東日本大震災から13年 | sachiko okazawa 転勤族人生で私だけの好きと綺麗を探求中

sachiko okazawa 転勤族人生で私だけの好きと綺麗を探求中

転勤族なのに松山定住19年、2年間の東京を経て再び松山へ。ひっそりと1人時間を満喫中。ハーブ、アロマ、東洋医学、漢方、ハンドメイドビーズアクセサリー、オートクチュール刺繍、リュネビル刺繍、アリワークをしています。占星術の勉強会にも参加中。

ブログにお越しいただきありがとうございます。


13年。

早いと思う人、

まだ、と思う人、

時間の重みと思いはそれぞれ異なると思います。


あの日、子どもは学校に行っていて、


珍しく会社から就業時間内なのに電話してきた夫が知らせてくれて、

テレビをつけて

私は初めて大変な災害が起こっていることを知りました。


あの時は1995年の1月17日に起きた

阪神淡路大震災のことと重ねて感じていました。


岡山にいて、震度4。


もっと遡って、

私が都内の小学六年生で、風邪をひいて熱を出して学校を休んで布団にいた時、

震度4の揺れが、

横になっていたのと建物5階にいたのとで、

激しく揺れたのを覚えています。


都内に住んでいた時に

強烈な震度4は数回ありましたが、

そもそもの揺れがエネルギーが小さくて

4と言っても震度3に近いような体感とか、

建物の何階に居たかによって感じる体感と

全然違うので一概に比較は出来ません。


つい先日の愛媛で震度3とか4の揺れ。

私は2階で刺繍をしていて、

それなりに揺れて長かったのですが、


仕事でお得意先周りをして松山市の南側にいた夫は、ちょうど和菓子屋さんで手土産を購入していた最中だったらしく、

ぐらっと揺れただけだった、

お、地震?で、過ぎ去ったから

大したことないと思った、


それくらい体感差がありました。


地盤の硬さにもよるのでしょう。


少し前に、水没する可能性を調べられるサイトで

我が家を調べたら、20メートル超えたらマズイのがわかりましたが、


それよりも岡山の実家は、

そもそも岡山平野は海抜が低く、3〜4メートルらしく、

ひとたまりもないことを改めて感じました。


50メートル級に浸水したら、

岡山ってほとんど水の中に沈むのね、と。

岡山だけではなく、名古屋、大阪、東京、大都市圏はほぼ沈みます。




当然、愛媛の松山も水の中。


夫の実家があるのは四国でも高地の盆地にあるため、60メートル水没しても大丈夫でした。


最近よく噂になる たつき涼さんの予言?「2025年の7月に起こる大津波」、

この津波がもしも本当に起こったら、

四国は海の中に沈む、と言われています。


津波に加えて地盤沈下するみたいで。


逆に、台湾のあたりは津波を被っても土地が隆起して、土地としては残る、とも。


能登半島がずいぶん隆起して海岸線が変わってしまったので、

この台湾隆起説は、まんざら都市伝説でもないかもしれない、と考えたりしています。


本当に生き残りたい人は、山梨や長野、

岡山や広島、姫路の高原部が良いそうです。


そんなお伽話は置いておいて、

今の日本、全員が予期せぬ天災により、


誰が、いつ、どこで、どのように


災害に遭うか、


確率は高まっているようです。


こればかりは運命と思って受け入れるしか無いかも。


だけど、政治家が国同士の争いを起こすのは

止められると思います。


天災は避けようが無いけれど、

人の手で起こさないように努力できる災難は起こさないように。


有事や領土争いの紛争、

選挙で国のトップが変わることで

政策が変わって

今起きている争いも

仲裁されることを願っています。


人って、究極の土壇場でその人の本性が現れますが、

土壇場でいい人でいたり、

無私の精神を貫ける自信は私にはありません。


イマココ、に、つねに意識を置いて、

最善最良を選びとっている、と信じて

日々を生ききること、


これが大事なんだろうなと思うのです。


今、この瞬間が奇跡のような時間なのだという思いが日々重さを増しています。