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ボクらの映画めし

映画に出てきたごはんを作ってみた。なるべくヴィーガン

2023年年末の映画納めは

「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」という長いタイトルの、長い映画だった。なんと、3時間20分。

ベルギーの女性監督シャンタル・アケルマン。すごいよ!この映画。

 

タイトルが示すように、ある町のある女性の、3日間を淡々と映す。

料理も掃除も、ラジオや編み物、散歩、自宅で客をとる売春ですらも、何かに支配されたようにルーティン化している。

 

自分のためではなく、息子のためと、自分の存在価値の確認のための日々?

 

 

日曜はシチュー、月曜はハンバーグみたいに(忘れたけど)、曜日ごとにメニューが決まってて、とても慣れた手つきと手順で買いものと調理がされる。


確か、3日目はネギのスープ。こんな感じの。もっとなめらかできれいだったけどね。

わたしのは、白ネギ、しょうがを炒めて、ジャガイモを追加して昆布だしで煮込み、豆乳を入れ塩コショウで味を調えた、ヴィーガン仕様。

 

 

この映画が製作された1975年、フェミニズムや、自由の波が渦巻き始めていたはず。

世界の片隅で、その波に乗り遅れた主婦が、「何かが違う」と、日常の小さなほころびの中で、イライラを募らせる。



そして3日目の衝撃!!!

 

ほどなくお正月に、息子に借りたDVDで、「エイリアン」(1979年公開)を観た。

主役はシガニー・ウィーバー、女性宇宙飛行士が、チームの中で重要な役割を担い、勇敢にアクションを繰り広げる。

 

 

観ながら、先の「ジャンヌ・ディエルマン…」の映画にあった、70年代のヒロイン主婦のセリフ「欧州は北米より10年は遅れてるから」を思い出す。

 

それから半世紀。最近読んだこの本に、70年代からの、女性のもやもやに答えを見出したような気がしている。

私が女性として生きてきた50年でもある。

 

「家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択」稲垣えみ子著 マガジンハウス

 

 

著者稲垣えみ子さんは、朝日新聞の論説委員や編集委員を歴任後、50歳で退職、フリーに。

高給、高級マンション、おしゃれ三昧、グルメ三昧のシングルライフを捨て、新しいライフスタイル、というか本来のライフスタイルへ。

 

つまり家事こそが、女性ばかりでなく、男も、シングルもファミリーも、金持ちも貧乏も、年寄りも、終末の身じまいも、社会問題の解決という意味でも、すべてを救う道である、という趣旨で

 

70年代の女性の悩みの着地点はここ、と感じられた。

 

半世紀の間、私が生きていた50年でもある、女性たちが悩み、消耗し、生きてきたその積み重ねが、古くて新しいこのスタイルに結実できるといいなあ。

 

わたしも、自分スタイルを確立したいなあ。

 

モロッコの伝統衣装カフタン。
結婚式など特別な時に着るドレスで、母から娘に大切に伝えられる。アップで映される、職人の手元の針さばきが美しい。

 



ただ、お客さんとの会話に垣間見えるのは、ミシンで作る職人が増え、技術の伝承が危機にあるこということ。

 



ハリムは父から受け継いだ仕立て屋を営む職人で、妻のミナは接客や仕入れを担当する。
彼女は重い病にかかっており、助手として、若い職人ユーセフを雇う。ユーセフ役の若い俳優の目がとても魅力的。

ミナ役のルブナ・アザバルは「灼熱の魂」でも、意志の強い感じの女性を演じていた。ストーリーが複雑ですでに何一つ説明できないが💦

 


さて、ハリムとミナは、長年二人だけで店を営なんできた(たぶん)。そこに突然新たな人間が入り込み、複雑な関係が生まれる。

しかも、ミナはもう出勤できるような病状ではない。

一度は壊れた三人の関係が、それぞれに悩みながら互いを思いやりながら修復されていく姿に、中東の音楽やダンス、料理などが絡められる。

 



ユーセフがミナのために作ったタジン料理を、土鍋で真似てみた。私なりのレシピは最下部に記載します。


わたし、卵アレルギーなのよ、知らなかった?
というセリフがすてき。

 



