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硫黄島では海軍航空隊の支援があつた その2

日本が硫黄島を失う事は太平洋の防波堤を失うに等しく、日本全土が爆撃される事は火を見るより明らかでした。
 風雲急を告げる硫黄島を救う為、硫黄島のアメリカ艦船を攻撃する為、千葉県の香取という基地で、当時、第三航空艦隊に編入され、関東地方の防衛にあたっていた第601海軍航空隊の搭乗員による、分隊の人達がたくさん登場しているそうで、映画の画面では誰が誰だが見分けがつかないとの事でした。
もうひとつ、遠藤正男さんが語る叶 之人さんの思い出があります。


当時多くの人々に歌われた“天山”の搭乗員は、あわせて48
名。特攻を志厳した全搭乗員の中から、神風特別攻撃隊第二御楯隊のメンバーがどのようにしてピックアップされたのかさだかではあ
りませんが、幸か不幸か優秀な電信員だった叶 之人二飛曹は、隊員に選抜されてしまいました。



昭和20年2月20日から21日にかけて、神風特別攻撃隊 第二御楯隊は香取基地を出撃しました。途中、八丈島に立ち寄った第二御楯隊は、2月21日の昼頃から午後にかけて事前の作戦計画通り、少数機の編隊に分散して八丈島を離陸。まなじりを決して硫黄島周辺のアメリカ艦船へと向いました。八丈島から少数機の編隊に分散して進撃したのは、一部が敵の戦闘機の攻撃を受けても、残った他の編隊が突入に成功すれば良いと考えれていたからで、叶 之人二飛曹は、800キロ爆弾を抱いた3人乗りの艦上攻撃機“天山″ の4機編隊3番機の電信員として参加しました。叶 之人二飛曹が搭乗する艦上攻撃機“天山″ の換縦員は、石川県出身の中村吉太郎という少尉で、偵察員は、東京都出身の小島三良という上等飛行兵曹でした。
八丈島からまもなく自分が死ぬと解っている硫黄島までの飛行中に叶 之人二飛曹は艦上攻撃機“天山”の機内で何を考えていたのでしょうか。今となつては何も知るすべがないのが残念です。
神風特別攻撃隊第二御楯隊は、硫貴島周辺のアメリカ艦船に突

入、



護衛空母ビスマルクシーを撃沈、大型空母サラトガを大破させるな
ど大きな戦果を納めました。そして叶 之人二飛曹が搭乗する
艦上攻撃機“天山”は、叶二飛曹が突入直前に発信したと思われる電報が 「3番機より、午後5時47分輸送船に体当たりす」 という内容であつたことから、おそらく輸送船とおぼしき敵艦船に体当りを敢行したものと思われます。叶 之人二飛曹は硫黄島沖で壮烈
な戦死を遂げました。(4番磯・偵察員は信太 広蔵二飛曹 稚内中)わずか17歳。あまりにも短すぎる人生でした。
島を取り囲んだアメリカ軍の艦艇に神風特別攻撃隊 第二御楯隊の特攻機が勇ましく次々に体当たりしていく様子。そしてアメリカの
航空母艦がグレンの炎をあげて燃えている様子を硫黄島の日本守備隊が見た時、彼らの士気は高揚し、どれほど彼らが勇気づけられたことか想像にかたくありません。しかし、叶二飛曹らが命を捨てて救おうとした硫黄島も3月に入ってまもなく玉砕。
日本の敗色は日一日と濃くなって行きました。


今日は庁立小樽商業学校から予科練に進み、昭和20年2月21日、神風特別攻撃隊 第二御楯隊の一員として、わずか17歳で戦死した叶之人二飛曹のお話を致しました。




日本にとって戦局の厳しさが一段と増して来た、昭和19年のお正月、休みで小樽に帰ってきた叶 之人さんと遠藤正男さん、そしてもう一人やはり庁立小樽商業学校から一緒に予科練に行った、金田正雄さんという方の3人でせっかくのお正月休みなのに家にはほとんど寄り付かないで学校の先生方の家に連日喜びに出かけたそうです。
庁立小樽商業学校の恩師では清水先生・長船先生といった先生方の家に遊びに行かれたそうですが、戦局が激しくなつていたとはいえ毎日予科練で猛訓練に明け暮れていた少年たちにとって、まだ戦争の厳しさを実感させるものがなく、訪問した先生方の家でどのような話をしたのかはよく覚えていないという遠藤正男さんの回想でありました。

「硫黄島からの手紙」。硫黄島では海軍航空隊の支援があつた

硫黄島では海軍航空隊の支援があつた
       
 映画「父達の星条旗」の第二弾 「硫黄島からの手紙」
では陸軍の守備隊だけの孤軍奮闘で支援がまったく無かったと描いていますが海軍航空隊は 米海軍 護衛空母 の撃沈 と大破をさせる支援があって
その無線状況報告を聞いていた。硫黄島守備隊はいたく元気つけられたのでした。




