会社(代表者)と従業員との「コミュニケーション」の一角だと思います。
ほとんどしゃべったことが無くても、「大井さんてこんな感じの人、あんなこと考える人」
ってのがわりと容易に想像できるようになると思います。
もっとプラスに考えると、「この場面で社長だったら、きっとこんなこと言うんだろうなー」
くらいわかってしまうかも知れません。現にそういうやり取りを部下と何度かしています。
僕はここに、「会社にとって、大きなプラスの材料」「じわじわと間接的な効果」を感じています。
そのため、ほぼ毎朝の日課のメール「発信」はこれからもずっと続けようと思っています。
では、具体的にどんなメールか、ちょっとだけ紹介します。
(実際に6/4の朝、全従業員宛に送ったメールをそのまま掲載します)
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件名:d(´∀`o) 06月04日(火)のガンバっていこうぜ!
o(゚∀゚)o おっ ヽ(゚∀゚)ノ はー!
< 「 カ ッ コ エ エ 」 か 、 「 ダ サ イ 」 か で 決 め て る 。 >
人生には毎日たくさんの「選択・判断しないといけないこと」が山ほどあるよなー。
ものごとにはすべて、選択と判断がつきまとう。当たり前だけど。
これは大井流(昔からそうしてた)の選択の基準って言うか、やり方があって、
◆「カッコエエ」 →選ぶ、やる
◆「ダサイ」 →選ばない、やらない
とか、単純にそこで決めるようにしてた。イヤ、ただなんとなく。
もちろん、主観で。自分が、自分の頭の中でどう思ったか、で全部決めてた。
仕事で、みんな嫌がるような仕事や、難しい仕事が目の前にあると、
・「難題」を軽く片付けちゃうオレ、カッコエエ →やる
・「難題」が出来ないオレ、ダサイ →やる
みたいな。
でね、たまーに、「あれ?知らん間に、ちょっとダサイ方に流れてる?」って
自分で思うと、ささっとカッコエエ側に戻そうとします。
(あくまで全部主観ですけど)
本を呼んで「あ、この人カッコエエ」と思ったらスグ真似します。「ダサイ」と思ったらやらない。
ただ効率よく打算的に、損得勘定だけで判断すると、バルカン星のスポックみたいになっちゃうからね。
まあ、人には色々あるから正解はわからないけど、自分の頭で考えて、自分でベストだと
思ったら、それはそれでいいと思うよー。
今日もガンバっていこうぜ!
PS こうも思う。
・カッコエエ、の道 →しんどい、苦難、大変、成長する
・ダサイ、の道 →さぼれる、楽ちん、成長しない
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うーーーん、
なんかちょっと後で読み返すと恥ずかしいかも(笑)
ガンバろうっと。