歩くといいこといろいろあるよ(^^) | 笑いと感動は日々の生活の中に…

笑いと感動は日々の生活の中に…

日々の生活の中でのさまざまな出来事を通して気づいたこと、面白い!と思ったことをなんとなくつづってみたいと思います。

歩くのが好きです。

 

豊かな自然の中を歩くと、

おいしい空気と美しい風景、鳥たちのさえずりなどが加わり楽しみ倍増!

心も体もリフレッシュします。

街の中を歩くと、

パン屋さんからは焼きたてパンの匂いが、花屋さんからは香しい花の香りが…

道行く人たちの装いを見て「あ、あの人の帽子おしゃれだなあ」などと思ったり。

景観がいまひとつの場所を歩くと、

…まあ少なくとも運動にはなりますね(笑)

いつもは自転車通勤ですが、気持ちの良い季節なのでちょっと歩いてみると、

 

空地の片隅に咲く草花に目が留まったりします^^

 

古くは西ではソクラテスやアリストテレスが、

弟子たちと語ったりひとり考え事をするときに歩いていたと伝えられているし、

東では歩行禅という、心を無にしてひたすら歩くという行もあるなど(現在も活動の一環にしている人がいますね^^)、

走るという行為が主に身体機能や体力の向上などの肉体的な目的であるのに対し、

歩くことは運動プラス精神的な目的を伴っています。

 

私自身が、今まで時には一人で、またある時はさまざまな人たちと共に歩くことで、

いろんな発見や楽しいことや思いつき、誰かに元気付けられたり逆に元気づけたりと

いいことがたくさーーーんありました。

 

学生時代は、友人たちと京都の街の中や鴨川のほとりを語り合いながら何時間も歩きました。

真夏の灼熱の太陽の下を歩き続け、京都の土地に不慣れな友人がギブアップ寸前になったり(笑)、

夕方から夜にかけて、大学で哲学を専攻する友人と鴨川沿いに語り合いながら歩いていると

気がつけば何往復かしていたり(笑)、

若い頃の歩いた思い出は楽しいことばかりです^^

 

年月が経ち、家庭を築き、家族が増えると、

楽しいことだけでなく、家族にも悩みや苦しみの時期が訪れることがあります。

そんな時も一緒に歩きました。

 

一時期心を病んだ夫とは日光浴を兼ねて歩き回りました。

じっと動かないでいるところを無理やり連れ出す感じで(笑)。

会話があってもなくても、ただただ歩いた日々が今となっては良い思い出です。

 

下の娘が中学生の頃、学校でいろいろあって、つらい時期がありました。

夜、殆ど真っ暗な川沿いを並んで歩きました。

光のある場所ではなかなか言いにくいことも、

暗闇ではぽつりぽつりと話してくれました。

面と向かって問い詰めたりせず、歩きながらというのは相談などにも良いシチュエーションではないかと思います。

 

人生はしばしば歩くことや走ることに例えられますね。

人生を駆け抜けた、とか

人生を共に歩む、とか。

 

走るとたいてい、そのスピードやスタミナには個人差がかなりあって、

一緒に走り続けるのはなかなか難しいように思います。

(夫とジョギングをしたこともありましたが、ペースが違ったので途中からばらばらになってしまいました)

差があるからこそ、短距離走やマラソンなどの競技になるんですね。

一緒に走ってどちらかに合わせると、一方がバテたり、あるいはもっと速く走りたくていらいらしたりします。

どちらかというと個人で走行距離を伸ばしたり、スピードを上げたりと

修行や鍛錬のような要素があります。

 

その点、歩くことは人と歩調を合わせやすいです。

体力維持のためのウォーキングやさまざまな年齢層の「歩く会」、

友人や恋人との語らいにも、

歩くことはとっても手ごろでお金もかからないすてきな活動だと思います^^

 

「歩く」というのは実際に歩くことでもあるし、歩くように生きることでもあります。

歩行が生まれつき困難な人や、怪我や加齢が原因でだんだん歩けなくなる人もいます。

私も今は元気に歩いたり走ったりできていても、

いつか年齢を重ねたり、あるいは怪我によって歩けなくなることがあるかもしれません。

そんな時は歩くスピードでだれか大切な人と一緒に車椅子などで出かけたいです。

 

子どもたちも、今は親である私や夫と一緒ですが、

いずれ誰か大切な人に出会って共に歩いていくことになります。

世間で言う「玉の輿」に乗ることや、白馬の王子様に連れて行ってもらうのではなく、

しっかりと自分の足で新しい家族とたくさん歩いてさまざまな体験をしてほしいです。

 

さて、週末は久々に夫とカメラ持って緑地を歩き回ろう^^