素晴らしき人生不死の境地を見ないで百年生きるより.不死の境地を見て.一日生きる事のほうが勝れている…最上の真理を識らないで百年間.生きるより.最上の真理を識って.一日生きるほうが勝れた素晴らしき人生なり…最上の真理を知らないとは.言い換えれば無明(無知)と妄迷の中を生きる事を言います…不死の境地とは.一度しかない.この人生を悔いのないように生きるという当たり前の事だけではなく.この時空に繋ぎ留めている因縁(煩悩)からの解放を言うのであり.その因縁(煩悩)とは生への執着(存在欲)に翻弄され. 継続し連鎖し輪廻し転生し次の何かしらへと.生死を繰り返してゆく心的なエネルギーの業(カルマ.形成力)の浄化により根源世界(高次元.浄土.あの世.彼岸.仏界)へ戻る事であり.不死にも飽きたら.又.この穢土へ戻って生死.流転を繰り返すのです…逆説的にも聞こえるてしょうが.仏教では[信じる]とか[信心]する事を盲信と言い.戒められています…信じる.信じないとは.物事の本質が見えていない無明な状態を言い.真実を知れば消え去る性質のものなのですから…では.人はどのように生きるべきなのでしょうか.ダンマパタ(法句経)に言う[不死の境地を見よ]とは.仏教では.生きとし生けるものは.輪廻し流転し連鎖し.継続し転生してゆくもの.すなわち生と死を繰り返して止まない迷いの境涯に置かれているとされています…しかし.お釈迦様は.そうした迷いの世界を超えた.完全な安らぎの境地の存在と.そこに至る道とを示されました…そうした境地を「不死の境地」と仰ったのです…それは自と他.生と死.苦と楽.善と悪といった相対性を超えた世界です…自分を含めた現世的なものを完全に超越した.絶対的世界(存在性)を理解し.それに向かう事によって.現世での自分の生もはじめて意味をもつ事を説いているのです…仏教が強調するように.この世のすべては無常なものであり.常なく移ろい.やがて滅び.違った何かしらになって流れてゆきます…それにもかかわらず.その幻のような現世の生が意味あるものとなり得るのは.実は現世を超えた不滅のもの(ダンマ)が.今まさに私たちを照らしているからに他なりません…そして生命のもつ.業(カルマ)も同じく縁起(因果律)法則により.違った何かしらになって流れてゆくのですから…つまりは.ダンマ(天地自然法則)の生命バージョンが業(カルマ)でもあり.それは意志.意図.形成力として輪廻し流転し連鎖し転生しながら流れてゆくのです…現代人はつい目の前の事ばかりに気を取られがちですが.一方で.生きる意味を見失い悩み苦しんでいる人も少なくありません…日常生活の中で.時には忙しい手を止めて.ゴチャゴチャと雑念や妄想に塗れた思考を止めて.私たちの生の本当の意味に気付いてゆく智慧と精神の向上に心掛けてゆく事が大切なのではないでしょうか…目覚めよ! (自己覚醒)乗り越えよ!(自己超越)解き放て! (自己解放)