桜蘭の慟哭 恐怖のオルガンロード前編 | ヤモリのつぶやき

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日々のニュース解説等をつぶやきます......

 エキゾチックなイントロと「子どもたちが~空に向かい~、両手をひ~ろげ~♪」という歌い出しで始まる曲は、一定上の年齢の方なら即答できる曲名だろう。
 異邦人 -シルクロードのテーマ-(久保田早紀)だ。
 筆者的にショッキングなことに1979年にリリースされたようだ。
 なんと、40年前・・・・・。
 当時の家電メーカー三洋電機がCMでシルクロードの映像と共に使ったことで爆発的なヒットとなった。
 そして、ほぼ同じ時期に取材され放映され人気を博したのが、「NHK特集・シルクロード」だ。
 1年遡ること78年~79年に故夏目雅子氏・堺正章氏・西田敏行氏・岸部シロー氏出演で放映された「西遊記」もすごいヒットだった。
 ゴダイゴの「ガンダーラ」、「そこ~にゆけば~ど~んなゆ~めも~♪」も、未だに口ずさめるほどの大ヒット曲だ。

 

 このいずれもに共通するテーマはシルクロードである。
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シルクロード
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89
以下抜粋
西域南道
敦煌からホータン、ヤルカンドなどタクラマカン砂漠南縁のオアシスを辿ってパミール高原に達するルートで、漠南路とも呼ばれる。オアシスの道の中では最も古く、紀元前2世紀頃の前漢の時代には確立していたとされる。このルートは、敦煌を出てからロプノールの北側を通り、楼蘭を経由して砂漠の南縁に下る方法と、当初からロプノールの南側、アルチン山脈の北麓に沿って進む方法とがあったが、4世紀頃にロプノールが干上がって楼蘭が衰退すると、水の補給などができなくなり、前者のルートは往来が困難になった。
距離的には最短であるにもかかわらず、極めて危険で過酷なルートであるが、7世紀に玄奘三蔵はインドからの帰途このルートを通っており、楼蘭の廃墟に立ち寄ったと『大唐西域記』に記されているので、前者のルートも全く通行できない状態ではなかったものとみられる。13世紀に元の都を訪れたマルコ・ポーロは、カシュガルから後者のルートを辿って敦煌に達したとされている。
現在のG315国道は、部分的にほぼこの道に沿って建設されており、カシュガルからホータンまでは、2011年に喀和線が開通している。

 
--------全文ソースにて
 
 この要衝になっている楼蘭はこちらだ。
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楼蘭
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BC%E8%98%AD
楼蘭(ろうらん,Loulan,推定されている現地名はクロライナ Kroraina)は、中央アジア、タリム盆地のタクラマカン砂漠北東部(現在の中国・新疆ウイグル自治区チャルクリク)に、かつて存在した都市、及びその都市を中心とした国家である。「さまよえる湖」ロプノールの西岸に位置し、シルクロードが西域南道と天山南路に分岐する要衝にあって、交易により栄えた。紀元前77年に漢の影響下で国名を鄯善(中国語名併音shàn shàn・日本語名ぜんぜん)と改称したが、楼蘭の名はその後も長く用いられ続けた。4世紀頃からロプノールが干上がるのとほぼ時を同じくして国力も衰え、やがて砂漠に呑み込まれたが、1900年にスウェーデンの探検家ヘディンによって遺跡が発見された。
 
----------全文ソースにて 図版右端に楼蘭がある。

 楼蘭には鄯善国と言う国家があったが、紀元445年頃、北魏に滅ぼされた。
 ちょうど砂漠の北側に位置する交通の要衝だった。
 
 この楼蘭を含むエリアが新疆と呼ばれるようになったのは清の時代で「新たな征服地」という意味の名前を冠された。
 ただし、自治区として管理され、省がおかれたのは1884年、割と最近だ。
 その後、東トルキスタン共和国として短い期間にエリアを変えて存在したが、支那共産党に滅ぼされて、再び、新疆になった。
 つまり、歴史上、何度となく他国に占領され、苦難の道を歩み続けてきたエリアでもあるのだ。
 現在は新疆ウイグル自治区という名前になっているが、実際は自治区には程遠い状態である。

