献食菜集 -181ページ目

素敵なデザイン

ひと雨ごとに秋深まる。
虫の声は朝から晩まで続く。
蝉の声はいつの間にか消えてしまい、
日が暮れるのも早くなった。

先日とても嬉しいことがあった。
ある人物の名前をネット検索していたら
偶然、建物の画像に行き当たり、それがすてきなデザインでした。
「ああ、こんな素敵な家に凡淡水の作品がかかるといいだろうな」と思いながら、
その建物を設計した会社のweb siteにとんだら
掲載されている他の家のデザインも、店舗のデザインもまさに
「にくいほどツボをついているデザイン」
ますますこういう家や、店舗に凡淡水の絵をかけてみたいものだ、との思いが募り、
思いきってメールを出す事にしました。

しかしプロフィールをみると、とても活躍されている。
「これじゃメールも見て貰えないかも知れないな,出すのやめるか」とも
思ったのですが「いいやだめもとで」と、とりあえず出す事になり、送信。

そうしたら丁寧に返信をいただき、凡淡水の作品も気に入ってもらいました。
それだけにとどまらず彼のサイトのブログで紹介していただき、
クライアントにも紹介してくださるとのこと。
伸びるひとは、やはり出会いを大事にする人なんだなと感心させられました。

その後、御礼の電話をしたところ、
新しい感覚の「和」のイメージの家、
屏風に凡淡水の絵を、という構想まで話しが発展しました。
その後2日間、喜び持続中です。
atelier RATS(アトリエ ラッツ)古後 信ニ 氏 のサイト
http://www.oct-net.ne.jp/~rats/


細胞的世界

市街地を低速で自動車で走っていると大勢の人達の
いろんな場面に会う。
それぞれの人は自分を中心としての世界をもち、
その小さな各世界が人間の数ぶん集って社会を作っている。
ひとの集りは小さな世界の寄り集りだ。

自分を中心に世界がある、と表現すると、とても自己中心的なまた利己的な
世界観、と悪いイメージでとられるかもしれない。

自分を取り巻く事象を自分の感覚、意識を通して知覚する、
という方法しか私達は持ち得ないので、
個々人の世界をかたち作るために外部から取込む情報は、
基本的には主観的な性質をもつ。
それを必要があれば様々な角度から検討して
よりその情報に客観性をもたるようにしているのだ。

「他人の顏」で安部公房は、「他人は自分をひきたてる額縁だ。」と書いた。
朝、自分が目覚めた時こそその日の世界の始まりである。
満員電車に乗る時には、まわりにいる多ぜいの人間は
「満員電車」であるための原因でしかない。
それぞれが「今日もひとでいっぱいだ」と感じている。

自分の周りに住む他人も家族も、夜それぞれの家からこぼれる団欒の灯りも
自分の日常を彩ってくれるものでしかない。お互いさまに。

赤信号に立ち止まっている男。
彼が世界をどう観ているのか、興味がある。
少しだけでも彼の目でこの世界を見られないものか。

これから、どこへ行こうとしているのか。
急いでいるのか。
では今の赤信号はわずらわしいだろう。
同じ場所を青信号で通過する私は
彼のめにはどう映っているのだろう。

当然ながら個人という単位は決して全体にはなれない。
ちいさな個人の世界が世界の人口分集って、人類という集合だ。
同じ民族、文化言語、またそれらを超えた思想、感性、共通の欲望、
などで、個々の世界全体をもってしてではなく、部分で仮に繋がっている。
それがネットワークとして拡がって全世界という概念が出来ている。

思想というかたちある物体などない、主義というかたちのある物体もない。
書籍、映像,言語などのメディアを通じて個々の世界に、
つまり個々人の脳に生きている間だけしまわれているだけだ。
それで、小さな世界が知らぬうちに集って
リレーのようにあとへ遺す共同作業をしてるのだ。

こんな約束を交わしたおぼえはない。
企業や会社などで働くためには約束を交わす。

けれども人間の究極の働き、つまり人類をあげての共同作業は約束など
交わす事なく参加しているのだ。
個人の世界はやはり全世界と繋がっていて、個人の世界を磨く事は
全世界のほんの少しの部分であっても確実に磨いていることになる。
コンピューターネットワークはこの共同作業に要する時間を短縮させている。
家のきたない机のうえにあるちいさなパソコンは世界の切り口なのだ。
そう考えると嬉しくなる。



高校説明会

高校説明会が行われた。
私立公立4校の代表が中学校にきて
それぞれの学校の特色などを説明、宣伝する。

各学校とも担当している先生は、人前でアピールする事を
得意とする人達であろう。
学校の特色よりも彼ら4人の個性が見えたようだ。
彼らの人生のとらえかたが、そのまま高校、大学進学、
についての説明に反映している。

また彼らの説明を聞いて共通して感じた事は
それぞれの学校の都下、地域においての
役割や評判、学力レヴェルなどを、
直線的な優劣としてとらえるよりも
生徒たちの多様な生き方をサポートする事ができる
バリエーションのあらわれとしている事だ。

子どもの数が減り受験競走は緩和されているかのようだが
有名大学、高校の入学競争率は高いままで、
それ以外の学校の生き残りかたとして、
学力、学歴から焦点を外す必要がでてきたのだろう。