叶 之人さんほ、昭和2年生まれ、現在の小樽商業高校である、庁立小樽商業学校から、予科練に進みました。
庁立小樽商業学校時代の叶 之人さんを知る同期生の方々のお話では、叶さんは、松ヶ枝町の今の松ヶ枝ストアーの裏手に住んでおりまして、目立つタイプではありませんでしたが、クラスの副級長を務め、英語の弁論本会で活躍するなど、学業成績が優秀な真面目過ぎるほど真面目な少年だつたそうです。
叶少年は、庁立小樽商業学校の4年の途中から予科練に入隊、甲種飛行予科練習生の12期生として、飛行機乗りを目指します。
現在、千葉県八千代市に、遠藤正男さんとおっしゃる方がいらつしゃいますが、遠藤正男さんは、庁立小樽商業学校で、叶さんと同級生で予科練もー緒に入隊したという、同期の桜であります。
その遠藤正男さんに、叶さんの思い出をお聞き致しました所、叶君とは、庁立小樽商業学校時代、同じクラスだつた事もあります。
家が私は緑町で、昔の刑務所の近く、叶君は松ヶ枝町と離れていた事もありまして、特にお互いの家を行き来するほど親しくはありませんでしたが、目立たないけれども優秀な男でした一緒に予科練に行きましたが、予科練に入隊してまもなくだつたと思いますが、予科練が映画の舞台になりまして、当時、人気女優だった原 節子さん




が映画のロケに来た事があります。予科練での撮影シーンで、真偽のほどはさだかではありませんが、仲間の話では、叶君がその映画に出ていると言うんです。八千代市にお住まいの遠藤正男さんが語って下さった叶さんの思い出ですが、遠藤さんが記憶しておりました予科練でロケーションを行なつた映画について調べてみましたところ、
その映画は、昭和18年の9月に封切られました 「決戦の大空へ」 という映画でした。主役の予科練習生には、まだ当時少年だつた、木村 功が演じ、当時の人気女優 原 節子も出演する、
戦意高揚の映画でした。叶 之人さんが実際に出演しているシーンがあるかどうかを関係者の方に確かめましたところ、水泳の訓練を行っているシーンに、叶さんが所属49第二御楯隊という神風特別攻撃隊が編成されました。神風特別攻撃隊とは、飛行機に爆弾を抱いたまま、敢の軍艦に搭乗員もろとも体当たりするという、






必死必殺の肉弾攻撃でありまして、当時の601航空隊の指令、杉山利一大佐の戦後の手記によりますと、601航空隊ではアメリカ軍が硫黄島に上陸する2日前の昭和20年2月17日、全隊員に特攻隊の志願者を募集する告知をしたところ、搭乗員全員が特攻隊を志願。翌2月18日に、当時の601航空隊の飛行長、武田新太郎少佐より、601航空隊の隊員名簿がイコール、即、特攻隊員名簿であると報告があつたと印されています。その特攻隊志願者の中に、優秀な成績で予科練を卒業して電信員となつた、叶 之人二等飛行兵曹がいました。
神風特別攻撃隊第二御楯隊は爆弾を抱いた“彗星″ という二人乗りの艦上爆撃機12機と爆弾又は魚雷を抱いた“天山”という三人乗りの艦上攻撃機8機、そして護衛の戦闘機、零戦12機で編成されていました。
艦上爆撃機“彗星″ と艦上攻撃機
東京から南へおよそ1200キロ、東京とグアム島・サイパン島などのマリアナ諸島を結ぶほぼ中間の位置に洋ナシのような形をした硫黄島という島があります。硫黄島は島の周囲がわずか20キロ程度しかない小さな島であります。この太平洋上にポッンと点のように
浮かぶ硫黄島は太平洋戦争を通じてもっとも激しい戦いが繰り広げられた激戦の島として知られています。


昭和20年2月19日大小無数の艦艇で硫黄島を取り囲んだアメリカ軍は、大挙して硫黄島に上陸、栗林忠道中将を指揮官とする日本軍守備隊と激しい戦闘が行われました。




高校生のころ薪ストーブを炊きながら コーヒーを入れていました。

薪をさがして
私が高校生のころ薪ストーブを炊きながら コーヒーを入れていました。

先日、どうしても薪ストーブが欲しくなり、家内に言いました。

彼女が言うには、薪も無いくせに薪を山のように切ってから言いなさいと言われました。
それもそうだと思い廃材を探しましたがなかなかありません。yahooオクで薪ストーブ探していたら、木製中古パレットがでていました。どこにあるのかと聞きましたら、石狩だとのことです。私は白石なので片道40kmあります。しかたないので一個落札して土曜日に取りに行きました。北原ミレイの石狩挽歌が流れそうな、「番屋の湯」のそばに現場はありました。




 




現れた持ち主は鼻にピアスをした、おじさんです。17枚買って、10枚分の値段にしてくれました。よかったよかった。 「石狩挽歌」を歌いながら往復70kmを鼻歌とともに帰ってきました。


♪海猫(ごめ)が鳴くから
ニシンが来ると赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ雪に埋もれた 番屋(ばんや)の隅で
わたしゃ夜通し 飯(めし)を炊(た)くあれからニシンはどこへ行ったやら破れた網は

翌日の北海道は12度もあったので、薪割りしました、2時間もやるとへとへとです。あと1日あれば全部切れるでしょう。
 でもこれは秋にやる仕事で、これからするのはキリギリスみたいなものです。来年は余命いくばくもない父と山にはいって薪をきります。
 来年は 木こりになるぞ。
でもこんどはマキストーブを置く場所を作らないと、奥さんが許してくれません。
許しがでるまでひたすら 薪をきります。