私も「何をしたいんだろう?」とずっと考えてきたのでした。
やりたいことはあるけど、「これは本当にやりたいことなんだろうか?」とも思ってきました。
霧が晴れた、と書いたけど、
霧が晴れたら、「え? じゃあ私何がやりたいの?」と思ってしまったのも事実です。
だって、「愛」なんて、大風呂敷すぎるじゃないですか。
笑顔も愛だし、講座も愛だし、ブログを書くことも愛かもしれない(私の場合自己満足度が高いですが)
で、ミッションを見つけるワークショップ講座を受けて、それが具体化するかな、と思ってたんですよね。
もちろん具体化するためのワークはあります。
でも、何だか余計に見えてこなくなったのです。
大風呂敷すぎて。
やりたくないことワーク、やってみました。
手帳術でやるものと同じかどうかはわかりませんが、やり方が3ステップに分けてあります。
この2番目が結構大事だな、と思いました。
この2番目のステップで、どこまで具体的に思い描けるか。
そうでないと対策は考えられない。
そして、具体的になればなるほど、自分の嫌なことも見えてきます。
rinrinさんじゃないですが、「人に非難される」って、誰だって嫌だと思うのです。
そんな人生、望むかと言えば望まないですよね。
でも、じゃあ、どういう風に非難されるのが嫌なのかとか、
どういう点を非難されるのが嫌なのかとか、
誰から非難されるのが嫌なのか(子供? 夫? 親? 親戚? 友達? 知り合い? 会社の人? 見知らぬ人まで?)とか、
考えるとやっぱりそのあたりは人それぞれになると思うのですよね。
私が非難されたらいやだなと思うのは、「時間を守らない」「責任を果たさない」とかそういうことです。
ひとつは、私がそういうことを守るのが難しいタイプであるという自覚(劣等感)みたいなものがあるということで、
もう一つ言うなら、私はそういうものを他人に求める(重要視する)タイプでもあるのだと思います。
でもこれって、「母親としてダメ」と言われることが嫌、とか、
「片づけができていないと言われるのが嫌」とか
「食事について文句を言われるのはイヤ」とか、
「仕事を非難されるのはイヤ」とか、
やっぱりポイントって人それぞれだと思うのですよね。
そういうのが見えてくると、自分の価値観も見えてくる。
見えてきたうえで、いまだに私は「何がやりたいんだろう?」と考えているわけですが。
ミッションは、大きなものなので到達方法はいくらでもあるし、それはその都度変えて言ってもいいという話でした。
ルートはいくつもある。
選んだルートが行きどまりになることもある。
ただ、方向だけは決めておこう、と。
そういう意味で考えると、私、人からの非難って嫌だけど重要度は下がるのかもと思いました。
私がふと思ったのは、ミッションとかそういうのを関係なく、
「自分がやりたいことをやれないのは嫌だ。たとえ人に非難されようと」
でした。
これ、実は私自分の感情として直視するのを避けていたところです。
人に非難されても、私は自分が窮屈だと感じることは、嫌なのです。
嫌なんだけど、「人に非難されるくらいなら、我慢すべきだ」とも思っていました。
でも、どういう非難が嫌なのかを考えていて、それが私が重要視しない非難なら、別にどうでもいいやと思ったのですよね。
私がやりたくないことワークで上げたことは、全体的に見ると、
「他人をコントロールすること」(これはされるのが嫌なので)
「自分の感情をコントロールできないこと」(これは疲れるので)
「自分を自分で貶める状態に持って行くこと」(これは自分のエネルギーを消耗するので)
でした。
実際にはちゃんと具体的に書いていますが、この内容を自分の生活に当てはめて細分化していけば、意外と対策できるんだな、と気づいたのでした。
ただ、それは最低限のラインです。
別に、その対策を「やりたい」というわけでもない。
その対策は、「自分が心地よく過ごすために」必要なことなのだと思いました。
なので、最近余裕を取ったり睡眠を多めに取ったり、整骨院に頻繁に通ったり、体の調子を整えること、無理をしないことを意識してます。
(大抵感情をコントロールできなくなるのって、体調不良、睡眠不足、+空腹が大きいと気づいたからです←今更
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それを整えながら、現在はママスペ@鹿児島の主催の件が頭の半分を占めているので、気分だけはバタバタしているのですが、
でもどこかで思っているわけです。
「これ、私のやりたいこと?」
いやいや、やりたいことですよ
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やりたいことには違いないけど、これはゴールではないと知っています。
通過点です。
人生の道のりで突発的に出てきたひとつのことです。
私は、全力を注いで、これを通り過ぎるだけ、です。
講座の主催を今後も続けていきたいとか、主催の力を磨いていきたいとか、そういうことはさっぱり考えていません。
私はもともと、自分で音頭を取るタイプではないのです。
人を引っ張っていくタイプでもありません。
だからと言って、私がすべきことは自分には見えていません。
ひとつ、ぼんやり思っているのは、
「好きなことをやる(やれることをやる)しかないのかな」ということです。
好きなことって、それはそれで多いので「じゃあどれ?」って気もしていて、
「好きなことをやることで、何かの役に立つ」というのがまだ見えてきません。
これが見えてこないのが私の迷いになってるんだろうなあと思うのですが、
手段はあくまで手段なので、手段が間違ったら方法を変えればいいだけです。
自分がやれることをいくつか試して、見つけていくしかないのかなとも思っています。
その試すときは、全力で。
その全力が、違ったのなら、また違う方法を全力で。
結局はその繰り返しかな、と。
できることは、この年になれば、もう限られているし、ある程度見えています。
もちろん、新たな挑戦で、新たな得意技を見つけることも可能だと思います。
でも私は多分、「人に教えること」は向かないし、「人前に立つこと」も向かないです。
「不特定多数の人に、親しげに話しかける」ことなんて全く持って無理だし(笑)
それをしたいとも思いません。
(そういう人が嫌いとかいやとかでもありません。すごいと思います! でも、私はそういう場では外側から見ているタイプ
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コーチングなどでは、「何の制限も無いとして、自分の理想の状況を思い浮かべてください」というような質問が来たりします(そこまでの導入や流れがあるので、この質問だけでは答えを出すことは難しいですが)
私は大抵こういう時は、
白い壁に囲まれた、6畳くらいの部屋で、PCを前にして、ノートとペン類があって、本棚がある。ひとつ付け足すならコンポ。あとは何もない。
そういう状況が浮かびます。
部屋は人がいない図書館でもいいですが。
想像するだけでうっとりするくらい、至福になれます(笑)
なので、私がやれることはこういう状況でできることなんだろうなあと思います。
これの先に何があるのか、まだよくわかりませんが。
なので、主催活動は主催活動として、私はとりあえず一つ目の「これかなああ???」と思えることを試すしかないんだろうなあと思ったりしています。
やってみないとわからないし。
少なくとも、それはやれば楽しくて、好きで、そしてやることに違和感はない。
失うと思っているものがいくつもあるので、ずっと躊躇しているのですが。
そろそろ、失ってもいいよ、と自分に言ってあげる時期なのかも、と思ったりします。
だってほんとに、私、あんまり何もいらない人のようなので(笑)←一人で部屋にこもってるのが至福ってどんだけ。
こんな落ちがつくとは思わなかったな…
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