こんにちは。

スポーツトレーナー協会JARTA代表の中野崇です。

 

 

 

先日、「だからこそ」を武器にすれば、弱点はそのまま長所やオリジナリティにつながるという話をしました。

コチラ。

 

今回の話はその話と深く関連します。

 

 

 

JARTAの認定スポーツトレーナーは、多種多様な人がいます。

キャラクターなどは当然として、ここでの多種多様という意味は、バックグラウンドの多様性のことです。

 

 

 

理学療法士、作業療法士、柔道整復師、鍼灸師、アスレティックトレーナー、看護師、ヨガインストラクター、システムエンジニア、理学療法学生、ジムインストラクターなどなどです。

 

 

 

普通に考えると、例えばなんらかの国家資格を持っていることを認定条件にすることで、最低ラインのレベルを上げることは重要です。

その方が専門用語を駆使して多くの情報をやり取りできますし、いわゆる「業界の常識」という共通項も使えます。

組織も安定するかのように、見えます。

 

 

 

でも、僕は絶対にそうしません。

 

 

 

JARTAの受講資格は、認定トレーナー資格取得条件は、完全フリーです。

(選手に対して手段に囚われずに貢献しようとする姿勢はもちろん必須ですが)

 

多様な男子ばっかり…。

 

 

 

 

なぜなら、僕はその業界の発展と存続には「多様性」が不可欠だと考えているからです。

 

業界の多様性。

組織の多様性。

個人レベルの多様性。

 

その業界が発展し、そして存続していくためには、この観点が欠かせないと考えます。

 

 

 

価値観が同じで、同じ考え方や資格を持った集団を作った方が居心地がいいのは誰でもそうでしょう。

価値観やバックグラウンドの違いを理由に、そこから外れている者を「排除」すると、もしかしたら意思決定は迅速になるかも。

喧嘩は起こりにくいかも。

 

 

 

けれど、議論や言い合いが起こらない組織は、いかがなものか。

 

 

 

歴史や文化、そして人間の行動特性や進化と絶滅の歴史を踏まえて俯瞰すると、多様性の欠落はそれはすなわちその業界の没落が見えてきます。

 

 

 

人間の歴史という視点で見ると、それは腐敗・暴走・文化文明の落日につながっています。

 

生物の進化絶滅の視点だと、多様性を失った種は環境の変化によって死滅しています。

 

 

 

人間の動きに置き換えると、多様な動きを失った個体は、「パターンの固定化」という状態に陥り、いろんな運動をしているにも関わらず同じ部位ばかり使ってそれは怪我やパフォーマンス低下につながっています。

 

 

 

組織だと、そこに多様性がなければ、議論が停滞したり、良い解決策が出てこなかったり。

政治だと、トップの意見に全員が首を縦に振る。議論が起こらない。それはもはや独裁の温床。

 

 

 

長期的に物事を考えたとき、多様性が失われることは常に存続への危機につながっています。

 

 

 

そういう理由で、僕はトレーナー業界の多様性の少なさに対して危惧を覚えています。

 

 

 

大半の人が、スポーツ経験者、怪我の経験者、ボディビルダー、医療資格保持者。

まるで、そういったバックグラウンドがなければスポーツトレーナーやれない雰囲気がそこにはあります。

 

 

 

僕は、「将棋でプロ目指してました」って人が、トレーナー目指してもいいじゃないかと思っているし、スポーツやったことない、けど料理にはやたら詳しいって人がスポーツトレーナーやったら面白いって思ってます。

 

 

 

だって、そんなバックグラウンドの人にしか気づけないアイデアが必ずあるから。

 

 

 

そんな人にしか気づけない、スポーツ界の常識への疑問って、必ずあるから。

 

 

 

僕はそんな多種多様なバックグラウンドを持った人たちが集まる業界にした方が面白いと思いますし、選手やスポーツ組織にとっても必ずメリットがあると思っています。

 

 

 

誰と話しても筋肉やトレーニングの話しか出てこない業界、他の分野の話題はひたすら聞き手に回ってしまう業界。

 

 

 

そういう意味では、まだまだJARTAも多様性が乏しい。。

 

 

 

将棋のプロ目指してた人、大歓迎です。

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

Safari Onlineで連載してます。

https://safari-online.jp/column/detail.php?id=713

 

 

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

追伸1

だから僕はセミナーに参加される方々を、こちらから積極的に「プロフェッショナル」として扱います。

同化して欲しくないからです。

一人ひとりが、プロとしての在り方をする集団になる必要があると考えているからです。

だからJARTAはセミナー受講してくださる方々を「受講生」とは絶対に呼びません。

理由、書きました。

 

 

 

追伸2

個人内にも、もちろん多様な知識が必要です。

トレーニングを教えられるだけ、国家資格に合格できるレベルの知識があるだけでは、選手は成長しません。

例えば、教育やテクノロジー、そして芸術の知識や能力は、すでにSTEAMという表現でその必要性が示されています。

スポーツにも、当然当てはまります。

それらの能力を持つべきかどうかという自分軸ではなく「選手からしたら、それを持っているトレーナーと持っていないトレーナーのどちらが良いか」という視点で考えると答えは明確だと思います。

 

 

 

JARTAのトレーニング指導をご希望の方は下記から(初回半額です)。

http://jarta.jp/dispatch/

 

 

 

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