献食菜集 -182ページ目

カラスの勝手やで。その2

karasu

私をカラス糞害から守る正義の味方、TEPCO隊員がやって来た。
銀色に塗装された重装備の特殊車両も到着だ。

TEPCO2号と名付けよう。

特殊車両から降りた隊員三名は非常に礼儀正しい挨拶を
すばやく済ませ、行動を開始した。

「あのさ、あの線にも付けた方がいいヨな。」
「それだとこっちとあっちも要るヨな。」

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TEPCO2号に装備されたリフトは動かさぬまま
ただひたすら地面から電柱を見上げて
紙の上に、ああしよう、こうしようと鉛筆なめなめ、
なにやら書いておられる。

私の救済は一体どうなったのかと考え始めた頃
「では、日を改め作業班が来ますのでよろしく。」
とリフトなど動かさぬまま、TEPCO隊員は現場を去ったのである。

なんと彼らは「スコット」、あの重車両は1号だったのである。

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こぎれいな長男のスコットからの連絡を受け
独りどろんこになって作業する次男「バージル」の到着は
それから2週間も過ぎた頃であった。

電線には「テグスノようなものを、
鉄製部品には金属製のとげ状のものを」と
バージル隊は3台のリフト車でテキパキ仕事をこなしていった。

「よしよし、これでもう安心あんしん。」

9.6

満足する私達を遠まきに見つめるカラスの影があった。

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カラスの勝手やで。その1

我が家は2本の細い坂道でできた十字路に面して建っている。
その坂道と建物とのあいだに小型の乗用車をがやっと
一台とめられる駐車場がある。
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駐車するとドアの真横に電柱があるのだが、これが、十字路に立っているので
4方向から電線やら電話線やらがこの電柱に集ってきている。

電柱を見上げれば「トランス以外のものは全部取り付いていますね」と
東電作業員が教えてくれたほどのデコレーション電柱。
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ついでに、ここにカラスやスズメなどが集って来る。
そしてついでに糞を落として行く。

月曜と木曜日の燃えるゴミの回収日ともなると
朝も早くからこの電柱と、ここから50メートルくらいはなれた電柱とで
「クワ-」「グワ-」と連絡を取りあう。
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そして自動車で出かける段になると、フロントガラス、ドアノブにぶちまけた
糞との御対面だ。
カラスの糞は量が多い。
ドアノブが糞まみれだと洗ってからでなければ開けられないし
フロントグラスが糞まみれだと
その日は「目の上のたんこぶならぬ」
「目の前のカラス糞」に付き合いつつ運転する憂き目に会う。
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引越し当初はまさかこんなに頻繁なる出来事とは思いもよらなかったので
寛大な心持ちで「洗えばよろしい。」と許していたのだが、
決まった日に予想通りの事を、裏切ること無く間違い無く繰り返されると、
これまた腹立たしいものであって、

ある日「クゥアー」とか鳴いてやがるので玄関開けて外を見た所
まさにカラスが糞たれる瞬間であり、心持ち尾羽を後ろに突き出す様に
して糞たれるその光景にまったくムかっ腹がたち、
「このような糞害に憤慨するのは私ひとりでは決してあるまい」と
怒り抑えつつ東電に電話したならば、「糞害対策」なる処置があるとのこと、
「さすがテプコ」と感心したのである。
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ウリ ハメバ

瓜食めば 子ども思ほゆ

栗食めば まして偲はゆ

いづくより 来りしものそ まなかひに

もとなかかりて 安眠しなさぬ

山上憶良
200693

この万葉の歌をたまたま調べる機会があり、
このうたを英語に翻訳しているサイトにたまたま出くわした。
その出だしが

When I eat a melon.

この翻訳に何も異論はない。

私の場合はこれを読むと「マクワ瓜」「真桑瓜」が思い浮かぶ。
「まくわうり」はわが国に古くに渡来している品種のひとつ。

わたしが幼い頃、祖父と祖母が畑で作っていて
おやつに食べさせてもらった。
小ぶりで清楚な感じの外観。ほの甘い味のうり。

瓜には多種あり、
山上憶良がうたった「瓜」はどの品種なのかという事は、
研究していないので私にはわからない。
kobotoke

ところで「melon」でこの歌の持ち味は通じるのか。

親が子を思う気持ち、こどもがもつ愛らしさは
時代やことば、文化、国をこえて理解しあえるだろう。

同時にそれは山上憶良のが生きていた時代と現代では
文化、生活も違うから、厳密にいえば同じ日本人であっても
山上憶良のうたの世界は想像でしか味わえない、と言う事になる。

