映画の思い出、子の映画体験 | sachiko okazawa 転勤族人生で私だけの好きと綺麗を探求中

sachiko okazawa 転勤族人生で私だけの好きと綺麗を探求中

転勤族なのに松山定住19年、2年間の東京を経て再び松山へ。ひっそりと1人時間を満喫中。ハーブ、アロマ、東洋医学、漢方、ハンドメイドビーズアクセサリー、オートクチュール刺繍、リュネビル刺繍、アリワークをしています。占星術の勉強会にも参加中。

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東京の映画好きなお友達が、『絶対観るべき100の映画』というリストを作ってSNSで公開してました。


私もそこそこの本数、映画を見てきたつもりだったけど、

カウントはしてこなかったので、

総本数はわかりません。


お友達は1500本以上観てるらしい!!


私も映画館で見た映画、に限定すれば、数えられる。


でも、延数30本くらい、かしら。

案外少ないものですね。


しかも、アニメ映画が多いわ。

「ナウシカ」「ヤマト完結編」「エリア88」「オーディーン」「君の名は」 etc


薬師丸ひろ子の「探偵物語」、原田知世の「時をかける少女」、菊池桃子のタイトル忘れたアイドル映画、これらは従姉の趣味で、一緒に行きました。


映画館って、子供時代、親とか親戚と一緒に行くことが殆どですよね。


レンタルビデオ全盛期の中高時代、名画と呼ばれる映画をよく観てました。

カサブランカ、哀愁、クレオパトラ、etc

ハリウッドの黄金期の映画。


多分、母の影響もあると思います。

祖父が新聞社に勤めていたこともあり、映画の券や優待券がたくさん手に入ったらしく、普通の人よりも多くの洋画を観てました。


映画好きなこともあり、

映画の体験、私は自分の子供にも、たくさんさせてあげよう、と思ってた。


映画館で見る特別感。

話題の映画を見る優越感。

大きなスクリーンでしか味わえない迫力や音響。

内容は忘れても、誰と行った、という記憶は残ります。


でも現実は、ほとんど子供を連れて映画館に行けなかった。

子も、そんなに映画が好き、って訳ではなかったのもあるかも。


あとは、私が忙しすぎた。一人っ子で専業主婦ということで、ずーっと役員を何かしら頼まれて、子供が幼稚園時代から高校卒業したあと成人式の同窓会のお膳立てまで、学校や地域の役員をしていたから。



子供連れて観に行ったもの、を振り返ってみたら、、、

「鋼の錬金術師」


えっ、、、それだけ?!

意外と子供と一緒に映画に行ってないことに愕然としました。

思い出そうとしても、それしか記憶に無いってことは、

それしか連れて行ってないってことですよね、、、ガーン。ガーン


福岡に住んでた時代、夫がトーマスの映画に、ホークスタウンの一画にある当時まだ新しかったヴァージンシネマだったかな、そこに連れて行きました。

子のシネマデビューです。なーんてオシャレな場所でのデビューでしょう。


3歳になったばかりだからうるさくしたり、途中で飽きて帰ろうと言い出すかと思っていたのに、

2時間、びっくりするくらいお行儀よく、

ずっと食い入るように真剣に観てて、

トーマスの危機に小声で(←小さいなりにちゃんとわきまえてた)「(トーマスが)危ない!」って呟いて心配したり、壊れた登場人物見て泣きそうになってたり、登場人物と映画の世界に入り込んでる子供の表情を見てる方が面白かった、と言って映画館から出てきました。


トーマスの映画は、何年も後で、NHKで放送しているのを私一人で観ました。

確か、実写版の人間も出てくる映画で、普段見慣れているおもちゃがジオラマを走る可愛らしさがなく、なかなか世界観に私は入れませんでしたが、

当時3歳の子は、それでもトーマスって言うだけで嬉しくて没入してたようです。

この映画が放送された頃には、子はいくつになっていたか忘れましたが、

あれだけ大好きで朝から晩までトーマス大好き♡だったくせに、

中学生くらいの頃にたまたまテレビで新しいトーマス映画の予告編が流れてたのをみて、

「うわっ、電車に顔がついて喋るなんて、キモッ」と言ったんです、、、


私、目が点になりました。


なんですと???


キモい???


あれほど愛してやまなかったトーマスを、、、???


