献食菜集 -139ページ目

ナンバープレート 93-33

私には前を走る車両のナンバーを言葉に換えてしまう癖がある。
よくあるのは41-88 よいパパ とか よい母 88-88 はははは などはよくある。
93-28 臭い庭 0 18-30 人は去れ 59-23 号泣兄さん などもあるし 思わせぶりななんばーもあってドライバーはよく平気だなと 勝手に心配するのもある たとえば 11-18 いいいわーとか
07-24 おなにーよ とか11-19 いい いくっ などもある。
数字の前のひらがななども混ぜても面白い。 「ふ・・-18」で「ふ・・いや」というのもみかけた。

自分の車のナンバーは意外と覚えないもので、記入の必要に迫られたときはあわてる。あわてないように何とか語呂合わせを作って覚えておくと役に立つだろう。ちなみに私の車両は23-67で にさんがろくしち とあまりいいごろあわせができないがまあ覚えている。
江東区まで首都高で自動車通勤する友人は渋滞に巻き込まれることがおおく、詰まったときは前の車両のナンバーの数字をたしたり、ひいたり、かけたり、割ったり、累乗したりして、なんとかゼロにする方法を考えて時間をつぶすといっていた。

先ほど私の前の車両が 93-33 だったのだが 臭ささ。と読んだが。「くさっ!」とか「くさー!」は言っても「くさささ!」とは言わないなと、ふと我に返る。
痛いは 「痛っ!」は「痛たたた!」ともいうし「痛ーっ!」ともいう。
他には「熱っ!」「熱つつ」「熱ー」もある。

痛い、熱い、のような我慢しないといけないものは、筋肉の緊張を解いたほうが痛みが軽減するので語尾をのばしたり、何回も詰まらしたりして息を吐いて筋肉の緊張を解こうとしているのではないか。
ところが臭い場合はあまり語尾をのばすとその分を吸わなくてはいけない。臭いといってる空気を吸うのを避けるために「くさっ!」とすぐに息をとめるのではないだろうか。
関西地方では「くさー」とのばすがこいつは程度の表現で、のばすほど程度が強い。しかしそのぶん吸わないといけないので、すった後「うわー」とか「やっぱりくさいわー」などというのか。
その臭さが健康に影響がないとわかってる場合で、そのあと笑って終わるとか。
いくらなんでも危険な臭さの場合は「くさっ!」と短いのではないか。
そういえば「かゆい」も痛みの類だが「かゆゆ」とは言わない。
その刺激が危険なものでなく余裕があるときに限って程度の表現として息を吐き続けるのか。
私のようなものが関わる題材ではないことにいま気がついた。

栄養過多蚊

私の部屋に蚊が一匹入り込んでしまった。
熟睡中に腕や手の甲、足などに2,3箇所のかゆみを残して去っていく。睡眠中は弱い刺激でも強く感じるので、かゆみが原因で変な夢を見て目を覚ましてしまう。それが数日間続いている。
顔から遠いところばかりを狙って刺していくところも手強いのだが、さらに困っているのは2日に一回の割合でやって来ることだ。私の部屋は蚊が潜伏するには絶好の条件で、さすと直ちに物陰に隠れてしまう。白い天井にとまるような愚行はしない。長期型というか耐久型といった方法を身につけたなんとも優秀な蚊だ。
蚊取り線香をつけると部屋や衣類に匂いがつくので使わないから、ますます蚊はこの部屋で潜伏し続ける。産卵期のメスだけが血をすうということをきいたことがある。この部屋で血を吸い栄養補給に成功しても水溜りがないので産卵できない。どうするつもりか。
優秀な蚊としては産卵のためにこの部屋を抜け出すことなど簡単なことだろう。
まだ栄養が足りていないということか。
しかし、私の想像をはるかに超えて味わうためだけに血をすう蚊だったりしたら怖い。その栄養はどこにいくのだ。栄養過多蚊になってふらふら私の前にでてくるだろうか。

家に居る

奇跡的に工房の仕事が一年半くらい続いたがさすがに途切れてしまった。
時間が自由になったので存分に制作に向かいだしたら、新しい連作に行き当たった。
「鑑賞者のイコン」という連作で材料費が続く限り続けてみるつもりだ。
ガラスや鉛、真鍮などステンドグラスの材料を使って絵を組み合わせる。
絵を組み合わせるのは「混色採集」の連作と一緒だが、今回は絵の中に鏡をはめ込み、鑑賞者が絵の中にはいるというものだ。現在はキリスト教のイコンのイメージで作っている。イエスやマリアや聖人に登場してもらい頭部にあたる部位に楕円形の鏡がはめ込まれている。
写真で提示しても肝心なところが働かないので残念だがとりあえず近日中にウェブサイトにもアップデイトするつもりだ。

