検査医師の逡巡 | ALSの元ビルダー リバース目指す奮闘記

ALSの元ビルダー リバース目指す奮闘記

2022年6月ALSの確定診断を受ける。
50歳までボディビルをしていたスポーツ大好き人間。
いろんな手法でこの疾患をリバース(停止でなく反転)させるべく奮闘中です。
時々変な方言だと感じた方、広島弁です。
なるべく前向きな記事を心がけています。



2022年4月、広島市民病院での最初の検査入院の時に撮った書類の画像があった。


この時の最初の所見ではcramp-fasciculation syndrome、主に下肢にみられる筋肉の痙攣や線維束性収縮(ピクつき)の症状全般のことを指し、複数の疾患を疑っていたのが分かる。


・遺伝性疾患

・自己免疫性疾患(アイザックス症候群、スティッフパーソン症候群)

・末梢神経疾患

・脊髄前角細胞疾患

・代謝性疾患

・腫瘍(胸腺腫など)






この中でも自己免疫性疾患が最も疑われ、その治療法の例まで書かれている。




そして数週間後に言い渡された検査結果は、収集したデータをもとにあらゆる可能性を排除したところ、ALS(筋萎縮性側索硬化症)だと判断しましたとのことだった。

油断しているところに、カウンターパンチを食らい、ぶっ倒れそうになった。

当初は右足の親指の麻痺、下垂足、太腿のピクつきだけの症状だったのでそんな予測になったらしい。

今思うと予測される症状にALSをいれていなかったのは、患者にショックを与えないようにという配慮もあったのかとも思う。

昔は癌と同じように本人に告知するかどうかが議論されるほどだったという疾患。

その後、家族を含めての話し合いの場で、まだお若いし、進行も遅い感じなので、大学病院でボスチニブの治験を受けられたらどうかとの提案があり、広島大学病院を紹介され転院した。

治験の前に再度検査入院をして、その結果はALSだと診断して差し支えないものだとのことだった。

あらためて、不治の病だと宣告され、2発目の必殺パンチを食らった。

それから、今も毎日ジャブを打たれ続けている。

まだ倒れるわけにはいかない。

顔は腫れ上がり、今にも倒れそうだが、まだ勝機はあると信じるしかない。