「同じ事をするのでもお金がかかるとやはり違う。
良い設備とかっこいい校舎、一流大学を目指さないなら、受験なんかやめて
スマートに大学へ進学しよう。」
「人生で大切なのは設備、環境よりも努力、周りに流されないで
我が道をゆく事こそ大切。自分に自信あり。ぼろはきてても
心の錦。」
「自己を過大評価し過ぎず、社会が必要とする人材になり、そして社会の歯車になって機能していく
事こそが大切なのだ。」
「人生いろいろ。でも毎日楽しければいいんじゃないかな。
毎日のつみかさねが人生だからね。気持ちの持ち様というのは
凄い力を発揮する要因になるよ」

「4年制大卒、就職を決め、仕事を決め、結婚し、子どもをもうけ、
家を建て、孫をみて、静かな余生をおくる。」
膨大な数の人間のごく標準的な生き方。
「世界の中の日本」の存在を支えている生き方。

高校進学はその一課程と考えているのだろう。

教育は時代に左右される。
学校は社会が要請する人間を育てるところ。
理想の人間を育てている所ではない。

大学もそうであろう。
より専門的な研究に携わるところだ。

深い研究の結果 または偶然に、自分の人生を変えてしまうほどの事象に
出会ったり、人物に出会ったりする事もある。
けれどもそれを学校が予め準備出来ないだろう。

日々の生活の中で、自分が携わる仕事の中で、
生きている意義や人生の意味を考えるきっかけは
見つけるひとにしか見つけられないし、
また誰もが見つけなくてはいけないとも思わない。

カラスの勝手やんか(おまけ)

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夕方、浅川にかかる橋の上空を
2羽のシラサギがカラスに追われていた。

2羽のカラスが1羽のシラサギを攻撃している。
シラサギは2羽逃げているが、片方だけがカラスから
集中攻撃を受けている。
シラサギはいつものねぐらのある大木にやっと逃げ込んだ。

ウミネコvsカラス トンビvsカラス
この対戦を男鹿半島の港で見た事があるが
どれもカラスが優勢であった。
どれも1羽の相手を2羽以上のカラスが追いかけていた。

カラスの天敵はオオタカだとか
聞いた事があるが、
オオタカは都下では稲城に
棲息するが絶滅寸前。
これでは空の天敵もひとつ減り
ますますカラスの天下では
ないのだろうか。

カラスは非常に敏感。
特に人間の視線にたいしては非常に敏感である。
かなり遠くから見つめても
姿をかくして見つめても
からすの様子が変化するのが判る。

カラスの頭の良さを示す例として、
くるみの中身を食べるため、くるみを上空から硬い路面に落としたり、
自動車にひかせたりする、というのがある。これは目的がはっきりしているが

JR横須賀線の線路の置石の目的は何だろう。
列車転覆脱線か。まさか。
興味本位としてみても一体何に興味を示しているのか。
人間が慌てる様か、列車の停止か
石が砕けたり、飛んだりする様か。

九官鳥やインコ、オウムがひとの喋るのを真似るのは
よくあるが、カラスが人まねをするのはいとも簡単なのでは
いかと思えるが、あまり聞かない。

まどの外、高い所から
「オイ。」とか「コラ。」とか。
聞いた人はびっくりするに違い無い。
カラスはおうむ返しではなく、言語を理解出来そうだし。

「鷹匠」はいるが
「カラス匠」もいたら凄い。
鷹より色々役に立つのではないだろうか。
「あのスピード違反のレーダーのポリスに糞落としてこい。」
「クワ-。」(了解)とか。

「あのばか犬懲らしめてこい。」
「クワ-グワ-。」(自分でやれよ)とか。

しかしカラスが人間につかわれるというようなことが
ありそうな気がしないが、実際どうなんだろうか。
カラスを飼育してるひとはいるのか、いないのか。

あとで調べてみる。

カラスの勝手やで。その3

9.6

電柱に鳥用障害物を取り付けてもらってからは
燃えるゴミの日になってもカラスの鳴き声は遠く、
糞害はなくなったかのようにみえた。

しかし、一週間位経過したある日の午後のこと
ずいぶんと近いところから聞こえる、

「クアー」「グルゥグルゥグルゥ」

まさかと思いつつ電柱を見上げたなら
とまりにくそうな場所にとまりにくそうな格好で
カラスがモジモジとまっている。
「まぁだ、止まれるモンねぇ。」
と言っているように聞こえる。

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「君はそこまでしてこの電柱にとまりたいのか」

しかも、御丁寧に糞垂れていく始末。

どうしても、私の車に糞をひっかけたいのか、
どうしても、この電柱で糞がしたいのか
ただ、私をからかいたいだけなのか。
障害物がそれほど危険なものではないことが
判ったのでもあろう。

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TEPCO隊員が話してくれた。
糞害苦情の処理を何件もまわっている中に
理由はわからないが動物が集って来る場所が時々あるらしい。
みはらしがいいとか、安全だとか、餌場が近いとか。
そういう所には、いくら糞害対策を施してもスズメやカラスが集って来るのだそうだ。

そういえばこの場所は猫も来るし、スズメも巣を作っていた。
カラスにしてみても、何でこんな良い場所を妨害するんだ、と
憤慨しているかのも知れない。

糞で汚される回数も激減したから
こちらもこれで一件落着とする。

お疲れさまでした。
「クァー。」
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