心のステージ | 路傍の如来   多々方聖道石  こよなき幸せの仏教     

路傍の如来   多々方聖道石  こよなき幸せの仏教     

♡仏教の最高峰♡頂乗仏教♡如来寺♡人々を堅固な安らぎ.喜び.幸福.満足へと導く.大乗.小乗.宗派.部派を超越した仏教.目覚め.乗り越え.解き放て.[覚醒][超越][解放]

JR上野駅不忍口前.辻立ち.托鉢.御相談 eメイルbongteng@live.com

◆物事は心に基づき.心を主とし.心によって造り出される…もしも汚れた心で話したり.行なったりするならば.苦しみはその人に付き随う…車をひく牛の足跡に車輪がついて行く如く…

◆物事は心に基づき.心を主とし.心によって造り出される…もしも清らかな心で話したり.行なったりするならば.福楽はその人に付き随う… 影がその身体から離れない如く…

◆真実(まこと)でないものを.真実(まこと)であると見做し.真実(まこと)であるものを.真実(まこと)ではないと看做す人々は.誤った思いに囚われて.ついに真実(まこと)に達しない…
◆真実(まこと)であるものを.真実(まこと)であると知り.真実(まこと)でないものを.真実(まこと)ではないと看做す人は.正しき思いに従って.ついに真実(まこと)に達する…

◆例え為めになることを数多く語るにしても.それを実行しないならば.その人は怠っているのである…牛飼いが他人の牛を数えているように.彼は修養者の部類には入らない…
◆例え為めになる事を少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し.情欲と怒りと迷妄を捨てて.正しく気をつけていて.心が解脱して.執着することの無い人は.修養者の部類に入る…

経文とは唱える為のものではなく.実践の為のものであり.唱えるのは唯.忘れぬ為である…

法句経(ダンマパタ)の第一章で説かれるこれらの句を軽んずる事なかれ…
どうでも良いような物事に.捉われたり.拘ったり.執着したり.思い悩み苦しむのも…
つまらない物事に.捉われたり.拘ったり.執着したり.思い悩み苦しむのも…
下らない物事に捉われたり拘ったり執着したり思い悩み苦しむのも.心が未だ未熟で無明だからに.他ならない…
それは凡そ.その人間の精神性.境地(ステージ)に依って立っているのです…
いくら知識や情報を貪っても.幸せ.安定.安心の為に大して役に立たないばかりか.欲望や心の渇きを募らせ.心を貧しくさせてゆくだけなのです…
その努力の方向性を自分の精神性.人格の向上へと振り向けてゆく事こそが.真に安定的で安らぎ満たされた幸せをもたらしてくれるのです…
そう言う意味で語るならば.人間の不安定な本質を如何に安定化させる依り処を探し求める所から始まります…
そこに宗ねとなる教え(宗教)が存在するのであり.糸の切れた凧の如く行き当たりバッタリに生きて.少しばかりの幸せや喜びと引き換えに大きな苦しみな中を彷徨い生きる事がない様に宗教は存在するのです…
ですから例えそれが.得体の知れない神仏に縋るようなものであったとしても.自分は無宗教だと錯覚して.金.財.地位.承認.名声など無常なものを依り処としながら.不安定に生きてる人々より安定的なのです…
そんな中にあって仏教は.そんな依り処.安定性と共に真理への依存へと向かう教えであり.この上ない堅固な安定性を実現させるのです…
精神世界(彼岸)には物質も肉体も心も今生の記憶も無く.精神性(カルマ)だけが継続して活動しているのです…
つまりは今生で.五蘊(眼耳鼻舌身意)に齎される刺激に対する反応(精神作用)も.私は在ると錯覚し.欲望に翻弄され.悪因縁を深めて輪廻を繰り返すのも.功徳を積み上げ成仏するのも.精神性(カルマ)の質.格.境地.次第なのですから…

理想的な人生とは.精神的成長を目指す生き方と.それに伴う達成感や深い安らぎにあり.これこそが真の生きがいであると考えられます…一方で.人生の最大問題は生老病死です…生老病死はある意味で.仏教的世界観として[四苦八苦]の言葉にみられるように現実世界を生きていくための心構えを示したものです…しかし科学技術の発達した現在.私たちの意識の中にはこうした苦の世界を克服したものとしての快楽中心の生き方が理想とされています…しかしここにある種の落とし穴があるのです…どれほど医療技術が進んだとしても.いわゆる不治の病がなくなることはありませんし.やはり死は必ずおとずれるからです…

こうした諸問題をあらためて整理していったのが生命倫理なのですが.それによって私たちの生命観はどのように変わったのでしょうか…言い換えると生命倫理は[生老病死]観を果たして越えていけるのかということです…それは同時に.生老病死すなわち四苦にくらべれば.政治や経済.倫理や道徳.いわんや名誉や栄達など.世俗の一切のことが.見も蓋もなく.どうでも事のようにさえ思えてきます…

〈下記の精神性による価値観を参照〉

目覚め❲覚醒❳.乗り越え❲超越❳.解き放て❲解放❳
勿論.無知.無明.愚さからの覚醒.超越.解放です.
心の相転移(大悟)は智慧(叡智)が必要なのです.
◇物事が.真に見えれば得体の知れない宗教や信仰から解放される…

