この記事は2009年03月08日(日) に書いた記事です。
■事故日2009年03月08日(日)
■骨折記をあらためて開始します。(今まで別のブログで書いてましたがこちらに移動して再会です。)
今まで別のブログで書いていたので、更新日時と記事内容の日時に多少ズレがありますが、再度最初からしっかりと書き残していきたいと思いますので宜しくお願い致します。
岐阜県、白鳥高原にてスノーボー中に悪夢は起こった。
スノーボード歴は2~3年のブランク期間はあるものの、今年で約10年目だ。
ちなみにスキーは5歳の頃から始めた。
最近は5年前に肋骨の骨折や靱帯の損傷したり、また年を取ったせいもあり、体力や筋力の低下も感じるようになってきたので、20代のころのような危険な滑り方は控えて、娘達のコーチ役に徹していた。
普段は以前の事故の恐怖感や体力的な理由から、自分の現状のスキルを超えるような事はしていなかったが、
その日はいつになく調子が良く、朝から20代のころのような好奇心に満ちあふれていた。
また、いつもなら夜遅くまで仕事をし睡眠不足も重なり、朝は身体が重くてゲレンデに出るまでに時間がかかるが、その日は何故か一緒に行っていた家族よりも率先して私が一番に用意をすませ、颯爽とゲレンデに向かった。
身体も軽くて気分も爽快だったので、いつも以上に舞い上がってしまったのか、朝から今までやったことの無い技にまでチャレンジし、いろいろと出来てしまう自分に酔っていたのは事実だ。
しかし滑り初めて4本目のリフトを降りた直後に悪夢の事故は起きたのだ!
娘達がスノボーを始めて4年目ということもあり、また去年からスノーボードスクールを辞めさして自主練習とキッズキャンプに切り替えた事もあり、娘達にキッカーやボックスの練習をさせるのにコーチとして教えていた最中の出来事である。
先に娘達にキッカーをクリアさせ、私がその模様を動画撮影し、私が追いかける形でキッカーを飛び、空中で半回転して着地した瞬間に逆エッジがかかり、身体がねじれる形になった。
足の脛のあたりに「ゴキッ」という音が聞こえた。
携帯やグローブも持ったままジャンプに挑んだ事もあり、転倒を避けようという意識が働いたのか、転けずに踏ん張ったせいで余計にねじれる力が足に掛かってしまい折れてしまったと思う。
その後のレントゲンで骨折箇所は二カ所に及んでいた事がわかった。
右足脛骨・腓骨を粉砕骨折、その時点で自力下山できず、レスキューに担架のようなソリをスノーモービルで引っ張ってもらい、何とか下山し、そのまま付近の病院へ直行した。
皆なに大迷惑をかけてしまった。
脛を骨折してはじめて、足の骨折とはこんなにも痛く辛いものなのか、と言うことを知り、自分のための備忘録として、また、私のようなアホをしないよう他山之石としてもらいたくて、そして、骨折からの回復過程を記録することで、同じような怪我をしている方たちともにリハビリを頑張るため、また同じような怪我をされた方にリハビリによる回復の希望を持ってもらう為に、この日記をはじめることにした。
下山し病院に直行する前の応急処置。
レスキューさんありがとうございました。
そのまま救急で病院へ。
そしてレントゲンを撮ってもらうと・・・
なんと左足のスネの骨が二本、バキバキに!
足のおさらの下あたりから足がブランブランになりました。
とりあえず応急処置ということで、太ももまでギブス
で固定してもらい、今からひとまず京都に戻ります。
その日は日曜日で京都に戻っても病院は休みなので
明日の朝から再度病院に行って専門の医師に
見てもらって下さいとのことですが・・・
カナリの激痛でしかも熱まで出てきたので、京都の病院に問い合わせて見ると。
案の定、今日は先生もいなくて、既に救急処置済みなら
こちらではそれ以上の救急処置は出来ないと言われました。
痛み止めの薬も全く効かない状態で、のたうちまわりながら今、車に揺られて帰りました。
楽しいひと時が、突然地獄の苦しみにかわりました。
過去にも骨を折ったことがありますが、こんな激痛は初めてです。