モロッコのカフェは男ばかり。おそらく、日本に暮らす私たちの想像を超えて、男尊女卑、恋愛やファッションの制約、イスラムの教えなど、個人の行動への圧力が大きいのだと思う。

 



街には時間になると、コーランが流れ、祈りの時間が持たれる。
一貫してこの映画では、街の音がいつも流れていて、家の中と外の境目を感じさせない。

カフェや公衆浴場などの音や光景も、興味深いし、生活スタイルが垣間見える。

ミナは毎日、街に流れるコーランの調べに耳を傾け、ベッドの横に座って、指を小さく回しながら、祈りをささげる。

彼女の行動や考えは、この地域の人たちの常識を外れていて、とてもかっこよくてやさしいけれど、祈りをささげる姿は伝統的。

 

おそらく、宗教の本質は人の心を救う純粋なものだけれど、権力やお金が絡み、暮らしや生き方への縛りを持ったとき、人々を苦しませることになるのではないか。

ミナは、自分は自分らしく、祈りのエッセンスだけを取り込んで、人生の終末に向かう自分の栄養にしているのだと思う。
ミナ役の女優ルブナ・アザバルの身体は終盤に向けてどんどんやせ細っていく。撮影中、断食して、役に入り込んだのだろう。

 



この映画は、3人の関係性の機微がよく描かれ、そこが見どころであるが、一方で、

人生の終わりをどのように過ごし、終うのか、周りの人間がどうかかわり、彼女の気持ちをどう受け取ったのか、ということも、この映画の大きなテーマだと思う。

 



 

最後の最後まで見ごたえがあった。
機会があれば、もう一度観て味わって、自分の身体に刻んでおきたいなと感じる映画です。

【料理記録】冷蔵庫にある野菜で作りました

(1)鍋に、ニンニクとオリーブオイル、玉ねぎ、ニンジン、ピーマンを順に投入して炒める。ジャガイモも入れたかったが時短で入れず。

(2)息子が作り置きしていたトマトソース。作り方を聞いたところ↓
1.玉ねぎのみじん切りをオリーブオイルで炒めて飴色にする。
2.ざっくり切ったトマトを入れて強火で炒める。
3.つぶして、塩、ローリエを入れて、弱火で15分煮る。
大変なら市販のトマトソースで!

(3)(1)を土鍋に入れ、その上に(2)のトマトソース、ざく切りのトマトとゆでたチンゲン菜を載せる。

(4)土鍋で弱火で煮て、とき卵2個を流しいれ、好みの固さまで蒸し煮する。

 



【おまけ】

つい先日、娘の結婚式で、母から譲り受けた日本の伝統衣装「黒留め袖」を着ました。
ファストファッションと対峙する、世代を超えて長く着る、芸術性や技を継承し、伝統に価値を置く衣料。大切にしたいと感じました。

 

 

 

イタリアの女性監督アリーチェ・ロルバケルが、自身の故郷トスカーナ地方を舞台に、養蜂園を営む一家を描いた作品。Amazonプライムで観た。

 


地元の名店フロア(愛媛県松山市三津駅前)で、蜂蜜&ゴルゴンゾーラチーズで赤ワインの、至福の組み合わせ

 



遠いイタリアのどこかで、こういった人々が生活しているかもしれないと思うと、漠然とした虚脱感、自身の小ささ、儚さを感じる。

 

彼女たちの人生と決して交じり合うことがない、無力な自身の人生を呪いそうになる。


 

まるで薄いカーテンを挟んで、幸福と不幸が同居しているような、そんな現実の恐ろしさをひしひしと感じさせる映画だった。

 

しかし映画の要所要所で、前衛的な、それでいて突飛すぎないカットを入れてくることで、この映画の芸術的な美しさと、現実から離れた精神性が表現されていた。

 



誰しも特別でありたいと考え、同時に自分はまともな人間だと胸を張る。しかし、みんなどこかおかしくて問題を持っており、それぞれが特別であり平凡なのだと思う。

 

 

重要なのはそれらを許しあう関係性と、優しさではないだろうか。
人という不完全な存在に対する愛情、相互補完。

 


 

「人間が二人いたら愛し合うの。」
素敵な言葉だ。