 この辺は中央アジアで地続きのど真ん中だから、元々、かなり熾烈な勢力のせめぎあいが起きていた。
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中央アジア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2
東トルキスタン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3
以下抜粋
中華人民共和国
1949年、国共内戦を制して中華人民共和国を建国した中国共産党は、新疆の接収を行うために、鄧力群を派遣し、イリ政府との交渉を行った。毛沢東は、イリ政府に書簡を送り、イリの首脳陣を北京の政治協商会議に招いた。しかし、8月27日、北京に向かった3地域の11人のリーダー達、アフメトジャン・カスィミ(Ehmetjan Qasim)、アブドゥルキリム・アバソフ(Abdulkerim Abbas)、イスハクベグ・モノノフ(Ishaq Beg Munonov)、Luo Zhi、Rakhimjan Sabirhajiev、デレリカン・スグルバヨフ(Dalelkhan Sugirbayev)らイリ首脳陣の乗った飛行機はソ連領内アルマトイで消息を断った。首脳を失ったイリ政府は混乱に陥ったが、残されたイリ政府幹部のセイプディン・エズィズィが陸路で北京へ赴き、政治協商会議に参加して共産党への服属を表明した。9月26日にはブルハン・シャヒディら新疆省政府幹部も国民政府との関係を断ち共産党政府に服属することを表明した。12月までに中国人民解放軍が新疆全域に展開し、東トルキスタンは完全に中華人民共和国に統合された(新疆侵攻)。ウイグル族とソ連領中央アジア出身者、モンゴル族やシベ族、回族で構成された東トルキスタン共和国軍(イリ民族軍)を野戦第五軍に編入した人民解放軍に対抗して、国民党側についたウイグル族のユルバース・カーンは白系ロシア人と中国人ムスリムの軍(帰化軍)を率いていた。1950年、伊吾で国民党勢力の残存していた地域へ侵攻してこれを制圧した(伊吾の戦い(英語版))。これによって新疆は中華人民共和国に帰属されることとなった。この地域の中華人民共和国による併合後、民族名称はウイグル族(维吾尔族)と公式に定められ、現在に至っている。1955年には新疆ウイグル自治区が設置された。しかし、自治区とはいえ実際の政治・政策は北京の中国共産党政府圧政のもとで行われている。

また、チベット亡命政府によると、中国政府は「政治犯」として50万人もの東トルキスタン人を虐殺したといわれ、妊婦に対して「計画生育」という名目で胎児の中絶を強制し、犠牲になった胎児は850万に上ると推計されている。チベットでも同様の産児制限と中絶・不妊手術の強制が行われた。

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以下参考
ウイグル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AB#%E6%AD%B4%E5%8F%B2
新疆ウイグル自治区
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%96%86%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AB%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%8C%BA
東トルキスタン共和国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

 ちなみに、楼蘭で有名なロプノール湖は支那の核実験場に用いられているエリアである。
 映像で見た美しさとは大いにかけ離れた受難の地こそ、このシルクロードを司った東トルキスタンなのである。
 
 そして今、アメリカと支那との軋轢によって、以前より強く指摘されている問題が、ウイグル族への激しい弾圧と虐殺だ。
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中国のウイグル弾圧を批判する発言、国連人権理事会で相次ぐ 2019年01月05日
http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/54405690.html
中国・ウイグル強制収容所の内側─催涙ガス、テーザー銃、教本【再掲】 2018/12/30(日)
http://www.afpbb.com/articles/-/3204613
 
 にわかに信じがたいほどの異常な弾圧だが、涙ながらに証言をする人もいる。
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8カ月鎖で縛られ続けた日々 中国“ウイグル強制収容所” 奇跡の生還者が衝撃の証言
施設の元収容者が衝撃の実態を語った 城戸隆宏 2018年12月8日

https://www.fnn.jp/posts/00397330HDK
・”収容所”からの生還者が語る恐るべき拷問の実態
・朝から晩まで”共産党・習近平礼賛”を強要
・中国政府「テロ防ぐため」と施設での拘束を正当化

以下抜粋
毎日、“共産党・習近平礼賛”を強制
オムルさんは、連行から7カ月後、“職業技能教育訓練センター”に移された。15㎡ほどの部屋に、手足を鎖で縛られた40~50人がいた。シャワーはなく、食事も睡眠もトイレも同じ部屋だった。