得体の知れない神や仏とかを設定したり.人間の真の超越を.スピリチュアルやカルトなどの妄迷な次元へと貶める事により成立させ.しかも龍樹(ナーガルジュナ)が目指した釈尊が説かれた仏教を彼れなりの解釈と視点により大衆部運動の内に発展させた大乗仏教は.その後.ガンダーラに於いて真理に基づいた確かなものへの信仰が説かれる仏教とは.明らかに異端な.得体の知れない神とか仏とかを.バラモン教.ゾロアスター教.ミトラ教.キリスト教などの影響を受けたガンダーラのクシャン人(大月氏族)により.大きく変質させられ.大乗仏教の流れを詐称しながら本質的には.お釈迦様が否定され忌み嫌われた盲目的な系譜を紡ぐ盲目的な大衆に迎合した暗黒時代的な宗教.信仰へと変質し. 所謂.大日如来とか久遠本仏というような.仏陀の悟り(大悟)を超えた悟りを具えた存在(法身仏)を詐称し.それが同時に仏陀から遠ざかり.お釈迦様の教えを毀損.誹謗する悪因縁を積む反仏教に他ならない事に気付く事なく..中国(中国仏教)を経て.日本(日本仏教)へと到来し.中国由来の先祖崇拝や日本.土着の神道やアニミズムや山岳信仰と結び付き.大乗仏教と称するスピリチュアルやカルトに依拠したものと成り果ててしまったのです…

その道とは.言い換えるならば心のステージ(階梯)の進化.上昇.昇華であり.解脱とは心の相転移とも言える境地(高見)を言うのです…

◆精神性による価値観(ステージ.法位)

渇望と存在欲に発する衝動による執着.愛着

①肉体的・物質的レベル

このレベルの人は物質主義的であり物事の獲得に価値を見出し物質的肉体的な安逸が主体的であると錯誤し.本質的には宗教や哲学でさえも物質的所有として[使えるもの]という認識でしかなく.それ以上の価値観を持ち得ません.ですからこのレベルの人達の関心は信仰によるご利益であったり御守護であったり恩寵や恩恵でしかなく.宗教(宗となる教え)や哲学には実は興味が余り持てなくて.物質的.肉体への価値判断が、精神的・存在的価値判断を上廻ってしまうのです…

②感覚・感情レベル

このレベルの人には繊細な人が多く.好き嫌い.快不快.美醜などという主観的な感覚によりものごとを判断します…

これらの人達は感情による自我を満足させる物事に価値観を見出し.感覚的な欲望を満たす事こそが主体的であると見出し.善悪.浄不浄などという倫理感を上廻ったりします…

妄想的.神秘的な信仰に興味を持ちやすく.儀式のない宗教には魅力を感じない傾向があります…

③知識レベル

このレベルの人は.知識欲が旺盛で知識や理論による理論武装で安心感を得ようとします…

自分の主観や概念に執着し.客観的な理解.認識.判断を避ける傾向があります…

所有の次元へと向かう感情に発する妄想が深まり易く.神秘的で迷信的な知識や思想に興味を示し[第三の目]とか[超能力]や「[霊力]といった得体の知れない物事を求める傾向があり.高じてはパラノイア度を深めてゆく傾向があります…

読書や学習を通して知識は豊富ですが偏っていて余り活動的.実践的ではありません…

[所有の次元を目覚めた心眼で眺めるならば.俗世の金財.名声.地位.権力などが塵あくたの如く映り.存在の次元において真に光り輝く」理性的で客観的な理解・認識能力による高次元への進化…

④知的レベル(感性)

このレベルの人達は主に理屈や物事を客観的に観察し.理解.認識し発見してゆく事に関心があり.研究や開発などに価値観を見出します…その価値を所有の次元に置く時.大いなる発見や成果を得られない事による苦や悩みを生じますが.存在の次元に於いては観察し理解し確証を得る事が主体であり.結果としての発見や成果とは付随物(付き随がうもの)客体でしかなく.自己完結的なものなのです…

⑤叡智を伴う精神性レベル

このレベルの人達はカルマ(業)やサンカ-ラ(記憶の残滓)の浄化と存在としての価値観の向上に努め励みます…

「寛大であるのも.慈悲深く施すのも.生きている今しか出来ない事」

⑥超越精神性レベル(心の相転移)

このレベルの人達はある意味で霊性を具えて来ます(※不滅の霊魂とかではない)それは煩悩(存在欲)から解き放たれ.渇望(渇愛)の完全な消滅を果たし、五集合要素(五蘊)を制御し.渇望(渇愛)の再生存と再生成という軛(連鎖運動)を断滅した無我なる心的エネルギ-から顕現するのです…

「我れは我れにして我れにあらず.今あるは仮の姿」

人が完全へと向かう為には.注意深く客観的に啓発してゆかなければならない二つの資質があります…一つは慈しみであり.一つは叡智であり.慈しみとは慈愛.慈善.親切.寛容といった情緒的な気高い資質であり.叡智とは人間の知的な心の資質であるのです…

もし情緒的側面だけを発達させて知的側面を無視すれば.心やさしい愚か者と成りかねず、逆に知的側面だけを発達させ情緒的側面を無視すれば他人を考慮しない無情な知識人と成りかねない…

それ故に高い人の質(クオリティ).格(レベル).境地(ステ-ジ).度量(ラージ)を磨いて行くためには.情緒的側面である感情と知的側面である理性という両者を発達させて両極の中道に安定点を見い出せなければ.前向きで歓喜に満ちた平安な仏教的な生き方など達成する事など出来ないように.自らが向上してゆく為には叡智により自我を焼き尽くし無我な存在となる事と他者を慈しむ行為とは不可分に結びついた必須なものなのです…