そういう点ではどこの国の者でも、同じ様にこの歌を解る事ができるし、
同じ様に解る事が出来ないということにもなるのだろうか。

歌は論文でもないし人間の感情に関する解説文でもない。
歌はことばの音や意味で、雰囲気や空間 をかもし出す。
つまり、このうたの意味を理性的、知的に理解するのではなく、
それに浸りながら感覚としてその歌を受け取っているのではないだろうか。

その時、歌のことばを、ことばとことばの間を、ことばの余韻を
時代や場所や人物、生活、文化といったものが土台となって支えているのだ。
kobotokehatake

「うり」ということばから何かを感じるのは
「うり」についての何かの記憶があるからで
「うり」ということばがなくならないのは
今でも「うり」が存在して
「うり」を食したり、何かに使ったりする生活、
習慣、文化を私達が継承しているから、という事だ。

それは、生活、習慣がこれからも変化し続ければ、遠い過去の
歌はますます理解が難しくなるという事でもある。

kobotokesora

クガツ ツイタチ アメ

8.31.2

夏休みが終わり各々が持ち場へ散って行った。
休みと暑さで膨張した脳みそを冷却する、
涼しい雨で9月がはじまった。

8.31

弁当も今日から始まった。
9月の中頃くらいまで、残暑が続く間は
弁当は梅干し入りオニギリと
別の容器に少々のおかずを入れて
もっていく。
弁当がわるくなるないように。

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20才の頃、友だちから安く買ったTEACのオープンリールデッキ
を近くの(有名)修理屋さんに譲った。
「部品取り」として使わせてもらいますよ、ということで

私もただ捨てるよりは気分がよい。

koi

レコードもcdもあるけれど
聞く装置がない。
もともとながら族ではないので
よっぽどの雑用の時と
「音楽を聞く」時以外は音楽を鳴らさなかった.

聞いていた音楽も1940から1970年頃の
黒人達が演奏したblues限定で
cdも古いレコードから起こしたものが多かった。
それで20才の頃から今でも音楽に関しては鎖国状態が
続いている。

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今興味あるのは琵琶の演奏と中国の琴の演奏。
両方ともslack souds。
bluesにも色々あるが特に好きなのはslide guitarの
slack sounds.
black blues menの演奏するギターはslide guitarで
なくても音ひとつひとつに
含みがあり、ゆらぎがあり、
色があり、空間がある。

琵琶の音やと中国の琴の音にも同じものがありそうな期待がある。

私も「三丈」の演奏で実現したいのは
slack soundsで表現した音だけの世界。

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こんな偏屈状態なのでますます音楽を聞かなくなってきた。

ko

これからますます年令とともに
絵や音楽で苦労すればするほどに
偏屈に磨きがかかるのは
必至である。
tuki

バラバラ

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夜、こおろぎの合唱がにぎやかになってきた。
アスファルトで覆われた住宅街の
家々の小さな庭や、ほんの少しの雑草の陰から
「夏はおわりだ」と聞こえて来る。
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それにしてもバラバラに鳴いている。

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夏の田んぼ、
ウシガエルはまとまって鳴く。
その感じは「謡」にも似ている。

他にはトノサマガエル、アマガエルなどもにぎやかに鳴いているが
どう言う訳か別種のかえるたちが一斉に鳴き止む瞬間がある。

その瞬間、どのくらいの範囲に棲息しているカエルが一斉に鳴き、
一斉に鳴き止むかは判らないが

とにかくその緊張感のある静寂をカエルは何度もその場所につくる。

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ほたるもバラバラに光っているようでいて、
その中にまとまって明滅するタイミングがあるらしい。
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それにしてもバラバラに鳴いている。

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高校生の頃、ラジオの深夜放送ではじめてジャズを聞いた。
その印象は

バラバラな音楽。


こおろぎはその色、形からクラシック音楽のバイオリニストに
擬人化されている絵などをよく見るが
じつはジャズミュージシャンか。

アドリブしている演奏者が他のメンバーに、
その長さや始まり終わりのタイミングを
どんな方法で伝えているのかという質問に
日野皓正が
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「あらかじめハイハットの数で決めている。」

驚きである。
でも彼らほどになると、いちいちハイハットを打つ数を
かぞえなくとも、感覚で時間の長さとして、とらえるらしい。
いずれにしても驚く。
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コオロギの鳴き声も、聞き手(私)の勝手のせいで、
バラバラに聞こえているだけかも知れない。

モールス信号のように長さを組み合わせている。
その組合せのバリエーションとして別個体が間に鳴き声を入れているとか。

長さや、他の個体と鳴くタイミングが揃うとか揃わないではなくて
強弱が重要だとか。

ホントか。
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