、、、子供の成長って、時に残酷ですよね。


4歳で幼稚園に行き始めた頃に、レンジャーモノやライダーモノ、ウルトラマン系にあっさりと興味が移行して、

それ以降、全くトーマスと言わなくなりました。


記憶を辿ると、

子は、子供会のイベントで歩いて行ける距離の映画館にみんなで行って、ファンタジー映画を子供会の会費の範囲で観てきたりしてました。


そうそう、一度だけ、映画体験と言えるかわからないような、田舎だから成り立った?怪しげな上映会に行ったことがありましたっけ。

子が2年生か3年生くらいだったころ。


怪しい興行師が、プロジェクターを持ち込んで、1人500円で、公民館の管理する建物、集会所の2階で、映画の上映会をする、と、学校の門の前で子供達にチラシを配りました。


それを受け取った子供達が下校しながらチラシを眺めて「これに行きたい!」「みんなで行こう」と言い出して、貯めていたお小遣いの中から500円握りしめて集会所に行ったことがあります。


私は止めたんですが、

みんなが行くって言うから自分も行くって聞きませんでした。


一応建物の下まで一緒に行ってみたら、

子供たちが溢れんばかりにいたのと、


心配してついてきてた顔見知りのママさんがいて、

「上の子が行くと言うのを聞いて下の子(幼児)も行きたいってきかないから、私は中に入ってついておくから」「でも、この子が飽きたり騒いだりしたら帰るから、それ以降は責任持てないけど、一応、みんなの様子はみておくね」と言ってくれました。


変な宗教とか、誘拐されたり、イタズラ目的とかそういう心配はなさそう、というのと、

ちらっと建物の中の様子をのぞいて見たら、

天井についてる扇風機をフル稼働させていて、

おじさん一人が映写機よろしくプロジェクターの映像を

正面の黒板に白い布をガムテープでとめて、

焦点を合わせてます。


お友達数人で一緒にいるから、何かあれば協力してなんとかするだろう、と、雲行きが怪しくなったら、会場を出てまっすぐ家に帰ること、終わる頃に迎えにくる、と子供に伝えて、一旦、帰りました

(↑今思うと私の危機管理の意識、低っ。まだ、それでも20年前は安全が確保できた時代だったんですね。)


東映まんがまつり的な、何本立てかの触れ込みで、内容は来てみないとわからないよ、って、

なんやねん状態ですが、

子供たちにとってはそれすらもわくわく、

2時間ほど短編集が上映されたらしい。


しかも、夕方18時前まで(子供の帰宅時間は一応考慮してた催しだった。18時になったらお家に帰りましょう、的な指導をしてた時代です)


公民館の2階の部屋に、子供達がギュウ詰めで、窓も閉め切って暗幕カーテンを引き、

確か6月ごろだったので、蒸し暑くて気分が悪くなった人もいた、と言ってたっけ。

終わりそうな頃を見計らって迎えに行ったら、汗だくで建物から出てきたことがありました。


ちなみに、映画?は、昭和の「日本昔ばなし」を切り取ったようなのと、「長ぐつをはいたネコ」の一部と、「じゃりんこちえ」の一部を加工したような、しかも、話が途中で始まり途中で終わる、もう本当に適当に切り取ったものを繋いだだけのものだった、とついてくれてたママさんから後で聞きました。


そのママさん曰く、「昭和の30年代に、自転車で現れる紙芝居屋さんがあったじゃない?私もその時代は生きてないから紙芝居屋の話しかしらないけど、あんな感覚のビデオ版思いついてやってるんだろうね」と。


子供達は、何の疑問も抱かず、それなりに満足してたみたいでした。こどもだー。子供騙しでも、満足できたお年頃。


もう少し上の学年の5、6年生は

「えー、もう終わり?続きはー?」と声をあげてたらしいけど。


おじさんは「続きはまた今度」と言ってたらしい。


なんじゃそりゃ、の世界。次がある、を匂わすなんて。


後にも先にも、一度っきりしかその映画?興行師は来なかったけれど、文字通り荒稼ぎして去って行ったようでした。


今の世の中では、そんな怪しげなよくわからない上映会に、集会所を利用料金を支払うので使いたいと申し出があっても集会所の管理人の許可が出ないでしょうね滝汗


そもそも、今の子は、お稽古事や習い事、塾に忙しいから、声をかけても子どもがそんなに集まらないかも。


あこぎな商売は成り立たなくなった時代です。