鏡といえば普段見慣れてる家族や友人の顔を鏡を仲介にしてみたことがあるだろうか。
イメージが全然違うのに驚かされる。あまり変わらないヒトもいるかもしれないが。私が見た限りではふだんのイメージと違う顔が鏡にうつるヒトが多い。左右が入れ替わるからだという理由ばかりではないような気が少しする。
やはり通常は場によって表情を使い分けてるはず。顔だけではなく姿勢や声などもそうだと思う。本人側からはそういう接近の仕方が用意されており、その人を見る側も勝手にイメージを作り上げている。
鏡は自分がその人に対して抱いているイメージを瞬間的に停止させる。初めて見たヒトのような条件に見るヒトを置くのだと思う。

私の作品「鑑賞者のイコン」の鏡に映る鑑賞者の顔は、おそらく鑑賞者そのひとにとっては
お気に入りの顔が映るのではないだろうか。不意をつけないのが少し残念なきがするが。。。

数十年ぶりにいとこに会う

私の従兄弟がすぐ近くの町に住んでいることが去年の暮れにわかっていずれ会いましょう、ということだったのが、今日をその日にして数十年ぶりに会った。
一番最後の会話の記憶は30年以上前でお互いが小学生くらいのころか。
私と彼とは顔つきはあまり似ていないが、何かしら手の指や腕の感じなどがとてもよく似ている。
私たちの祖父母の話や私の父といとこの母の昔のことを、私が聞き知ってることを話したらたいそう驚いていた。いとの父母はもう亡くなってしまっている。

私の父を亡くしたときに私たち兄弟で父や祖父、祖母の入るお墓をたてた。そのときに記録で遡上できる限りの家系についての情報も調べる必要があった。
私が名のる姓は私たちの曽祖父が養子にきてなのった姓である。血のつながりをたどろうと思っても姓をたよっていては結局わからなくなる。昔は子供を幼いうちに病気などでなくすことが多く、子供のおおぜいいるところからその次男三男などを養子でもらってついでもらっていることが多い。
血で遡上すると意外な姓にたどり着く。

自分の祖父母や父母などは自分からたずねて聞き出さなければ過去の出来事など聞きそびれて終わってしまう。自分が自分の子供たちに若き日のことなど進んで話さないことからもわかる。
これはぜひ元気なうちに聞いておくほうが良い。
ある共通の気質を持つであろう者が育て、育てられたものが、また育て と繰り返しているからだ。
歴史は繰り返されるとか、歴史から学ぶとかいういいかたがあるが人間全般のことではなく、まさに自分自身に繰り返されいている身近な歴史があるからだ。

極小輪ゴム

家内から長男へと手渡されて見捨てられていたHDDがしばらくほこりまみれで長男の部屋に転がっていたが、何の気なしにそれを触ってみることになった。
ディスクのEiectボタンを押すと機械音はすれどまったくふたの開かない。「なるほどこれか」と納得したのは、家内や長男がいつもクリップをまっすぐに伸ばしたものでHDDのふたのあたりを突っついている場面が記憶にあったからだ。
なるほどよく見ると小さな穴がありここに細いクリップをさしこんでいたことがわかる。
何回か彼らと同様のことを試したがまったく開く気配もなく、仕方がないので長男を呼んで実演してもらうことになった。
見事にふたが開いた。開口部からその小さな穴の行き着く先を覗いたが、どうしてそこに細いクリップを突っつくとふたが開くのか見当がつかない。

ここ数日、スーパーでにらが安いので何回か入手していた。にらを束ねるために根っこのほうを輪ゴムで縛ってあるのだがこの輪ゴムがやたら小さくて驚いていた。はずしてあと捨てるのも気がひけるし、かといって使い道が思い浮かばないようなものだが、とりあえず引き出しのおくに入れておいた。

HDDのふたが開かないことをインターネットで検索したら、やはり同じ目にあってるヒトがいるようで、それに対する回答も丁寧に載せてあった。そこには同じ形式のHDDの購入を勧めていてリンクまでしてあった。安いのでは2000円も行かないモデルもある。少しがっかりして先ほど長男が開けてくれたHDDの開口部を再び覗いてみたら開口部のすぐ下に何かしら見慣れた形の部品があった。このような精密機械の仕組みにはまったく縁のない私の目に留まったそれは、自動車のエンジンのVベルトの回転部分のプーリーにそっくりで、それが大小2個ならんでいた。しかもそれらはベルトで連動するんです、といってるようにも見受けられた。でもベルトがない。そうしたら、にらを束ねていた輪ゴムがふと思い浮かびそこにはめてみた。

そのHDDは今普通に使えるようになり意外な修理と結末に自分でも驚いている。