献食菜集 -168ページ目

うもれて寝る

毎日、絵に埋もれています。やく一年ぶりの個展の準備のため片付けて

あった作品をひっぱりだしているためです。

一年ぶりに再会する絵を展示用に仕上げます。
そんなに簡単には準備できるわけがないので寝るだんになろうとも

かたづきません。しかたなく布団を敷く面積分かろうじて作品をかきわけて寝ます。

四面楚歌ならぬ四面溢絵といったところです。
過去を通してもこんなに自分の作品に埋もれたのは初めてのことかもしれません。

久しぶりに再開しても美しいです。


















準備万端

個展の準備が思ったより大変です。前回よりも小さなパネルを使った作品が増えたからなのですが、

もっと詳しく言うとB_2のパネルを準備するのもB_5やB_4のパネルを準備するのも手間のかかり方はそれほど変わらない、ということなのです。

前回まではB_2のパネルを組み合わせていましたが、組み合わせの自由度をもっとあげるためにパネルの種類を
増やしました。これで絵の位置がパネルの半分そのまた半分とずらすことができるのです。


おかげでたいへんになりました。パネル10枚でひとつの作品なんてのもあります。

作品の大きさとしては小さいですけどね。

やっと更新できました

長い間更新できませんでしたがようやく再開です。

さっそくお知らせからですが

6月1日より国立のギャラリーアルケミストで凡淡水個展がはじまります。

また6月の下旬からは新宿住吉町のGyallarey Mottでの個展です。

ぜひおこしください。

これからはいままで書くことのできなかった数ヶ月間でおこったことなど書いていきますので

よろしく。

短いですが今日はこれにて。

エダ ミキ ネ/ 枝 幹 根

kumo

凡淡水アートギャラリーのカウンターがいよいよ10,000人に近づいてきました。

さて今日、いつも通う発掘場所のケヤキの木を見ていたら突然気がついたことがありました。現在ケヤキの木は葉が一枚も無い状態です。私たちがいる所は関東ローム層まで掘り下げられてあるので、元々の地表より1,3mほど低い。
つまり私たちが低い所にいるので、木の根が地面に隠れ始める位置が私たちのお腹のあたりの高さになる。



それで、「枝」と「根」に違いがないことに気がついた。
それぞれ広がる場所が地中か地上が違うだけ。
草の葉と根ほどの違いがない。

上下対象のとても不思議な物体に見え始めたのです。
人間の手と足位の違わなさ。
頭部をなくした人体の感じです。

それで、たとえば何かの都合で現在の地表の位置が上がったり下がったり
すると幹や根はどんなことになるのでしょう。
幹は根に、根が幹に容易に変わる事ができるのではないかと思えるのです。

何を言っているのかと思うかもしれませんが
「根」「幹」「枝」ということばから自由になって
観念で分節されていない「木」が見えたのです。

自分の位置が変わるとものの見え方が変わります。

終わりの無い末端

毎日うかうか生きている間にも
権力者達が自分たちの都合の良いように
法律や制度を変えようとしている。

公的機関がやれば税金の無駄使いと国民から酷評をうけることでも、


公的機関であれば情報の開示義務があることでも
もしその同じ仕事を民間にやらせれば、無駄使いといわれずにすみ
情報も隠しておける。
民営化とはそんな側面をもっている。

企業は社員を増やさず、福利厚生、ボーナス、人事
の手間、などがいらない派遣社員を使う。
人間の使い捨てとうわまえをはねるシステムが堂々とまかり通る。

また同じ状況が中国の経済特区の成長を支えていて
おかげで日本人はその安い商品を喜んで買っている。

ダーウィンの悪夢を見た。

しわ寄せは末端へといく。そして末端はどんどんつくられていく。
資本主義が生み出した弱肉強食は、21世紀に経済グローバリズムに
よってますます顕著になる。
過労死や貧しさは自己責任だと主張する者がいる。
まるで時代は逆戻りしている。