012 創価学会と合気道と超常現象 | ブルーグッピーのスピリチュアリティ:自由に!無理なく!楽しく行う超能力開発。

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こんにちは。

 

前の記事の続きです。

僕は、難病による苦しみに耐えながらも理学療法士の資格を取り、1989年の30歳の時に東京に上京し病院に勤務しました。

その後、病院で働きながらカイロプラクティックや漢方など、多くの民間療法の技術をプロになれるぐらい勉強をしました。


しかし、40歳の時、朝、目が覚めると右目が全く見えなくなっていました。

すぐに病院に行き「葡萄膜炎(ブドウマクエン)」という診断で、その場で入院となりました。

難病というのは、自己免疫疾患であることが多く、全身の炎症により、自分の体のあらゆる部分が壊れていく病気です。

 

自己免疫疾患というのは、本来は外敵である病原菌や異物に対して攻撃する免疫機能が、自分の正常な細胞に攻撃をしてしまい、自ら崩壊していくような病気です。

今回は、目の過労が引き金となり、目の炎症が進み、放置すると目の神経である網膜の炎症まで進み、失明するところでした。

 

「努力は必ず報われる」

という言葉があります。

努力は必要だと思います。

しかし、「必ず」というのは、どうでしょうか?

「過労死」は「努力により死んだ」という事ではないでしょうか?

こういう思いより、僕は現実的限界と虚無感や絶望を感じ、考える事ができなくなりました。


そんなとき、不思議な縁が働き、結局、悪いうわさも多い創価学会に入信しました。

 

創価学会では、会員の子供を福子と言います。

 

たまたま、職場の隣の席の同僚の婚約者が福子であり、その同僚も婚約者の影響で創価学会の活動家になったタイミングでした。

 

僕が健康なときであれば、精神世界に頼る様な事はしませんが、難病により現実に絶望していたタイミングだったので、なんとなく精神世界に道を求めて見ようかと思ったわけです。

 

僕の祖母が創価学会の会員だった事もあります。

 

当時の日本では「スピリチュアル」という言葉や概念が一般的ではなく、精神世界を勉強するためには、宗教しかなかったわけです。

創価学会は「学会」という名がついているように東京大学、インド哲学科等の学術機関とも繋がりがある等、学術面でのグローバルな情報が豊富でした。

そこで、僕は、創価学会の信仰する日蓮の教えのみではなく、仏教やキリスト教など、あらゆる宗教の歴史的成り立ちや哲学などを勉強しました。

 

そして、宗教は、人間による創作であり、迷信であるという確信を持ちます。

 

日蓮は鎌倉時代の天才的な僧侶であり、宗派を超えて当時入手可能なすべての仏教経典を理解し、全てに意味が無い事を悟ります。

 

そして、密教の法華連行という、真言を百万回唱える、喉から血が出るほどの修行を行い神より「南無妙法蓮華経」という「題目」を授かります。

 

この「題目」は、一種の呪文であり真言であると言えるかと思います

 

しかし、日蓮の斬新な行動は、保守的な宗教的権力に逆らったとして、日蓮は処刑されそうになります。

☆ 仏道修行

僕自身は、題目「南無妙法蓮華経」を唱える事による不思議な体験も感じ始めました。

例えば、ご本尊に対して題目を唱えているときに自分で気が付かなかった自分の悪い部分が、映像のように現れてくるのです。

これを自分で自分を客観的に観察する
「自観」
といいます。


ある時、題目を唱えているときに
「合気道をするように」
と言われた気がしました。

単に気がしただけでしたが、影響は絶大でした。


たまたまの偶然ですが、自宅の最寄りの駅(元住吉)の駅前に合気道の道場がありました。

そして、そこの道場に入門しました。

当時は、関節炎による全身の激しい痛みにより、ゆっくりとしか歩けない時と、痛みが少ない時が、周期的に繰り返していました。

そこで、痛みが少ない時を見計らって合気道に入門しました。

また、その時は、進行性の腎炎もありましたので、その時代の医学的な常識として、腎炎の場合、安静が必要でした。

しかし、安静が必要という医療的情報は無視をして、武道の道に入ったわけです。


最も、安静が必要と言われても、生きるためには働く必要があるので安静にする事は不可能ですが。

 

この辺が、行政や医学の理想と、現実のギャップという事です。

☆ 合気道

合気道に入門して、一週間たった時の事。

 

合気道の練習といっても、週に2回1時間程度、歩き方の練習をしただけです。

15年続いていた難病の潰瘍性大腸炎による下痢の症状が治まってしまいました。

突然のこの現象には驚き、奇跡に思えました。

しかも、その後、関節炎の痛みも無くなりました。

尿検査のタンパクもマイナスになりました。

 

僕は、このときに精神世界が現実を変えるという様な奇跡についての実感を得る事ができました。

 