4時:起床。1時間ほど布団をきっちり四角に畳む練習。
5時:共産党や国家をたたえる歌を歌う。
6時:全員が壁に向かい一列に並び、スピーカーから流れる国歌を一緒に歌う。
7時:朝食(饅頭1つとお粥か野菜スープ)
8時:共産党を称える歌を繰り返し歌う。中国のウイグル政策の素晴らしさ、分離独立主義者や過激主義者の定義など、プロパガンダ政策を繰り返し勉強。
12時:昼食(朝食と同じ)。食事前に「共産党がなければ新しい中国は無い。社会主義は素晴らしい」などの歌を繰り返す。食事が来ると全員で「党に感謝、国家に感謝、習近平に感謝、習近平の健康祈る、国家の繁栄祈る」など、大声で3回、きっちり声が出るまで繰り返し、食事。午後も、プロパガンダ学習を繰り返す。

トイレには、決められた時間にしか行けず、2~3時間待つこともあった。学習と会話は全て中国語。カザフ人のオムルさんは拒否したが、従わないと拷問を受けた。豚肉を食べることを拒否しても同様だった。

拷問は、警官が持つ棒で20回ほど背中を殴られ、壁に向かって24時間まっすぐ立たされる。固定された鉄製の椅子に座り、手足を椅子に鎖で縛った状態で24時間。2日も3日も、反省の態度を示すまで縛られ、食事も水分も与えられない。5㎡ぐらいの真っ暗な部屋に24時間閉じ込められたり、真夏に暑い場所にパンツ1枚で立たされたり、冬に氷の上に裸足で立たされ水をかけられることもあった。天井から両手を吊るされ、汚水の池に首まで浸からされた人も見たという。

頻繁に人が入れ替わったが、連れていかれた人がどうなったか、一切分からない。病気で亡くなる人もしょっちゅういた。同じ部屋の2人が目の前で死ぬのを見たという。

生きて出られる人はほとんどいないとされる中、オムルさんはカザフ政府の関与で、2017年11月奇跡的に解放された。115キロあった体重は、8カ月で60キロにまで落ちていた。
「ナチスによる迫害を描いた映画に登場する極度にやせた捕虜のようだった」

-----------衝撃の全文はソースにて

夫がウイグルの収容施設に、キルギス女性が涙の訴え 中国への圧力求める 2018年12月21日
http://www.afpbb.com/articles/-/3203642
 ↑ほぼ同じパターンでさらわれた方の話だ。 

「死は彼らの救い」亡命者が語る中国新疆ウイグル自治区の実態 2018年12月20日
http://news.livedoor.com/article/detail/15768923/
・中国新疆ウイグル自治区で、当局がウイグル族らを多数拘束しているという
・収容キャンプの食事は粗末で虐待もあり、死者が出ているという話もあるそう
・ある亡命者は「家族をいっそ殺してくれ。死は彼らの救いだ」と語った

以下抜粋
 ▽「空前の弾圧」と米議会委
 自治区では2009年にウルムチで大規模な暴動が発生、約200人が死亡した。事件後、当局はテロ対策名目でウイグル族への抑圧を強化したとされる。国連人種差別撤廃委員会は8月、自治区で推定数万人から100万人以上のウイグル族らが不当拘束されたとの報告が寄せられたと懸念を示し、思想改造用の施設が存在する可能性にも言及した。
 米議会の「中国に関する議会・政府委員会」も10月公表の報告書で、中国当局がウイグル自治区で「空前の弾圧」を行っていると非難し、インターネット管理も強化していると批判した。一方、中国政府は「恣意(しい)的な拘束はない」と否定している。
 これに対し、トルコの亡命ウイグル族組織幹部セイット・トゥムチュルク氏(54)は、数年前から中国当局がウイグル族収容施設を増設してきたと主張する。弾圧強化の裏に、習近平国家主席が推進する巨大経済圏構想「一帯一路」のルート上に位置する自治区を、完全な統制下に置く狙いがあると指摘。「中国はウイグル族を根絶しようとしている」と非難する。

