この記事は2009年03月16日(月) に以前のブログで書いた記事です。



■事故日2009年03月08日(日)
■入院日2009年03月09日(月)

■手術日2009年03月11日(水)




本日、脊髄に入っていたクダも取れたし、後は骨が再生するのを待ちながら、リハビリに徹するのみ!

まずは、今週に松葉杖までは、できるようになりたいな。

長いあいだ、ベッドから動けなかったし、今週は松葉杖で絶対歩いたるビックリマーク(目標)

そうそう、昨日は「落日燃ゆ」にくぎづけになってました。

北大路欣也さんでなければ、あのリアリティは描けなかったでしょうね。


「最愛なる妻へ」の手紙のシーンとか、久々に少し涙しましたね。

しかし当時の天皇をはじめ内閣と軍部の微妙な関係。
陸軍大臣が辞めると言うと内閣までが辞任に追い込まれる・・・という時代。

文官であった廣田氏が内閣総理大臣、二度の外務大臣をつとめられ、最終的にはA級戦犯となり絞首刑になるストーリーを再現したドラマですが、廣田弘毅という方の偉大さには心を打たれるものがありました。

「私は一切の弁解はしないつもりである。」

「弁解をはじめると、人は自己弁護に入る」

「そしてそれにより、他者を批判することになる。」
しかし・・・
当時の軍部に対し、文官であった廣田は自身の信念をまげることなく外交を通じて平和的解決を主張し訴え続けた。だが廣田自身の力では軍部をおさえきる事ができずやがて太平洋戦争に突入する。そして日本は負け、A級戦犯として東条英機をはじめ多くの人に絞首刑が太極東国際軍事裁判により宣告された。
文官で絞首刑になったのは廣田だけだった。

なぜ廣田が絞首刑にならなければいけなかったのか?
正義とはこれほど哀れなものなのか?

すごく考えさせられました。

廣田は最後まで「私が弁解をはじめると他の人に迷惑がかかる事もある」とも言ってました。

すごく大きな心を持った人だったんだなと思いました。

国を愛し、国民の事を第一に考え主張し行動し、妻を愛し家族を愛し、最後は自分の命をもって日本の責任を果たした。

ただ本人は戦争をすすめた事は一度もなかった・・・

しかし今言える事は、過去のこういった出来事があっての現代社会だという事。ならば感謝の心で、過去の歴史をもっともっと知ることも大切だと思います。そのうえで、私達が未来を切り開いていかなくてはならないと思います。

時代はどんどん複雑化してますが、元々は売り買いも、物々交換から始まりマネーが登場し今では実態のないマネー経済まで生まれました。しかし物事の原理原則は今も昔も何ら変わらないと思います。そう考えると過去の歴史から今を変えれるヒントがあるかもしれないですね。p(^^)q



京都で働く社長のアメブロ-090316_113959.jpg



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