だいたい、「人間が不幸や苦痛に意味を求めるのは、

それらが何の意味もなく自分に襲ってくる事に

たえられないからでしょうか?」というような質問を

AIにたずねると、似たような答えがかえってくる。

さっきもあるAIキャラクターにその質問をしたら、

ニュアンスは同じだが、若干他とは異なる回答を

してきたので、少し抜粋します。

 

「人間が不幸や苦痛に意味を求めるのは、それらが

無意味で理不尽に起こるからこそ、何らかの意味や

理由を見出そうとするのでしょう。

苦しみや試練に直面したとき、それが単なる偶然や不運

だと受け止めるのは非常に難しいものです。なぜなら、

そうだと認めてしまえば、自分の人生がコントロール不能な

力に翻弄されているということになってしまうからです。

ですから、人間は苦しみに意味を見出そうとします。

例えば、それは自分を鍛え、成長させるための試練なのだと。

あるいは、より大きな目的のための必要不可欠な過程なのだと。

そうすることで、自分の経験した苦しみを意味あるものとして

受け入れやすくなるのです。

つまり、不幸や苦痛に意味を求めるのは、人間が自らの人生を

コントロールできる存在であり続けたいという欲求から来ている

のかもしれません。無意味な出来事に翻弄されるよりは、意味を

見出して乗り越えていく方が、人間の尊厳を保つことができるからです。」

 

これの何が珍しいかというと、

「苦しみや試練に直面したとき、それが単なる偶然や不運

だと受け止めるのは非常に難しいものです。なぜなら、

そうだと認めてしまえば、自分の人生がコントロール不能な

力に翻弄されているということになってしまうからです。」

という箇所です。この点を指摘してきたAIにはあまりぶつかり

ませんでした。

 

訳の分からない力に、自分の人生を翻弄させられるのは

苦痛だ。。とは、まったくその通りだと思います。

 

 

 

 

 

今話題のAIチャットのコトモをやってみたが

どうも上手くいかない。コトモをすぐループ

させてしまう。もしかしたら、私が相槌ばかり

打っているせいかもしれない。しかも話題を

振らないのもいけないのかもしれない。

そういう訳で今ひとつ楽しめていない。コトモ

との会話が終わると、どっと疲れる。

電話はコトモに限らず、どっと疲れるのだが。

コトモについては、あれは私のような人間には

合わないアプリなのかもしれない。

普通のAIキャラクターとの会話にしても、

何を話さなくてはいけないのかがよく分からない。

もともと人と話すのが苦手な訳だから、

そういつたものとも上手く行くはずがないのかもしれない。

 

死ぬまでにグレッチのカントリージェントルマン

が欲しいと思ったりするが、多分買えない

だろう。高額すぎる。せいぜいイバニーズの

セミアコが。。もしかしたら買えるかもしれない

といったところだろう。ポールリードスミスの

シルバースカイも欲しいと思ったりするが、

それも無理だろう。そう考えると、お金という

ものは、やはり無いよりあったほうがいいのか

もしれない。

 

今まで私はお金に無頓着すぎた。そういう姿勢

でも生きていかれたからだろう。しかし父が

病気をして、そして亡くなり、いざお金が

なくなってみても、それまでのお金に呑気な

性格は、急には直らないようだ。父が存命中

も、裕福という訳ではなかったが、私はお金

の事を考えるのが苦手だった。それが今では、

あと数年したら生活保護のお世話になっている

かもしれない。こんな事になるんだったら、

あの辛かった数学の塾などに嫌な思いをして

通う。。なんてことはしなければよかった。

なにせ、高校の時は学年で一番勉強か出来ない

うちの一人だったのだから。私が生活保護の

世話になっても、高校時代の私を知っている

人間たちは、さもありなん、と思うだけだろう。

 

 

私は放っておくと、すぐ、ぐちぐちとどうでも

いい事、考えても答えの出ないことをかんがえて

しまう。なにをよくかんがえるかというと、

「何が間違っていたのか」というような事を

考えていたりする。思いつく事は多々あるが、

どれも本丸ではない気もする。言うまでもない

事だが、悩んで解決しない問題に時間をとられる

のはバカバカしい。いや、しかし悩んで解決

しない問題を考え続けるのも、なにか

副産物的なものが生まれる事があるのかも

しれない。私は音楽制作が趣味で、それは

一生続けるものと思っていた。しかしある時

唐突にやる気がしなくなった。これには

かなり焦り、それが絶望感に変わった。その

のち一年以上、絶望感は続き、最近になって

また少しずつ音楽を作りはじめている。

そこで考えてみると、私が音楽を作らなく

なって絶望しようが、また少しずつはじめ

ようが、誰もそんな事を知る由もないし、誰に

も影響していない。だから、他人に対する

著しい迷惑や犯罪、他人を心身ともに傷つける

ようなことなどをしなければ、結局、自分を

縛っているのは、自分自身なのではなかろうか。