この記事は2009年03月18日(水) に以前のブログで書いた記事です。



■事故日2009年03月08日(日)
■入院日2009年03月09日(月)

■手術日2009年03月11日(水)


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病室で寝たきりだと背中が痛くなり苦痛ですが、これがなかなか良い仕事をしてくれます。

「中山式快癒器」


我が家では、代々受け継がれているグッツのひとつです。


背中や肩、腰の辺りのコリまでぐりぐりと指圧できる優れ物です。


お疲れの部分に挟むだけですが、気持ち良すぎて寝てしまうくらいです。


ここ最近、これに助けられてます(^O^)



中山式快愈器 強力型 F型 4球
中山式 (2003-08-04)
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この記事は2009年03月17日(火) に以前のブログで書いた記事です。



■事故日2009年03月08日(日)
■入院日2009年03月09日(月)

■手術日2009年03月11日(水)


改めてレントゲンを見るとけっこうショックかも。。。

骨が砕けてるのがわかる~(>_<)
京都で働く社長のアメブロ-090317_110849.jpg


片方の細い骨には一本長いワイヤーが入り、もう一個の太い骨はプレートをあてがい、沢山のボルトで固定されてます。(+_+)


骨はまだ折れたままですが、手術の傷口が大分良くなってきたので、今日から松葉杖開始します。(まだまだリハビリ程度ですが・・・)


本来は三ヶ月、最低でも一ヶ月は入院の必要があるようです。その後もリハビリを繰り返し、筋肉をつけていきながら、少しづつ体重をかけていき、歩けるようになるまで慎重に進めていくそうですが、これ以上あまりボーっとしてられないので、担当の医師に無理を言って、来週には無理矢理にでも退院を考えてます。

しかし自分の足で歩けるようになるまで半年はかかると宣告されました。たとえ足がどうなろうと、そんなの二の次で良いと思ってます。一にやらなければならない事をやるために!

足は自分だけの問題で、何かあっても死ぬ訳ではないですが、会社や経営に関しては、やはり自分だけの諸事情でこれ以上、皆を巻き込む訳にはいかないと判断してます。



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この記事は2009年03月16日(月) に以前のブログで書いた記事です。



■事故日2009年03月08日(日)
■入院日2009年03月09日(月)

■手術日2009年03月11日(水)




本日、脊髄に入っていたクダも取れたし、後は骨が再生するのを待ちながら、リハビリに徹するのみ!

まずは、今週に松葉杖までは、できるようになりたいな。

長いあいだ、ベッドから動けなかったし、今週は松葉杖で絶対歩いたるビックリマーク(目標)

そうそう、昨日は「落日燃ゆ」にくぎづけになってました。

北大路欣也さんでなければ、あのリアリティは描けなかったでしょうね。


「最愛なる妻へ」の手紙のシーンとか、久々に少し涙しましたね。

しかし当時の天皇をはじめ内閣と軍部の微妙な関係。
陸軍大臣が辞めると言うと内閣までが辞任に追い込まれる・・・という時代。

文官であった廣田氏が内閣総理大臣、二度の外務大臣をつとめられ、最終的にはA級戦犯となり絞首刑になるストーリーを再現したドラマですが、廣田弘毅という方の偉大さには心を打たれるものがありました。

「私は一切の弁解はしないつもりである。」

「弁解をはじめると、人は自己弁護に入る」

「そしてそれにより、他者を批判することになる。」
しかし・・・
当時の軍部に対し、文官であった廣田は自身の信念をまげることなく外交を通じて平和的解決を主張し訴え続けた。だが廣田自身の力では軍部をおさえきる事ができずやがて太平洋戦争に突入する。そして日本は負け、A級戦犯として東条英機をはじめ多くの人に絞首刑が太極東国際軍事裁判により宣告された。
文官で絞首刑になったのは廣田だけだった。

なぜ廣田が絞首刑にならなければいけなかったのか?
正義とはこれほど哀れなものなのか?

すごく考えさせられました。

廣田は最後まで「私が弁解をはじめると他の人に迷惑がかかる事もある」とも言ってました。

すごく大きな心を持った人だったんだなと思いました。

国を愛し、国民の事を第一に考え主張し行動し、妻を愛し家族を愛し、最後は自分の命をもって日本の責任を果たした。

ただ本人は戦争をすすめた事は一度もなかった・・・

しかし今言える事は、過去のこういった出来事があっての現代社会だという事。ならば感謝の心で、過去の歴史をもっともっと知ることも大切だと思います。そのうえで、私達が未来を切り開いていかなくてはならないと思います。

時代はどんどん複雑化してますが、元々は売り買いも、物々交換から始まりマネーが登場し今では実態のないマネー経済まで生まれました。しかし物事の原理原則は今も昔も何ら変わらないと思います。そう考えると過去の歴史から今を変えれるヒントがあるかもしれないですね。p(^^)q



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この記事は2009年03月14日(土) に以前のブログで書いた記事です。



■事故日2009年03月08日(日)
■入院日2009年03月09日(月)

■手術日2009年03月11日(水)



今日は各地ですごい風がふいたようですね。

京都も朝から強風で、道端の木の枝などが折れて飛んでしまうくらいだったそうです。

私のいる所は京都市内でも亀岡よりの洛西という所ですが、日中は部屋の窓から少し季節外れの雪がちらついているのも見えました。

体調はお蔭様で日々回復しております。毎日一個一個、体から管や針が取れていき本来の姿に戻りつつあります。

自分でも単なる骨折だと思っていたのが、ここまでの大怪我(粉砕骨折)になっていたとは、思いもしなかったですが、現実をようやく受け入れられるようにもなりました。

医師によると、まだまだ絶対安静は続くそうですが、来週には体に入っている全ての針や管が取れるようです。


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この記事は2009年03月13日(金) に書いた記事です。



■事故日2009年03月08日(日)
■入院日2009年03月09日(月)

■手術日2009年03月11日(水)


手術後二日目です。今日になり、少し変化がありました。

昨日の22時に激しい激痛に襲われ、鎮痛剤を体にいれるものの、その後朝まで痛みとの戦いが続き、朝に再度鎮痛剤をいれてから、痛みがやわらいでおります。

正直今日までブログを書くのも、少し書いては下書きし、というペースでしか出来ませんでしたが(あまりに痛くて)今日は集中できてます。


なんせ手術後はずっとこんな状態だったので。

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なので今日は気分もリラックスでき、少し仕事というか会社とチャットで通信もしました。社員に心強い報告や言葉もいっぱいもらって安心しました。


しかし手術の威力って凄いですね。私のような怪我をした場合、単なるギブス治療なら一ヶ月は寝たきり覚悟だそうですが、今日は座る事が出来てます。

昨日までの、あの死にたいくらいの、足を取りたいくらいの激痛がなんだったのか?それとも、今たまたまマシなだけなのか?いずれにしろ変化がおきたのは間違いないが、今はしっかりと怪我を治し一日も早く職場復帰する責任があるので、まだ無茶は控えようと思う。



このままいくと、今日はあの怪我より五日ぶりにようやくゆっくりと睡眠がとれそうだ。手術の全身麻酔で三時間半、集中して寝れたくらいで、あとは寝ているのかどうか解らない状態だったので今日は寝るのが楽しみです。



このまま順調に回復できるようにがんばります。
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