-----------全文ソースにて 衝撃度は高めだから注意されたい
 ↓↓↓しらばっくれた↓↓↓
中国、ウイグル人100万人拘束を否定 国連人種差別撤廃委 2018年08月14日
https://www.bbc.com/japanese/45178502
 ↓↓↓度重なる厳しい指摘になった↓↓↓
米国務省、中国のウイグル族弾圧に「深い懸念」 制裁を検討 2018年9月12日
https://jp.reuters.com/article/usa-china-uighur-idJPKCN1LS05C
米議会、中国のウイグル人弾圧を激しく非難 「人道に対する罪」に言及 2018年10月11日
http://www.afpbb.com/articles/-/3192852
 ↓↓↓厳しい指摘にこうなった↓↓↓↓
中国、ウイグル収容施設を合法化 国際社会は批判  2018/10/12
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36410950S8A011C1FF8000/
中国政府、ウイグル族収容施設の存在認める 「幸福度高まった」と主張 2018.10.17
https://www.cnn.co.jp/world/35127111.html

 つまり、今まででもひどかったのに、さらに異常な弾圧強化を始めて、指摘されるも嘘ついてごまかしていたわけだ。
 それを国連やアメリカが厳しく指摘をし始めたら、一転、存在を認めて法律を作って合法化し、意味不明な説明でごまかしているわけだ。

 この収容所も特定されている。
 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
衛星写真で判明、中国・ウイグル族の収容施設が1年で11倍に拡大 Oct. 10, 2018
https://www.businessinsider.jp/post-176894

 理由はこんな解説をされる。
 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
中国はなぜいま少数民族の弾圧を加速させるか―ウイグル強制収容所を法的に認めた意味 六辻彰二  | 国際政治学者 2018/10/13(土)
https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20181013-00100313/
・中国政府はこれまで存在を否定していたウイグル人の強制収容所に法的根拠を与えた
・これはアメリカが人権問題を中国批判のツールとして用いることへの外交的な対抗手段である
・さらに、ウイグル問題で中国に批判的なトルコを抑え込む目的もうかがえる

-----------以下ソース

 話がむっちゃ矮小化されとるやないかい。
 別ではこんな解説もある。
 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「一帯一路」が招くウイグル人大弾圧 2018/10/22
https://japan-indepth.jp/?p=42536
・ウイグル住民への前例なき大量強制収容と洗脳工作が加速中。
・米報告書は弾圧背景に「一帯一路」指摘。対中制裁措置示唆。
・協力姿勢の日本官民は「一帯一路」の非人道的な面、考慮すべき。

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なぜ中国のウイグル人弾圧にイスラム諸国は沈黙するのか? Oct. 24, 2018
https://www.businessinsider.jp/post-178027

 やっぱり、金が理由と説明される。
 ただし、上記記事は一読の価値はある。
 かなり圧力を強めて発言を封じているようだ。
 この記事のトルコ関連理解にはこれが参考になる。
 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
中国のウイグル族弾圧にトルコで反中デモが頻発 中国ネット「でたらめ言うな」「漢時代に匈奴を滅ぼすべきだった…」 2015.7.15
https://www.sankei.com/premium/news/150715/prm1507150001-n1.html

 そして、こういった火消しが出ていた。
 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
【中国人スレ立て】日本人「ウイグル?内陸の果ての弾圧された貧しい街なんやろ」→現在の姿 2017年11月26日
http://china-aggressor-nation.blog.jp/archives/27347659.html

 いくつもの当時の写真を貼り付けて美しい街だと流暢な日本語で説明するも、スレ民にあっけなく否定されている。
 そして、これを調べに行ってくれた猛者がいる。
 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
現地旅行者が伝える『ウイグル自治区における弾圧の実態』レポートに「今はここまで酷いのか」と過去に旅行した人々も驚愕  2018-11-05
https://togetter.com/li/1285121

 上記の火消しのと見比べるとよく実態が解る。
 遠目に問題なさそうに見せかけて、実態は酷い弾圧と厳しい管理下にある。
 そしてきれいに見えている大都市は全て、漢民族のものだ。

 この厳しい管理や弾圧についても、たくさんの記事があるのでどかどか引用しよう。

 続きは後編へ

 

桜蘭の慟哭 恐怖のオルガンロード 後編

https://ameblo.jp/bluespeed92/entry-12431250499.html

 

 あいにく文字数爆裂で1Pの文字数制限から溢れてしまった。

 その為、前編と後編に分ける。

 内容の重要さに鑑み、資料的な意味合いも併せて割愛したくないため、ご容赦いただきたい。

 

 筆者注:以前にも似たような記事でリリースしているが、新しいネタも含めて書き下ろしである。

 了

ガンバレ!日本!!
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