「限界」について色々考えた。
人間には限界がある。身体的に言うと水の中で1時間とかいられないし、空を飛べないし、100mを1秒で走れない。しかも人間は皆同じではない。個人個人によってそれぞれ別々の限界がある。最もわかりやすいのはスポーツで、いろんな種目・競技があり世界一を決めるオリンピック記録なんかも「人間の限界への挑戦」ってわけで、そう考えると「限界=記録」となる。
オリンピックに例えると「うん、そうだねー。わかりやすいねー」となるこの「限界=記録」が、ビジネスの世界では日常的に「よくわからなくなる」ことが多い。はたして自分は限界までチカラを出し切っているのだろうか?、仕事上の今の自分の限界(記録、この場合は成果か?)はどこにあるのか?ビジネスでは楽して儲かることもあれば、苦労してまったく儲からないことも多々ある。
「仕事における限界って何だろう?いったいどこなんだろう?」
ここでは身体的な追い込みについては考えない。つまり、休みなく何時間・何日間働けるか?とかそのたぐい。そんなこと考えても意味が無い。意味が無いのは「答え」として求めていないから。なので、そういう条件を足すので、正確には、
「適正な業務時間内での、仕事における限界って何だろう?いったいどこなんだろう?」
サラリーマンなら、いわゆる「業績評価」や「能力評価」の際に使われる「要求水準」を思い浮かべると思う。定性評価や定量評価などあるが、基本的には上司が求める水準ラインを越えたかどうかとなる。(この場合は「限界」をイメージするから、最高水準ラインか)そして経営者なら「費用対効果」(ヒト・モノ・カネの最少リソースにおける最大効果)や「生産性」(労働分配率)などを思い浮かべるのかな。
いずれにしても、「自分の限界」って自分以外の他人に決めてもらえるのは可能なのかな?
とか考えたりする。答えは「ノー」じゃないかな、と考える。だって他人は他人。他人に自分の限界を知ることなんて、どう考えても到底無理な話でしょ?じゃあ答えは1つじゃん。
限界は自分で決める。限界は自分自身で無いと限界だと判断ができない。限界だと認識できない。
次のステップに話を進めるために、この答え「限界は自分で決めること」で行きます。
じゃあ、スポーツ界の「限界=記録」の考え方を取り入れると、「記録更新」とはどういうことか?と考える。「記録更新=限界を超えた事実、限界突破」となる。これを成果が上がった、成長した、と考えることが出来る。また「新記録」は樹立と同時に新たな限界点となって立ちはだかります。「新記録=新限界点=新目標」とも言えるでしょう。
こんな風に考えると、
「限界」→「記録」→「突破/新記録」→「成長」→「新限界」→「突破/新記録」→「成長」
こんな風に、「限界」って単なる目の前の「ハードル」「越えないと行けない壁」なんだろうかとも思える。ただ単純に。で、こう言う風に考えが進むと次のステップ。
このロジックが正しいなら、
「常に目の前のハードル(限界)を明確に設定すべきではないか?」
と言う1つの仮説。「限界」をはっきりくっきり可視化・見える化することが一番いいんじゃないか?と。「限界」があやふやしていると、さてどうやって超えるか、何を鍛えて何をがんばっていいのかさえ全くわからん。「限界=記録=越えるべき目標」の可視化は必須。
限界がわかれば、限界突破のために、ただ必死でがんばれる。
(もちろん、様々な工夫や効果的なトレーニングや手法・テクニックが必要だけど)
話が堂々巡りして申し訳ないけど、強引にまとめ。
・「限界」は自分で決めること。他人は決められない。
・「限界」は「記録」であり「目標」であり、突破すると「成長」「新しい成果」がある
・「限界」を可視化、具現化(数値化が好ましい)することで、より効果的な挑戦が可能
今のオレの「限界」は何か?
「自分の限界はよくわからない」=「自分の目標がない(=成長がない)」
そんな風に色々考えた、桜舞い散る今日この頃です。
やー、春ですねー(笑)