献食菜集 -125ページ目

でも、

昨日、国会議事堂前のデモに参加。
6時頃に着く。7時過ぎごろより次々と人が集まってきた。
私は議事堂からはなれた石垣の上に腰掛けていた。




8時過ぎには石垣もいっぱい。私の隣は子供連れの若い家族。
なにやら夕食の代わりにおやつなど食べながらシュプレヒコールにあわせていた。

色々と感じたことはあるがひとつだけ書く。

「色んな人がいる。」

































新しい作品を掲載。

題は「Flying not straight 」 まっすぐ飛んでいない。
片羽。

身体的には左右対称がよいと考えているので、あまり良くない。
絵も強くない。
脳も左右のバランスが取れてるほうが良いと思う。

偏りはよくないがエネルギーは湧きやすいようだ。
そうやってぶつかりながらコースを修正していくしかないのだろうか。




詳しくごらんになりたいかたは
BONTSART  へ


今日はこれから国会義堂前のデモに参加する。
30万人分の1になれれば、と思う。




































































「戦争」の反対は「平和」ではない。

戦争の反対は平和ではない。
では、何だというのか。それは「戦争を起こさせない状態」だ。と西谷修氏が放送大学で言っていた。

と、言う記事を9年前のこのブログで書いている。
http://ameblo.jp/bontansui/entry-10016300650.html

安全保障関連法案が衆院特別委で強行採決された。

午前中に仕事を終わらせて、すぐに国会前でデモに参加しようと電車に乗ったとたん、
毎日新聞のアプリで強行採決されたと、速報がきた。

中野浩一氏や小林節氏が、おそらく強行採決されるだろうから、問題はその後どうやって
安倍政権を倒すかだと、言っておられたので驚きはそれほどなかったが。
それで、コースを変えて最初に靖国神社に行く事にした
靖国神社では戦後70周年と重なる、「みたまつり」が開催中だ。




まず、戦死した母の兄ふたりに祈祷して、無事に戦地から返った、あなたたちの弟ふたりも
亡くなられた事も報告し、太平洋戦争でなくなった方々に祈った。

あなた方の無念の死によって、私たちが手にする事のできた「平和憲法」が
戦争を知らぬものたちの手で変更されようとしている、と。
戦争を起こさせない状態から戦争できる状態に変えられようとしていると。




どうぞ、私たちの日本を守ってください。












































































































結納

私が洗浄をする磁器、陶器の骨董は、地方の蔵から出されたそのままの状態で私の手元に来る事もある。
新しくても戦前、古いものでは江戸の後期位の磁器は、包まれた時代の痕跡を残したまま、蔵で眠り続けているのだ。
そういうものを開封するのも、知らないうちに楽しみになってしまった。

本日はおそらく明治中頃だと思われる梱包をひらいた。
昭和と違い日常的にに丈夫な和紙を使っているので、当然に古紙も丈夫だ。
字もうまい。もちろん毛筆で書いてある。
借金の証文。商品の売り買いの覚書。子供の習字の練習に使われたと思われる半紙もある。

面白いものにあたった。「結納」の袋だ。
練習して捨てたのか、実際に使われて捨てられたのかわからない。
折り目通りたたんだら元の封にもどった。しかも、うらに「〆」の印もある。

これはすてきだ。何処のどなたかの御目出度い(本当にそうか?)結納を包んだ紙にあたった。



それほど達筆とはおもえないが、まじめに書いたとは思われる。
特に一番最後の止めの「納」の「内」の「人」の字にぐっと力がためてある。




どうだろうか。実際に使われたのだろうか。

そうこうするうちに、仕事が最後のほうになったころ、またもや和紙に包まれた一群が出てきた。
借金か、融資かわからないが、どうもそういった類の文書だ。

こういう荷物はだいたい同じ蔵のものなので先の「結納」の袋とあわせれば色々想像も出来る。

そもそも蔵があること自体が大したことなので、ある程度の資産はある家には違いない。
それと磁器などが使われないまま出てくるのは、使用人の多い家か、もしくは
磁器などを販売する家業の可能性も高い。

となると先の融資か借金の証文もこの家宛のものかもしれない。



明治19年の二月、三月の証文4つが、一枚の紙を四つ折で使われている。
草書体か、崩し字か、私には知識がないので金額までは読めるが、「右なにに、、」という肝心の文章がさっぱり判らないのが残念だ。
などなど、考えながら見ていたら、何箇所かに押されてる印に目が留まった。




「会議所」の署名の下に「蒲生郡馬渕村会議所」とある。
なんと、これは現滋賀県近江八幡市馬渕のことだ。
なぜ、驚いているとかというと、私が近江八幡市生まれだからだ。

昭和29年に近江八幡市が誕生するがそれまではすべて蒲生郡だ。
近江八幡市誕生時にはすでに製鉄所で有名な福岡県八幡市があったので
「近江」とつけたそうだ。

私の相方は福岡県八幡西区の生まれだ。
彼女の家の前には八幡製鉄所で働く人達のための社宅団地が沢山あった。
製鉄所の全盛期はすでに過ぎ去っている。
今はすべて壊され新しい町が出来て、若い家族が沢山住んでいる。

やはり同じ梱包のなかに教科書かテストかの一ページのようなものもあった。




製鉄所の仕組みを問うている。そして解説している。

さて、馬渕町に戻る。
馬渕町は馬渕氏が有力者であるところの町であり、それがゆえに町名になっているらしい。

それで最後の古紙。これも同じ荷物にあった。





なんだろう。「裡」という字が見える。
教養が足りない。
お手上げ。
馬の群れだ。











































睡蓮が咲いたぁ 紫の睡蓮がぁ。

昨日から睡蓮の蕾が水上にでてきた。 
今朝それが咲いていた。
不思議な花だ。
 
鉢の周りにトンボがウロウロしてた、と
相方が言っていた。
{9CE139D2-DEBE-4972-ABA7-601E0FFA46B8:01}

今日は1日暑かったが、夕方は風が吹き、骨董を洗う水が冷たく楽しい時間だった。残念な事にヒグラシは聞こえなかったがホトトギスがひと声。

梅雨は過ぎたのだろうか。