中論 『根本中頌』
第二章 運動(去る事と来る事)の考察
1.先ず.既に去ったもの(已去)は.去らない…
また未だ去らないもの(未去)も去らない…
更に既に去ったものと.未だ去らないものとを離れた.現在.去りつつあるもの(去時)も去らない…
[反対者の詩]
2.動きの存する処には去る働き(去法)]がある…
そうしてその動きは現在.去りつつあるもの(去時)に在って.既に去ったものにも未だ去らないものにもないが故に.現在.去りつつあるものの内に去る働き(去法)がある…
[龍樹の返答]
3.現在.去りつつあるものの内に.どうして去る働き(去法)が在り得ようか…現在.去りつつあるものの内に二つ去る働き(去法)は有り得ないのに…
4.去りつつあるものに.去る働き(去法)が有ると考える人には.去りつつあるものが去るが故に.去る働き(去法)なくして.而も去りつつあるものが在るという誤謬が付随して来る…
5.去りつつあるものに去る働き(去法)が有るならば.二種の去る働き(去法)が付随して来る…則ち.去りつつあるものを有りしめる去る働き(去法)と.また去りつつあるものに於ける去る働き(去法)とである…
6.二つの去る働き(去法)が付随するならば.更に二つの去る主体(去者)が付随する…何となれば去る主体(去者)を離れて去る働き(去法)は有り得ないから…
7.もしも去る主体を離れては.去る作用が成立し得ないのであるならば.去る作用が存在しないのに.どうして去る主体が存在し得るであろうか…それ故に去る作用は存在しない…
8.先ず.去る主体は去らない…去る主体でないものも去らない…そうして去る主体でもなく.去る主体でないものでもなくて.両者とは異なった如何なる第三者が去るのであろうか…
9.先ず.去る者が去ると言う事が.どうして成立し得るのであろうか…去る作用なしには.去る主体は成立しないのに…
10.去る者が去ると主張する人には.去る作用がなくても.去る主体があると言う誤った結論が付随して起こる事になる…何となれば.去る人が更に去ると言う働きを認めているからである…
11.もしも[去る人が去る]と言うならば.二つの去る作用が有るという事になってしまう…則ち.その去る働き(去法)に基づいて.去る者と呼ばれる処の.その去る働き(去法)と.去る者である人が去る処のその去る働き(去法)とである…
12.既に去った処に去る事はなされない…未だ去らない処にも去る事はなされない…今.現に去りつつある処にも.去る事はなされない…何処に於いて去る事がなされるのであろうか…
13.去る働き(去法)を開始する以前には.今.現に去りつつある者は存在しない…また既に去った者も存在しない…その二つ(今.現に去りつつある者と.既に去った者)に於いてこそ.去る働き(去法)がなされる筈であるのに.未だ去らない者の内に.どうして去る働き(去法)があり得ようか…
14.既に去った者の内にも.今.現に去りつつある者の内にも.未だ去らない者の内にも.去る働き(去法)を開始する事が如何にしても認められないのであるならば.既に去った者.今.現に去りつつある者.未だ去らない者が.どうして区別して考えられようか…
15.先ず第一に.去る主体が住すると言う事はない…また去る主体でないものも住する事がない…
去る主体てもなく去る主体てないものでも無い処の.両者とは異なった如何なる第三者が住するであろうか…
16.去る働き(去法)なくしては.去る主体が成立し得ない時に.先ず去る主体が住すると言う事が.どうして成立し得るであろうか…
17.去る主体は.今.現在去りつつある処から退いて住するのではない…また既に去った処から退いて住するのでもない…また.未だ去らない処から退いて住するのでもない…住するものの行く事と.活動する事と.休止する事とは.去る事の場合と同様であると理解さるべきである…
18.去る働きなるものが.則ち去る主体であると言うのは正しくない…また去る主体が去る働きからも異なっていると言うのも正しくない…
19.もしも去る働きなるものが.則ち去る主体であるならば.作る主体と作る働きとが一体である事になってしまう…
20.また.もしも去る主体は.去る働きから異なっていると分別するならば.去る主体がなくても去る働きがある事になるであろう…また去る働きがなくても.去る主体が在る事になるであろう…
21.一体であるとしても.別体によっても成立する事のない此の去る働き(去法)と.去る主体との二つはどうして成立するだろうか…
22.去る働きによって.去る主体と呼ばれるのであるならば.その去る主体は.その去る働きを去る(行く)事は有り得ない…何となれば.去る主体は去る働きよりも以前に成立しているのでは無いからである…実に何者が何者に去るのであろうか…
23.去る働きによって.去る主体と呼ばれるのであるならば.その去る主体は.その去る働きとは異なった他の去る働きを去る事はない…一人の人が進み行く時に.二つの去る働きは成立し得ないからである…
24.去る主体が実在するものであるならば.実在する去る働きと実在しない去る働きと.実在し.且つ実在しない去る働きと.三種の去る働きの何れをも去る事がない…また去る主体が実在しないものであるとしても.上述の三種の去る働きの何れをも去る事が出来ない…
25.また去る働きが実在し.且つ実在しないものであるとしても.上述の三種の去る働きの何れをも.去る事が出来ない…それ故に.去る働き(去法)と去る主体と.行くべき処とは存在しない…
第三章 認識能力の考察
1.見る働き.聞く働き.嗅ぐ働き.味わう働き.触れる働き.思考作用..これらは六つの認識能力(六根)である…見られるもの(色.形)などが.此れらの認識能力の対象である…
2.実に見る働き(視覚.眼)は.自らの自己を見ない.自己を見ないものが.どうして他のものを見るであろうか…
3.火は自分を焼かないが.他のものを焼くと言う(火の喩え)は.見る働きを成立せしめるのに充分ではない…見る働きと.火の喩えとは.今.現に去りつつあるものと.既に去ったものと.未だ去らないものとによって.既に排斥されてしまった…
4.何ものをも見ていない時には.見る働きではない…見る働きが見ると言うならば.どうして此の事が理に合うであろうか…
5.見る働きが見るのではない…見る働きでないものが見るのでもない…見る働きを排斥し終わった事によって.見る主体の成立し得ない事も説明されたと理解せよ…
6.見る働きを離れても.離れなくとも.見る主体は存在しない…見る主体が存在しないから.見られるものも.見る働きも共に存在しない…
7.母と父とに縁って子が生まれると言われるように.眼と色.形とに縁って.認識作用(識)が生ずると説かれる…
8.見られるものと見る働きとが存在しないから.識などの四つ[識と感官と.対象との接触(触).感受作用(受).盲目的衝動(愛)]は存在しない…故に執着(取)などは.どうして存在するであろうか…
9.聞く働き.嗅ぐ働き.味わう働き.触れる働き.思考作用も.また聞く主体.聞かるべき対象なども.見る働きについて.見る働きについて論ぜられた事を適用して.同様に説明されると知るべきである…