「硫黄島からの手紙」。硫黄島では海軍航空隊の支援があつた
硫黄島では海軍航空隊の支援があつた
映画「父達の星条旗」の第二弾 「硫黄島からの手紙」
では陸軍の守備隊だけの孤軍奮闘で支援がまったく無かったと描いていますが海軍航空隊は 米海軍 護衛空母 の撃沈 と大破をさせる支援があって
その無線状況報告を聞いていた。硫黄島守備隊はいたく元気つけられたのでした。
叶 之人さんほ、昭和2年生まれ、現在の小樽商業高校である、庁立小樽商業学校から、予科練に進みました。
庁立小樽商業学校時代の叶 之人さんを知る同期生の方々のお話では、叶さんは、松ヶ枝町の今の松ヶ枝ストアーの裏手に住んでおりまして、目立つタイプではありませんでしたが、クラスの副級長を務め、英語の弁論本会で活躍するなど、学業成績が優秀な真面目過ぎるほど真面目な少年だつたそうです。
叶少年は、庁立小樽商業学校の4年の途中から予科練に入隊、甲種飛行予科練習生の12期生として、飛行機乗りを目指します。
現在、千葉県八千代市に、遠藤正男さんとおっしゃる方がいらつしゃいますが、遠藤正男さんは、庁立小樽商業学校で、叶さんと同級生で予科練もー緒に入隊したという、同期の桜であります。
その遠藤正男さんに、叶さんの思い出をお聞き致しました所、叶君とは、庁立小樽商業学校時代、同じクラスだつた事もあります。
家が私は緑町で、昔の刑務所の近く、叶君は松ヶ枝町と離れていた事もありまして、特にお互いの家を行き来するほど親しくはありませんでしたが、目立たないけれども優秀な男でした一緒に予科練に行きましたが、予科練に入隊してまもなくだつたと思いますが、予科練が映画の舞台になりまして、当時、人気女優だった原 節子さん
が映画のロケに来た事があります。予科練での撮影シーンで、真偽のほどはさだかではありませんが、仲間の話では、叶君がその映画に出ていると言うんです。八千代市にお住まいの遠藤正男さんが語って下さった叶さんの思い出ですが、遠藤さんが記憶しておりました予科練でロケーションを行なつた映画について調べてみましたところ、
その映画は、昭和18年の9月に封切られました 「決戦の大空へ」 という映画でした。主役の予科練習生には、まだ当時少年だつた、木村 功が演じ、当時の人気女優 原 節子も出演する、
戦意高揚の映画でした。叶 之人さんが実際に出演しているシーンがあるかどうかを関係者の方に確かめましたところ、水泳の訓練を行っているシーンに、叶さんが所属49第二御楯隊という神風特別攻撃隊が編成されました。神風特別攻撃隊とは、飛行機に爆弾を抱いたまま、敢の軍艦に搭乗員もろとも体当たりするという、
必死必殺の肉弾攻撃でありまして、当時の601航空隊の指令、杉山利一大佐の戦後の手記によりますと、601航空隊ではアメリカ軍が硫黄島に上陸する2日前の昭和20年2月17日、全隊員に特攻隊の志願者を募集する告知をしたところ、搭乗員全員が特攻隊を志願。翌2月18日に、当時の601航空隊の飛行長、武田新太郎少佐より、601航空隊の隊員名簿がイコール、即、特攻隊員名簿であると報告があつたと印されています。その特攻隊志願者の中に、優秀な成績で予科練を卒業して電信員となつた、叶 之人二等飛行兵曹がいました。
神風特別攻撃隊第二御楯隊は爆弾を抱いた“彗星″ という二人乗りの艦上爆撃機12機と爆弾又は魚雷を抱いた“天山”という三人乗りの艦上攻撃機8機、そして護衛の戦闘機、零戦12機で編成されていました。
艦上爆撃機“彗星″ と艦上攻撃機
東京から南へおよそ1200キロ、東京とグアム島・サイパン島などのマリアナ諸島を結ぶほぼ中間の位置に洋ナシのような形をした硫黄島という島があります。硫黄島は島の周囲がわずか20キロ程度しかない小さな島であります。この太平洋上にポッンと点のように
浮かぶ硫黄島は太平洋戦争を通じてもっとも激しい戦いが繰り広げられた激戦の島として知られています。
昭和20年2月19日大小無数の艦艇で硫黄島を取り囲んだアメリカ軍は、大挙して硫黄島に上陸、栗林忠道中将を指揮官とする日本軍守備隊と激しい戦闘が行われました。