そして、今で言うスピリチュアルの様な精神世界に興味を持ちます。

その道場には、合気道の創始者である植芝盛平創始の世話をしていたという岡田さんというご老人がいました。

昔は、師の生活を弟子が支えるという習慣がありました。

弟子が師の技を教えてもらう代わりに、弟子が師の衣食住の面倒をみていたわけです。

植芝創始は、お亡くなりになられていますが、岡田さんより、生前の情報を聞く事ができました。




合気道は離婚をきっかけに、2年で辞めました。

それと同時に、創価学会も辞めました。

「宗教の信仰を辞めると地獄に落ちる」


とか、一般的な宗教では、信者を脅して脱退を阻止します。

しかし、僕は、そういった脅しがある方がかえって、その脅しに逆らいたくなる怖いもの知らずの天邪鬼(あまのじゃく)な性格です。

スピリチュアル的に言えば


「いう事をきかなければ地獄に落ちる」

 

等の相手の自由を奪う脅しは、悪魔のエネルギーなので、宗教は悪魔的で邪悪な要素があるといえます。

すると、合気道を辞めてから3か月後、また、血液検査の炎症値が上昇し、慢性的な下痢の体質へと戻ってしまいました。

しかし、その後もスポーツジムに通えるぐらいの体力を得る事ができていました。

合気道を辞めた後も、池袋のコナミ(当時はエクザス)というスポーツジムに通い続け、何とか体力を回復しようと努力しました。

 

当然、合気道が効果的であったわけでは無く、運動療法に効果があったというように考えるのが、極一般的な考えと言えます。

しかし、その後、スポーツジムでやっている、ヨガや気功、空手をはじめ、あらゆるトレーニングに参加しましたが、合気道の様に難病の症状が改善するような効果があるものは、ありませんでした。

炎症値が高いと、筋肉を破壊するようで、筋力トレーニングをしても筋力増強の効果が出にくい状態にあります。

マッサージを受けると、筋炎が悪化し、筋肉の痛みが悪化します。

合気道は、確実に僕の難病を改善していたと思います。

実際に合気道の創始者である植芝先生と直接縁のある岡田さんに縁を持った事が良かったかと思います。

 

スピリチュアル的な修行で重要な事は、マスターと繫がるイニシエーションです。

 

合気道のマスターは、植芝盛平先生なので、植芝先生に繫がる事は重要かと思います。


「一見百聞にしかず」という言葉があります。

いくら説明を受けても、信じられない事も、自分の目で見たり体験したりすると、信じられる事もあります。

僕は、合気道の出会いにより、現実的には、全く理解できない、感じることもできない、未知なる世界が、あることを実感しました。


そして、その未知なる世界に興味を持ち始めました。

 

しかし、病人に「合気道に入門しなさい」と言うのは、現実的ではありません。

 

合気道の中のどのような要素に、病気を改善させるような作用があったのでしょうか?

☆ 気功

合気道を習っている時期に、職場の女性(OT)が気功を習っていて、合気道の話題で、気功の話題になったわけですが。

 

はじめは、気功を、気のせいと思いバカにしていました。

 

僕は元々は理系の人間なので、手をかざして暖かく感じるのは、体温による赤外線だと考えていたわけです。

 

僕も、全て科学で説明できると考え、今までの自分の知識の中に納めようとする、頑固な思考パターンを持っています。

 

しかし、その時は、気功を習っている女性に、合谷(ごうこく)という経絡(手の親指と人差し指付け根の間)に、気を送ってもらいました。

 

すると、その合谷から肩のあたりまで、電気が走るようなシビレを感じました。

 

その感覚は、赤外線など物理現象では説明できません。

 

もちろん、5cmほど離れた場所から、中指から気を出していて触れていないので、静電気とかでもありません。

 

その体感に衝撃を受けた僕は、ただちに、その女性に気功の先生を紹介していただきました。

 

その先生が、山口令子先生です。

 

令子先生は、元CNN美人キャスターで、当時、大変な人気がある気功師であり、直接お会いできる事は、なかなかありません。

 

よって、弟子的な人達より、気功の練習方法を教えてもらいますが、いくら練習をしても、なかなか実感ができる気功を使う事ができません。

 

ところが、令子先生に直接お会いすると、いきなり、気のエネルギーが噴き出しました。

 

この時に、精神世界は、自分だけの練習や鍛錬ではどうにもならない事を実感します。

 

精神世界の道を進むためには、必ず、マスター的な存在との縁が必ず必要という事です。

 

最初は、手のひら全体から、邪気というか悪いエネルギーが噴き出し、僕はそのエネルギーを地球に向けて流していました。

 

地球には、こういった邪気エネルギーを浄化する力があります。

 

翌日は、すごく疲れ果てた感じになりました。

 

邪気であっても、欲望という生命エネルギーであり、生きるエネルギーです。

 

その後、安定して気功を使えるようになりましたが、気功には縁が無かったようで、入門者レベルで停止しました。

 

しかし、令子先生のご主人が道教の修行者であり、後に、道教(クンルンネイゴン)の正統な伝承者であるKan.師に習う事になります。

 

次の記事に合気道創始者の植芝盛平創始についてご紹介します。

 


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