献食菜集 -166ページ目

20年まえ

個展が近づいてその準備と新しい作品の制作に追われてブログの更新がままなりません。
ようやく気になっていた事が消えうせ、いつものように淡々と作りつづけます。
まだまだ気持ちの柔軟さが取り戻せていませんがそのうち戻るでしょう。


今年の暑さはなぜか20年前のムサビの通信教育のスクーリングを思い出させます。
夕、夜のすずしさ、静けさ、ここには語らう仲間はいませんが

あのわくわくするような楽しい気分が心のどこからしか湧いてきます。

皆元気にしているでしょうか。



もいっかい

私は
目の前がさっと洗い流されるようなあの瞬間に

私は画用紙の上で、立ちあいたいのではなかったか

そうだ、そういうものであった。


そしてその瞬間は
私だけのものではなかったか

そうだ、そういうものであった。


そうだ、そういうものであった。


















入梅か

家族全員が写った2年前の写真を見たら、全員がずいぶん変わっていることに気がついた。たった2年前なのに、この変化には驚かされる。日々の小さな変化には気づきにくいが確実に成長または老化しているのだろう。

人工物に囲まれた世界に生まれおち、ヒトが作り出した社会のシステムに従って生きることを余儀なくされる。それが出発点。
そして何十年という短い一生を通してその人工の世界と接触しやがて消えていく。
その間には、子をつくり遺伝子を後代に残すひともいる。また人工の世界を維持すべく何かしらに貢献している。
自分の周りにあることを世界の全てと考え、より楽な生活ができるように働く。
そしてその実現のために短い一生は費やされていく。



昨今、雇用の安定は失われ、企業に雇われることによって人生の経済面を保障してもらう、という生き方が出来なくなくなってきた。
それに変わる生き方は見つからず、スリム化を目指す企業によって非社員として保証のない雇用が激増している。

今はヒトが社会の中で生きていく型の変換期である。サラリーマンという型は過渡期を迎えている。しかしそれに代わる安定型は

いまのところない。
売れない画家や音楽家など自由を標榜する者ばかりではなく、あらゆるヒトが自分のこれからの生き方そのものが課題になり模索しなければならなくなっているのではないだろうか。

あと10年もすれば私の子供たちも社会に巣立つだろう。その頃どのような状況が社会を覆っているだろうか。男女の役割が今よりもっとクロスオーバーするであろうか。
私はその頃、56年を費やして何に、何を貢献できるようになっているだろうか。




































夢見

18、19歳のころ美術の予備校の夏期集中講座に通った。
石膏デッサンや平面構成などを勉強するのだが、学校での石膏デッサンの続きを、

必ずその日の夢の中でやった。
その後、画家のアトリエでデッサンを習ったりしたがその頃は身につくことも多くあった

けれども夢の中で続きなどしなかった。


この頃珍しく久しぶりに夢の中で絵を描いている。
また今月の26日から始まる新宿住吉でのギャラリーでの

個展についての夢を見る。
おそらく自分の心の中のどこかで絵について、または個展について

ずっとひっかかってていることがあるのだろう。


とにかく合同展覧会を含めれば今年は3回作品発表の機会がもてた。

目標まではあと2回。


















右左正面

いつも自分を信じることで次の一歩を踏み出しているのですが、

時々周りの声に縛られることがあります。

しかしこれらを忘れて再び自由になるためには

時間の経過にまかせるしかなく、

染み込みの悪い紙に水がすっかり吸い込まれて

なくなってしまうのを待つ感じと似ています。

いちばんよいのはまったく違うことに没頭する

そしてころあいを見計らって再び取り組む。


けれども周りの声はその時の自分について

検討する機会を作ってくれてもいるのです。